金(ゴールド)は長年、金融市場において「安全資産」の代表格とされてきました。戦争や金融危機などの有事が発生すると、投資資金が株式などのリスク資産から金へと移動し、価格が上昇するというのが一般的な理解です。
しかし最近の金融市場では、その「常識」が必ずしも当てはまらない場面が増えています。米国とイスラエルによるイラン攻撃という地政学リスクの高まりにもかかわらず、金価格は上昇するどころか軟調に推移しました。
なぜ安全資産とされる金が、有事でも買われないのでしょうか。本稿では、今回の金価格の動きから見える金融市場の構造変化について整理します。
金は本当に安全資産なのか
金が安全資産と呼ばれる理由は大きく三つあります。
第一に、国家や企業の信用に依存しない資産である点です。株式は企業価値、債券は発行体の信用に依存しますが、金そのものは信用リスクを持ちません。
第二に、供給量が急激に増えないという特性です。中央銀行が通貨を増発することはできますが、金の生産量は短期的に増やすことが難しいため、価値の保存手段として機能します。
第三に、歴史的に危機時に資金が流入してきた実績です。2008年のリーマン危機や2022年のロシアによるウクライナ侵攻の際には、金価格は上昇しました。
このため多くの投資家は、地政学リスクが高まると金価格が上がると考えてきました。
しかし今回の市場では、このパターンが崩れました。
ドル高と金利上昇という逆風
今回の金価格下落の大きな要因として指摘されているのが、ドル高と金利上昇です。
金はドル建てで取引される資産です。ドルが強くなると、海外投資家にとって金の購入コストが上昇します。その結果、需要が弱まりやすくなります。
さらに重要なのが金利の影響です。
金は利息や配当を生まない資産です。そのため、金利が低い環境では「利息がつかない」というデメリットが目立ちませんが、金利が上昇すると状況が変わります。
例えば米国債の利回りが上昇すれば、安全資産としての選択肢は「金」ではなく「国債」へと移ります。
つまり、
安全資産需要
→ 金ではなく米国債へ流れる
という構造が強まっているのです。
金価格を押し下げる「損失補填売り」
もう一つ重要な要因が、金融市場全体のボラティリティ上昇です。
地政学リスクが高まると、株式や債券など多くの資産価格が同時に下落することがあります。その場合、機関投資家はポートフォリオ全体の損失を埋めるために、利益が出ている資産を売却することがあります。
今回の市場では、
株式や債券が下落
↓
損失補填のため金を売却
↓
金価格が下落
という動きが生じたと分析されています。
つまり、金は安全資産として買われるどころか、利益確定のために売られる資産になった可能性があります。
これは近年の市場構造を象徴する動きともいえます。
銀価格の急落が与えた影響
今回の金価格下落では、銀価格の急落も影響しました。
金と銀はともに貴金属として取引されるため、価格が連動する傾向があります。特に投資家のポートフォリオでは、金と銀が同時に保有されることが多く、片方の価格が急落するともう一方にも影響が及びやすくなります。
イラン攻撃後、銀価格は10%以上下落しました。この急落が貴金属市場全体の弱気ムードを強め、金価格の下落を増幅したとみられています。
さらに、貴金属市場の変動性指数は大きく上昇しています。これは金や銀の価格変動が激しくなっていることを意味します。
価格変動が大きい資産は、短期投資家の売買の影響を受けやすくなります。その結果、金価格は地政学リスクよりも市場全体の資金フローに左右されやすくなっています。
安全資産の概念の変化
今回の動きから見えてくるのは、「安全資産」という概念の変化です。
従来は、
有事
→ 金が上昇
という単純な構図が想定されていました。
しかし現在の金融市場では、
ドル
米国債
金
現金
といった複数の安全資産が存在し、それぞれの相対的な魅力によって資金の流れが変わります。
特に近年は、米国の金利上昇によって米国債の魅力が高まっています。その結果、安全資産需要が金ではなく米国債へと流れるケースが増えています。
また、巨大な機関投資家が市場を動かす現代の金融市場では、ポートフォリオ管理やリスク管理が価格形成に大きく影響します。
そのため、有事の際でも必ずしも金価格が上昇するとは限らなくなっています。
結論
金は長年、安全資産の代表格として位置づけられてきました。しかし今回の市場では、地政学リスクの高まりにもかかわらず金価格は上昇しませんでした。
その背景には、
ドル高
金利上昇
損失補填の売り
貴金属市場の高い変動性
といった複数の要因が存在します。
金融市場が高度化した現在では、金価格は単純に「危機だから上がる」という動きをするとは限りません。金、米国債、ドルなど複数の安全資産の間で資金が移動する構造の中で、価格が決まるようになっています。
安全資産という概念そのものが変化しつつあることを理解することが、現在の金融市場を読み解くうえで重要になっています。
参考
日本経済新聞
有事でも輝けぬ金 NY先物がイラン攻撃後1%安(2026年3月12日夕刊)

