インフレと人手不足を背景に、日本企業の福利厚生が大きく変わり始めています。
かつて福利厚生といえば、社員旅行、保養所、社宅、家族手当、退職金などが代表的でした。
これらは終身雇用や年功序列を前提とした日本型雇用制度とともに発展してきました。
しかし、現在の若手社員は、転職や共働きが一般的になった環境で働いています。
企業に求めるものも、長期的な生活保障だけでなく、現在の生活費の軽減、働きやすさ、自己成長、健康、時間の有効活用などへと広がっています。
企業側も、従来の福利厚生を維持するだけでは、採用競争に対応することが難しくなっています。
今回は、昭和型の福利厚生と令和型の福利厚生を比較し、これからの企業に求められる制度設計について考えます。
昭和型福利厚生は長期雇用を支える制度だった
高度経済成長期の日本では、企業が従業員の生活を幅広く支援する仕組みが発展しました。
代表的な制度が、社宅、社員寮、保養所、社員旅行、家族手当などです。
これらの制度には、従業員が同じ会社で長く働くことを促す役割がありました。
例えば、社宅は従業員の住宅費を抑えるだけでなく、転勤を伴う人事異動を円滑にする機能も持っていました。
家族手当は、配偶者や子どもを扶養する従業員の生活を支える制度でした。
また、社員旅行や運動会などは、従業員同士の交流を深め、企業への帰属意識を高める役割を担っていました。
当時は、企業が従業員の仕事だけでなく、生活全体を支えるという考え方が強かったといえます。
しかし、バブル経済崩壊後の経営環境の悪化によって、企業は福利厚生費の削減を進めました。
保養所の売却や社員旅行の縮小などが広がり、福利厚生は一時的に見直しの対象となりました。
令和型福利厚生は日常生活への支援を重視
現在の福利厚生は、従業員の日常生活に直接役立つ制度へと変化しています。
例えば、社員食堂の無料化、食事補助、美容手当、資格取得支援、健康支援などです。
LINEマンガを運営するLINE Digital Frontierは、2026年8月から社員食堂の朝食、昼食、夕食を無料にしました。
従業員は出社すれば3食を会社負担で利用できます。
この制度は食費の軽減に加え、出社促進や社内コミュニケーションの活性化も目的としています。
また、SNS運用代行のリソースクリエイションは、最大年間20万円の美容手当を導入しています。
美容に関する支出を支援することで、従業員の満足度向上や企業文化の発信につなげています。
これらの制度に共通するのは、従業員が現在の生活で価値を実感しやすいことです。
将来の保障だけでなく、毎日の生活や仕事への意欲を支えることが重視されています。
インフレが福利厚生の選択基準を変えた
福利厚生の変化を加速させているのが、物価上昇です。
食料品、電気代、家賃、交通費などが上昇すると、従業員の可処分所得は圧迫されます。
給与が増えても、物価上昇に追いつかなければ、生活水準を維持することは難しくなります。
こうした環境では、社員食堂や住宅補助など、生活費を直接軽減する制度の価値が高まります。
例えば、毎月1万5,000円の食費を会社の制度によって節約できれば、年間では18万円になります。
また、住宅費を毎月3万円軽減できれば、年間36万円の支出削減効果があります。
ただし、これらの金額は生活費の節約効果を示すものであり、税務上の非課税額を意味するものではありません。
会社による食事や住宅の提供は、制度の内容によって給与課税や社会保険上の報酬算入が生じる場合があります。
それでも、生活費の負担を軽減できる制度は、従業員にとって分かりやすい魅力があります。
若手社員は給与以外の価値も重視する
若手社員の働き方に対する価値観は多様化しています。
給与水準や昇進機会に加え、働く時間、勤務地、職場の人間関係、自己成長などを重視する人もいます。
例えば、在宅勤務や時差出勤を利用できれば、通勤時間を短縮できます。
資格取得支援があれば、将来のキャリア形成に役立ちます。
また、健康支援や美容手当などは、仕事以外の生活にも関係する制度です。
ただし、若手社員が全員同じ福利厚生を求めているわけではありません。
住宅補助を重視する人もいれば、自己啓発支援や休暇制度を重視する人もいます。
企業が若手社員の採用を考える際には、世代全体を一括りにするのではなく、個々の従業員の事情を把握することが重要です。
福利厚生の選択肢を増やし、従業員が自分に必要な制度を利用できる仕組みが求められます。
家族手当の見直しが示す雇用環境の変化
昭和型福利厚生の代表例である家族手当も、見直しの対象となっています。
従来の家族手当は、配偶者や子どもを扶養する従業員に一定額を支給する制度が中心でした。
特に、専業主婦世帯を想定した配偶者手当は、日本型雇用制度を象徴する仕組みの一つでした。
しかし、共働き世帯の増加や家族構成の多様化によって、制度の公平性が課題になっています。
例えば、同じ仕事をしている従業員でも、配偶者の有無によって手当の支給額が異なる場合があります。
また、配偶者の収入要件が設けられている制度では、働き方の選択に影響する可能性があります。
こうした課題を踏まえ、家族手当を基本給に組み込んだり、子育て支援に重点を移したりする企業もあります。
ただし、家族手当には生活保障としての役割もあります。
制度の廃止や縮小によって従業員の収入が減少する場合には、労働条件の不利益変更に関する問題が生じる可能性があります。
企業は制度の公平性と生活保障の双方を考慮する必要があります。
社員旅行から日常的な交流支援へ
社員旅行や社内運動会なども、従来型の福利厚生を象徴する制度です。
これらは従業員同士の交流を深める目的で実施されてきました。
しかし、休日の過ごし方や職場との距離感に対する価値観は多様化しています。
会社行事への参加を負担に感じる従業員もいるため、従来型の一律参加を前提とした制度が必ずしも適切とは限りません。
一方、社員食堂や社内カフェなど、日常的に利用できる交流の場を整備する企業もあります。
こうした制度は、特別な行事を設けなくても、従業員同士が自然に会話する機会を生み出します。
ただし、社員旅行そのものが時代遅れになったわけではありません。
従業員が希望して参加できる旅行や交流イベントには、現在でも一定の価値があります。
重要なのは、企業が参加を強制するのではなく、従業員の意思を尊重することです。
カフェテリアプランは多様な価値観に対応する
従業員の価値観が多様化するなか、福利厚生の選択肢を提供する制度として、カフェテリアプランがあります。
カフェテリアプランとは、企業が従業員に一定のポイントなどを付与し、用意された福利厚生メニューから必要なサービスを選択できる仕組みです。
例えば、年間5万円相当のポイントを付与し、健康支援、自己啓発、育児支援、介護支援などに利用できる制度が考えられます。
従業員は、自分の生活状況に合ったサービスを選べます。
企業側にとっても、予算の上限を設定しやすいという利点があります。
ただし、カフェテリアプランを導入すれば、すべての給付が所得税で非課税になるわけではありません。
税務上は、各メニューの内容や利用条件に応じて、給与課税の有無を判断する必要があります。
また、換金性の高い給付や、特定の従業員だけに著しく有利な制度などについては注意が必要です。
社会保険上の取扱いについても、給付の実態に基づいて確認する必要があります。
福利厚生の公平性はどう確保するのか
令和型福利厚生では、従業員間の公平性が重要な課題になります。
例えば、社員食堂を無料にしても、在宅勤務者や外勤者は利用できない場合があります。
美容手当を設けても、美容に関心のない従業員には利用価値が小さいかもしれません。
住宅補助も、賃貸住宅に住む従業員と持ち家の従業員で利用条件が異なる場合があります。
こうした違いをすべてなくすことは難しいものの、企業は制度の目的と対象者の範囲を合理的に説明する必要があります。
また、正社員とパートタイマー、有期雇用労働者との間の待遇差については、パートタイム・有期雇用労働法などとの関係にも注意が必要です。
福利厚生の名称や雇用形態だけで判断するのではなく、制度の趣旨や利用条件に照らして待遇差の合理性を検討することが重要です。
福利厚生の税務上の取扱いも多様化する
福利厚生が多様化すると、税務上の判断も複雑になります。
例えば、社員食堂で食事を提供する場合には、一定の要件を満たすことで所得税の非課税取扱いが認められます。
一方、食事手当を現金で支給する場合には、原則として給与課税の対象になります。
住宅支援についても、住宅手当を現金支給する場合と、会社が借上げ社宅を提供する場合では取扱いが異なります。
美容手当や自己啓発支援についても、個人的な支出の補助なのか、業務上必要な費用なのかによって判断が変わることがあります。
さらに、所得税で非課税とされる場合でも、社会保険では報酬に含まれることがあります。
企業が新しい福利厚生制度を導入する際には、人事部門だけでなく、経理、税務、社会保険の担当者が連携する必要があります。
制度の魅力だけでなく、適切な事務処理を行えることも重要です。
これからの福利厚生は選択できることが重要
昭和型福利厚生は、企業が従業員に共通のサービスを提供する仕組みが中心でした。
一方、令和型福利厚生では、従業員が自分に必要な支援を選べることが重要になっています。
例えば、若手社員には住宅補助や資格取得支援が役立つ場合があります。
子育て世代には、育児支援や柔軟な勤務制度が重要になります。
中高年社員には、健康管理や介護支援、リスキリングなどが役立つ可能性があります。
ただし、年齢だけで必要な福利厚生が決まるわけではありません。
同じ年代でも、家族構成、健康状態、勤務地、働き方によってニーズは異なります。
企業は従業員の声を継続的に聞き、制度の利用状況を確認しながら改善していくことが重要です。
福利厚生は、一度導入すれば完成する制度ではありません。
社会環境や従業員の価値観の変化に合わせて見直していく必要があります。
結論
日本企業の福利厚生は、昭和型の生活保障中心の制度から、令和型の多様な生活支援へと変化しています。
背景には、インフレ、人手不足、共働き世帯の増加、転職の一般化、働き方の多様化があります。
従来の社宅、家族手当、社員旅行などには、長期雇用を支える役割がありました。
一方、現在は社員食堂、食事補助、美容手当、資格取得支援、健康支援など、日常生活や自己成長を支える制度が注目されています。
ただし、新しい制度が必ずしも優れているわけではありません。
住宅補助や家族手当など、従来型の制度にも現在の生活を支える重要な役割があります。
企業に求められるのは、昭和型の福利厚生を一律に廃止することではなく、従業員の多様なニーズに合わせて制度を再構築することです。
また、福利厚生の充実は、適切な賃金水準の確保と両立させる必要があります。
福利厚生だけで人材を確保できるわけではありません。
給与、働き方、職場環境、成長機会を総合的に整えることが重要です。
これからの企業競争では、従業員がどのような生活を送り、どのような働き方を望んでいるかを理解することが、採用力と定着率を左右するでしょう。
福利厚生の改革は、単なる制度の見直しではありません。
企業と従業員の関係を、新しい時代に合わせて再構築する取組みといえるでしょう。
参考
日本経済新聞 2026年10月20日 朝刊 美容手当に年20万円・社食3食無料 福利厚生、インフレが変える
厚生労働省 企業の福利厚生に関する調査
帝国データバンク 2025年 福利厚生に関する企業の意識調査
国税庁 タックスアンサー カフェテリアプランによる経済的利益
厚生労働省 同一労働同一賃金に関する制度案内