企業年金制度を導入する中小企業が増えるなか、従業員の給与の一部を企業年金の掛金に振り替える「給与減額型選択制企業年金」が注目されています。
この仕組みでは、従業員が給与として受け取る金額を減らし、その相当額を企業年金の掛金として拠出することを選択できます。
給与が減少すると、所得税や住民税だけでなく、社会保険料も減少する場合があります。
そのため、企業と従業員の双方にとって、目先の負担軽減につながる制度として紹介されることがあります。
しかし、社会保険料の減少には注意が必要です。
厚生年金保険料の計算基礎となる標準報酬月額が下がると、将来受け取る老齢厚生年金が減少する可能性があります。
さらに、傷病手当金や出産手当金、雇用保険の基本手当などにも影響する場合があります。
2026年12月からは個人型確定拠出年金(iDeCo)の掛金上限が大幅に引き上げられ、中小企業が従業員の老後資金形成を支援する選択肢も広がります。
企業年金制度を検討する際には、目先の社会保険料削減だけでなく、将来の社会保障給付への影響を理解することが重要です。
給与減額型選択制企業年金の基本的な仕組み
給与減額型選択制企業年金は、従業員が給与の一部を現金で受け取るか、企業年金の掛金に振り替えるかを選択できる仕組みです。
企業型確定拠出年金(企業型DC)で利用されるほか、近年では一部の確定給付企業年金(DB)でも採用されています。
例えば、月額給与が35万円の従業員について、給与のうち3万円を企業年金の掛金に振り替える場合を考えます。
制度設計によっては、現金給与が32万円となり、3万円が企業年金の掛金として拠出されます。
従業員は現金で受け取る給与が減少する一方、将来の年金資産を積み立てることができます。
ただし、給与減額型という名称であっても、実際の給与規程や掛金の取扱いは制度ごとに異なります。
社会保険料の算定対象となる報酬が減少するかどうかについても、具体的な制度設計に基づく確認が必要です。
社会保険料が減少する仕組み
会社員の健康保険料や厚生年金保険料は、原則として標準報酬月額などを基礎に計算されます。
標準報酬月額は、毎月の報酬を一定の等級に区分した金額です。
給与減額型企業年金によって社会保険上の報酬が減少すると、標準報酬月額が下がる場合があります。
例えば、標準報酬月額が36万円から32万円に下がる場合を考えます。
厚生年金保険料率は18.3%であり、原則として会社と従業員が半分ずつ負担します。
標準報酬月額が4万円下がると、厚生年金保険料は労使合計で月額7,320円減少します。
従業員負担分は月額3,660円、会社負担分も月額3,660円です。
年間では、それぞれ4万3,920円の負担軽減になります。
さらに、健康保険料や介護保険料なども減少する場合があります。
ただし、標準報酬月額は等級によって決まるため、給与が減少しても必ず同じ割合で社会保険料が減るわけではありません。
また、実際の変更時期は定時決定や随時改定などの要件によって異なります。
社会保険料削減が将来の厚生年金に与える影響
社会保険料が減少することは、現在の手取り収入にとってメリットに見える場合があります。
しかし、厚生年金の保険料が減少するということは、将来の年金額の計算基礎となる報酬も減少する可能性があることを意味します。
老齢厚生年金の報酬比例部分は、原則として加入期間中の標準報酬月額や標準賞与額などに基づいて計算されます。
例えば、標準報酬月額が4万円低い状態が20年間続いた場合を考えます。
2003年4月以降の加入期間について、報酬比例部分の基本的な計算率である5.481/1,000を用いると、将来の老齢厚生年金の年額は約5万2,600円少なくなる計算です。
これは標準賞与額の変化や再評価率などを考慮しない単純計算です。
実際の年金額は加入履歴や制度上の調整によって異なります。
それでも、社会保険料の削減が長期間続くと、老後に受け取る厚生年金に影響することが分かります。
年金減少は生涯にわたる可能性
老齢厚生年金は、原則として生涯にわたって支給されます。
そのため、標準報酬月額の低下による年金額の減少は、退職後の長い期間に影響する可能性があります。
例えば、将来の老齢厚生年金が年間5万円減少した場合、20年間の受給では単純計算で100万円の差になります。
25年間では125万円です。
もちろん、実際の年金額は物価や賃金の変動、年金額改定などによって変わります。
また、給与減額型企業年金では、減額した給与に相当する掛金が企業年金資産として積み立てられます。
したがって、厚生年金が減少することだけを理由に、制度全体が必ず不利になるとは限りません。
企業年金として積み立てた資産の運用成果や給付額と、公的年金の減少額を比較する必要があります。
重要なのは、現在の社会保険料削減額だけで制度の有利不利を判断しないことです。
傷病手当金への影響
給与減額型企業年金の影響は、老齢厚生年金だけではありません。
健康保険の傷病手当金にも注意が必要です。
傷病手当金は、業務外の病気やけがによって働けず、一定の要件を満たした場合に支給される制度です。
支給額は、原則として支給開始日前の継続した12か月間の各月の標準報酬月額の平均額を基礎に計算されます。
そのため、給与減額型企業年金によって標準報酬月額が下がると、傷病手当金の支給額も減少する場合があります。
例えば、標準報酬月額が36万円から32万円に下がり、その水準が算定対象期間に反映されると、傷病手当金の計算基礎も小さくなります。
病気やけがによる長期休業は、誰にでも発生する可能性があります。
目先の社会保険料を減らすことが、万一の際の所得保障を減らす可能性がある点は、十分に理解しておく必要があります。
出産手当金や雇用保険給付への影響
給与減額型企業年金は、出産手当金にも影響する場合があります。
出産手当金は、健康保険の被保険者が出産のために仕事を休み、給与の支払いを受けられない場合などに支給される制度です。
支給額の計算には標準報酬月額が関係します。
そのため、給与減額によって標準報酬月額が下がると、出産手当金が減少する可能性があります。
また、雇用保険の基本手当についても注意が必要です。
基本手当の日額は、原則として離職前の一定期間に支払われた賃金を基礎に計算されます。
給与減額型企業年金によって雇用保険上の賃金が減少する場合には、離職後の基本手当が少なくなる可能性があります。
ただし、雇用保険上の賃金に該当するかどうかは、制度の具体的な設計や支給実態によって判断されます。
社会保険料が減少する制度については、老後だけでなく、現役時代の生活保障への影響も確認する必要があります。
企業側にも社会保険料削減のメリット
社会保険料は、原則として会社と従業員が分担して負担します。
そのため、標準報酬月額が下がると、従業員だけでなく会社の社会保険料負担も減少します。
例えば、従業員50人について、会社負担の社会保険料が1人当たり月額5,000円減少した場合を考えます。
会社全体では月額25万円、年間300万円の負担軽減になります。
従業員数が多いほど、会社にとっての削減効果は大きくなります。
中小企業では人件費や社会保険料の負担が経営上の課題となっているため、こうした効果が制度導入の動機になる場合があります。
しかし、従業員の将来の社会保障給付が減少する可能性を十分に説明せず、会社の社会保険料削減だけを目的として導入することには問題があります。
福利厚生制度は、会社の費用削減だけでなく、従業員の生活保障を充実させるという目的を持つべきです。
通常のiDeCoとの違い
通常のiDeCoは、加入者本人が給与などから掛金を拠出する制度です。
掛金は全額が小規模企業共済等掛金控除の対象になります。
一方、iDeCoの掛金を所得控除したこと自体によって、社会保険料の算定基礎となる標準報酬月額が減少するわけではありません。
例えば、月額給与35万円の会社員がiDeCoに月額3万円を拠出しても、通常は給与35万円を基礎とした社会保険上の報酬の取扱いが変わるわけではありません。
そのため、iDeCoの掛金拠出によって、将来の老齢厚生年金や傷病手当金が直接減少することはありません。
2026年12月からは、企業年金のない会社員のiDeCo掛金上限が月額6万2,000円に引き上げられます。
これにより、給与を減額する仕組みを利用しなくても、所得控除を活用しながら老後資金を積み立てられる余地が大きくなります。
iDeCoプラスという選択肢
中小企業が従業員の老後資金形成を支援する方法として、iDeCoプラスがあります。
iDeCoプラスは、一定の要件を満たす従業員300人以下の企業が、従業員本人のiDeCo掛金に事業主掛金を上乗せできる制度です。
企業年金を実施していない中小企業などが対象になります。
例えば、従業員が月額1万円を拠出し、会社が月額1万円を追加負担すれば、合計月額2万円を老後資金として積み立てられます。
会社が給与を減額せずに掛金を追加負担する設計であれば、従業員の通常の給与水準を維持しながら老後資金形成を支援できます。
ただし、会社には追加の費用負担が生じます。
そのため、給与減額型企業年金とiDeCoプラスは、会社の負担構造が同じではありません。
比較する際には、会社の費用、従業員の手取り収入、将来の企業年金給付、公的年金への影響を総合的に考える必要があります。
従業員への説明と制度選択の重要性
給与減額型企業年金を導入する場合、従業員に対する十分な説明が欠かせません。
特に、社会保険料が減少することだけを強調する説明は適切ではありません。
標準報酬月額が下がる可能性や、それによって将来の老齢厚生年金、傷病手当金、出産手当金などに影響が生じる可能性を説明する必要があります。
また、企業年金の掛金として拠出した資金は、原則として老後まで自由に引き出せません。
企業型DCでは運用成果によって将来の受取額が変わり、元本割れの可能性もあります。
DBでは制度の給付設計や財政状況などを確認する必要があります。
従業員が制度のメリットとデメリットを理解したうえで選択できる環境を整えることが重要です。
会社側も、制度導入後の給与規程や社会保険上の取扱いについて、専門家と確認する必要があります。
結論
給与減額型選択制企業年金は、従業員の老後資金形成を支援する一方、給与や社会保険料の取扱いによって将来の社会保障給付に影響する可能性がある制度です。
標準報酬月額が下がれば、現在の社会保険料負担は減少する場合があります。
しかし、将来の老齢厚生年金や傷病手当金、出産手当金などが減少する可能性があります。
また、雇用保険上の賃金が減少する場合には、失業時の基本手当にも影響することがあります。
一方、企業年金として積み立てられる資産や将来の給付もあるため、制度全体の有利不利は個別に判断する必要があります。
2026年12月からのiDeCo拡充によって、企業年金のない会社員は月額6万2,000円まで拠出できるようになります。
さらに、中小企業ではiDeCoプラスを活用し、会社が従業員の老後資金形成を支援する選択肢もあります。
人生100年時代の福利厚生制度では、現在の税金や社会保険料の削減だけでなく、将来の年金や生活保障まで考えることが重要です。
企業と従業員の双方が制度の仕組みを正しく理解し、長期的な視点から老後資金形成の方法を選択することが求められます。
参考
日本経済新聞 2026年11月1日 朝刊
「iDeCoが12月大幅拡充、利用拡大へ『企業年金弱者』加入が焦点」
厚生労働省「確定拠出年金制度」
日本年金機構「標準報酬月額・標準賞与額」
日本年金機構「老齢厚生年金の受給要件・支給開始時期・年金額」
全国健康保険協会「傷病手当金」
全国健康保険協会「出産手当金」
厚生労働省「雇用保険制度」
国民年金基金連合会「中小事業主掛金納付制度(iDeCoプラス)」