2029年8月から、75歳以上の後期高齢者医療制度に株式や投資信託の売却益、配当などの金融所得を反映する新たな仕組みが始まる予定です。
この制度変更によって、老後の金融資産をどのように取り崩すかという問題は、これまで以上に重要になります。
従来の老後資産設計では、金融資産を何歳まで維持できるか、運用利回りをどの程度確保できるか、毎年いくら取り崩せるかという点が重視されてきました。
しかし、今後は資産を取り崩した際に発生する所得税・住民税だけでなく、医療保険料や医療費の窓口負担への影響も考慮する必要があります。
さらに、介護保険料や介護サービスの利用者負担、配偶者の死亡後の生活費、相続対策なども関係します。
金融資産が同じ5,000万円でも、預貯金、NISA口座、課税口座のどこに保有しているかによって、実際に生活費として使える金額は異なります。
また、金融資産を一括して売却する場合と、長期間にわたって少しずつ取り崩す場合では、税金や社会保険負担に差が生じる可能性があります。
今回は、人生100年時代に必要な資産取り崩し戦略について、税金、社会保険料、医療費、介護費、相続対策を含めて総合的に整理します。
老後資産は残高よりも使える金額が重要
老後の資産管理では、金融資産の残高だけで生活の安定性を判断することはできません。
例えば、金融資産5,000万円を保有している人が2人いる場合です。
一方は預貯金を中心に保有し、もう一方は多額の含み益がある株式や投資信託を課税口座で保有しているとします。
預貯金を取り崩す場合には、原則として元本の払い戻しに所得税・住民税はかかりません。
一方、課税口座で株式や投資信託を売却し、譲渡益が発生した場合には、原則として20.315%の所得税・住民税が課税されます。
さらに、2029年からの新制度では、その金融所得が後期高齢者医療制度の負担判定に反映される予定です。
そのため、同じ金額の金融資産を保有していても、生活費として利用できる手取り額には差が生じます。
老後の資産設計では、金融資産の時価だけでなく、税金や社会保険負担を差し引いた後の利用可能額を把握することが重要です。
公的年金と生活費の不足額を把握する
資産取り崩し戦略の出発点は、公的年金収入と生活費の差額を把握することです。
例えば、夫婦の公的年金収入が年間300万円、年間生活費が360万円の場合です。
単純計算では、年間60万円の不足が生じます。
この不足分を金融資産から補う必要があります。
ただし、実際の家計では、年金から所得税・住民税や社会保険料が差し引かれる場合があります。
また、医療費、介護費、住宅修繕費、家電製品の買い替えなど、毎年一定ではない支出もあります。
そのため、年間生活費を計算する際には、日常生活費と臨時支出を分けて考えることが重要です。
例えば、日常生活費が年間300万円、医療費や住宅修繕費などのための年間予備費が60万円であれば、必要な資金は年間360万円です。
公的年金の手取り収入との差額を基に、金融資産の取り崩し額を計画する必要があります。
65歳から74歳までの資産取り崩し
老後資産の取り崩しを考える際には、65歳から74歳までの期間が重要になります。
この期間は、原則として後期高齢者医療制度に加入する前の段階です。
ただし、国民健康保険や勤務先の健康保険など、加入している医療保険制度によって金融所得の取り扱いは異なります。
例えば、65歳で退職し、75歳までの10年間に課税口座の株式や投資信託を計画的に売却する方法が考えられます。
75歳以降に多額の売却益を発生させることを避けるため、早い段階から資産構成を見直すという考え方です。
ただし、75歳前に売却すれば社会保険負担が発生しないというわけではありません。
国民健康保険に加入している場合には、確定申告した金融所得などが保険料に影響することがあります。
また、売却益に対する所得税・住民税も発生します。
そのため、75歳前の売却が必ず有利になるとは限りません。
退職後の所得、加入する医療保険制度、売却益の金額などを確認しながら判断する必要があります。
75歳以降は金融所得の発生時期が重要
75歳になると、原則として後期高齢者医療制度に加入します。
2029年8月からの新制度では、源泉徴収ありの特定口座で確定申告をしなかった一定の金融所得についても、保険料や医療費の窓口負担割合などの判定に反映される予定です。
そのため、75歳以降に多額の株式売却益や配当収入が発生する場合には、社会保険負担への影響を考える必要があります。
例えば、課税口座で1,000万円の含み益がある株式を一括売却する場合です。
売却益に対する所得税・住民税は、原則として203万1,500円です。
さらに、金融所得が後期高齢者医療制度の保険料や窓口負担割合に影響する可能性があります。
一方、売却を複数年に分ければ、各年の金融所得を抑えられる場合があります。
ただし、保険料には賦課限度額があり、窓口負担割合にも所得判定の基準があります。
そのため、売却を分散する方が必ず有利になるわけではありません。
実際の負担を比較する際には、各年度の税金と社会保険料、医療費の自己負担を合計して検討する必要があります。
NISA口座を活用した取り崩し戦略
NISAは、老後の資産取り崩しにおいて重要な役割を果たします。
NISA口座で得た非課税の売却益や配当などは、今回の新たな金融所得反映の対象外とされています。
例えば、NISA口座で購入した投資信託が1,000万円から1,500万円に値上がりした場合です。
その投資信託を売却して500万円の利益が発生しても、NISAの非課税要件を満たしていれば、所得税・住民税は課税されません。
また、その非課税所得は今回の後期高齢者医療制度における新たな金融所得反映の対象外です。
一方、課税口座で同じ500万円の売却益が発生した場合には、原則として101万5,750円の税金がかかります。
さらに、社会保険負担への影響も考慮する必要があります。
ただし、NISA口座の資産を早期に取り崩すと、将来の非課税運用の機会を失う可能性があります。
そのため、NISA口座を優先して取り崩すか、課税口座を先に取り崩すかは、資産構成や生活費の必要額によって判断する必要があります。
預貯金と安全資産の役割
老後の資産管理では、株式や投資信託だけでなく、預貯金などの安全性の高い資産も重要です。
特に、医療費や介護費などの支出は、予測が難しい場合があります。
そのため、生活費の一定期間分を預貯金などで確保しておくことが考えられます。
例えば、年間生活費が300万円で、公的年金の手取り収入が240万円の場合、年間不足額は60万円です。
この不足額の5年分に相当する300万円を預貯金で確保しておけば、株式市場が下落した場合にも、直ちに株式や投資信託を売却する必要性を抑えられます。
また、預貯金の利子は、今回の新たな金融所得反映の対象外とされています。
ただし、預貯金には物価上昇によって実質的な購買力が低下するリスクがあります。
そのため、すべての金融資産を預貯金で保有することが合理的とは限りません。
生活費の安定性と長期的な資産形成の両方を考えることが重要です。
高配当株と無分配型投資信託の使い分け
老後の生活費を補う方法として、高配当株投資があります。
高配当株は、保有株式を売却せずに定期的な配当収入を得られる点が特徴です。
例えば、1,000万円を配当利回り4%の株式に投資した場合、年間40万円の配当収入が期待できます。
ただし、配当金は企業の業績や配当方針によって変動します。
また、課税口座で受け取る配当金は、2029年からの新制度において社会保険負担に影響する可能性があります。
一方、無分配型投資信託では、運用収益がファンド内で再投資されても、投資家本人に直ちに配当所得が発生するわけではありません。
必要な金額を売却することで、生活費を確保する方法が考えられます。
ただし、売却益が発生すれば、課税口座では税金や社会保険負担への影響があります。
また、相場が下落している時期に売却が必要になる可能性もあります。
高配当株と無分配型投資信託は、どちらか一方が常に有利というわけではありません。
収入の安定性、運用リスク、税金、社会保険負担を総合的に考える必要があります。
医療費と介護費の増加に備える
高齢期には、年齢とともに医療サービスや介護サービスを利用する機会が増える可能性があります。
後期高齢者医療制度では、所得区分に応じて医療費の窓口負担割合が1割、2割、3割に分かれています。
また、高額療養費制度によって、一定の自己負担限度額が設けられています。
介護保険でも、所得に応じてサービス利用時の自己負担割合が1割、2割、3割となります。
さらに、高額介護サービス費制度や高額医療・高額介護合算療養費制度などがあります。
そのため、老後の医療費や介護費を考える際には、窓口負担割合だけでなく、各制度の自己負担限度額を確認する必要があります。
また、介護保険への金融所得反映についても議論されていますが、2026年10月時点では具体的な開始時期や対象範囲は決定していません。
将来の制度変更に備えるためには、医療費と介護費の予備資金を確保しながら、金融資産の取り崩し計画を見直すことが重要です。
夫婦の年齢差と相続を考慮する
夫婦で老後の資産管理を行う場合には、夫婦それぞれの年齢や年金収入、金融資産の名義を確認する必要があります。
例えば、夫が80歳、妻が70歳の場合です。
夫は後期高齢者医療制度に加入していますが、妻は別の医療保険制度に加入している可能性があります。
そのため、金融所得が発生する人によって、社会保険負担への影響が異なる場合があります。
ただし、夫婦間で金融資産を移転する場合には、贈与税の問題が生じる可能性があります。
また、夫婦のどちらか一方が亡くなった場合には、世帯構成や年金収入、金融資産の保有状況が変わります。
相続した株式や投資信託を売却する場合には、原則として被相続人の取得費を引き継ぐため、多額の譲渡益が発生する場合があります。
その結果、所得税・住民税だけでなく、社会保険負担にも影響する可能性があります。
夫婦の資産管理では、相続前と相続後の両方を考えた計画が必要です。
85歳以降の資産取り崩し
人生100年時代の資産管理では、85歳以降の生活も考える必要があります。
高齢になるほど、金融資産の管理や投資判断が難しくなる場合があります。
また、認知機能の低下や身体機能の変化によって、金融機関での手続きが負担になる可能性もあります。
そのため、85歳以降の生活費については、複雑な売買を前提としない資産管理が重要になります。
例えば、一定期間の生活費を預貯金で確保し、残りの金融資産を長期運用する方法が考えられます。
また、家族による支援が必要になる場合に備えて、財産管理の方法を検討することも重要です。
任意後見契約や家族信託などは選択肢になりますが、それぞれ制度上の特徴や費用、制約があります。
税金や社会保険負担の軽減だけでなく、本人が安心して金融資産を利用できる仕組みを整えることが大切です。
金融資産5,000万円の取り崩しモデル
ここで、金融資産5,000万円を保有する人の資産取り崩しを考えます。
例えば、預貯金1,000万円、NISA口座1,500万円、課税口座2,500万円という構成です。
年間の生活費不足額が100万円であれば、運用収益や物価変動を考慮しない単純計算では、金融資産5,000万円は50年間分の不足額に相当します。
ただし、実際には医療費や介護費、住宅修繕費などの臨時支出が発生します。
また、株式や投資信託の価格変動によって、金融資産の残高は増減します。
そのため、50年間取り崩せることが保証されるわけではありません。
取り崩し方法としては、まず生活費の予備資金を預貯金で確保し、課税口座とNISA口座の取り崩しを計画的に組み合わせることが考えられます。
課税口座で多額の含み益がある場合には、売却時期を分散する方法もあります。
一方、NISA口座の非課税運用を長く維持することにもメリットがあります。
重要なのは、金融資産の残高だけでなく、毎年の手取り収入と生活費の不足額を確認することです。
税理士・FPの視点から考える総合的な老後設計
人生100年時代の資産取り崩しでは、税金、社会保険料、医療費、介護費を別々に考えるのではなく、総合的に判断する必要があります。
まず、公的年金の手取り収入と生活費の不足額を把握します。
次に、預貯金、NISA口座、課税口座の保有状況を整理します。
さらに、課税口座の取得費、含み益、配当収入、年間の売却予定額を確認します。
そのうえで、75歳以降の後期高齢者医療制度への影響を検討します。
また、医療費や介護費の増加、配偶者の死亡、相続などによって、家計の状況が変化する可能性があります。
そのため、資産取り崩し計画は一度作成すれば終わりというものではありません。
年金収入、金融資産の残高、運用状況、税制、社会保険制度などを定期的に確認し、必要に応じて見直すことが重要です。
特に、2029年からの金融所得反映については、今後公表される具体的な制度内容を確認する必要があります。
未確定の制度変更を前提として、資産運用を大きく変更することは避けるべきです。
結論
2029年8月から始まる金融所得の後期高齢者医療制度への反映によって、老後の資産取り崩し戦略は新たな段階に入ります。
これまでは、金融資産を何歳まで維持できるか、運用利回りをどの程度確保できるかという点が重視されてきました。
今後は、金融資産を取り崩した際に発生する所得税・住民税だけでなく、医療保険料や医療費の窓口負担への影響も考慮する必要があります。
また、介護保険料や介護費、夫婦の年齢差、相続対策なども重要な要素になります。
ただし、社会保険負担を抑えることだけを目的として、金融資産を早期に売却したり、運用方針を大きく変更したりすることは適切ではありません。
重要なのは、公的年金と金融資産を組み合わせ、必要な生活費を安定的に確保することです。
人生100年時代の資産管理では、金融資産を増やすことだけでなく、税金、社会保険料、医療費、介護費を含めて、必要な時期に必要な金額を使える仕組みを整えることが求められます。
そのためには、預貯金、NISA口座、課税口座を適切に組み合わせ、ライフステージに応じた資産取り崩し計画を継続的に見直すことが重要です。
参考
日本経済新聞 2026年10月31日 朝刊「金融所得を高齢者医療に反映 NISAは対象外、資産売却時期で負担変化」
厚生労働省「後期高齢者医療制度」
厚生労働省「後期高齢者医療制度における金融所得の公平な反映」
厚生労働省「高額療養費制度を利用される皆さまへ」
厚生労働省「介護保険制度の概要」
金融庁「NISAを知る」
国税庁「株式等を譲渡したときの課税」
国税庁「相続財産を譲渡した場合の取得費の特例」