突然の病気や事故によって意識を失い、自分の意思を伝えられなくなったとき、人工呼吸器などの生命維持治療を受けるかどうかは、誰が決めるのでしょうか。
本人でしょうか。家族でしょうか。それとも医師でしょうか。
医療技術の進歩によって、重い病気や事故に遭っても生命を維持できる可能性が広がっています。
一方で、治療によって生命を維持できることと、本人が望む生き方を実現できることは、必ずしも一致しません。
2026年9月下旬、日本集中治療医学会など4学会は、救急・集中治療における生命維持治療について、新たな指針を公表しました。
人工呼吸器などの治療を開始しない場合や、すでに実施している治療を終了する場合の手順を示したものです。
今回の指針は、医療の現場だけでなく、人生100年時代を生きる私たちにとっても重要な意味を持っています。
今回は、生命維持治療を巡る意思決定の仕組みと本人の意思を尊重するための備えについて考えます。
生命維持治療とは何か
生命維持治療とは、生命に関わる身体機能を医学的に支えるための治療です。
代表的なものとして、人工呼吸器による呼吸管理、心肺蘇生、人工透析、重症患者に対する循環補助などがあります。
例えば、重い肺炎によって自力で十分に呼吸できなくなった場合、人工呼吸器を使用することがあります。
治療によって肺の機能が回復すれば、人工呼吸器を外して通常の生活に戻れる可能性があります。
一方、重い脳障害などによって意識が回復せず、長期間にわたり生命維持治療が必要になる場合もあります。
同じ人工呼吸器でも、使用する目的や患者の状態によって意味は大きく異なります。
そのため、人工呼吸器を使用すること自体が、直ちに延命を目的とした治療になるわけではありません。
重要なのは、治療によって何を目指すのかという点です。
生命を救い、回復につなげるための治療なのか。それとも回復が極めて難しい状況で生命機能を支え続ける治療なのか。
こうした違いを理解することが、生命維持治療について考える出発点になります。
なぜ生命維持治療の判断が難しいのか
生命維持治療を巡る判断が難しい理由の一つは、将来の回復可能性を正確に予測できない場合があることです。
例えば、集中治療室に搬送された患者について、治療開始時点では回復の見通しが明確でないことがあります。
その後の治療経過によって、回復の可能性が高まる場合もあれば、反対に厳しい状況が明らかになる場合もあります。
また、患者本人の価値観によって、望ましい治療方針が異なることもあります。
可能な限り生命を維持したいと考える人もいれば、身体的な苦痛を減らすことを重視する人もいます。
家族と過ごす時間を少しでも長く確保したいと希望する人もいるでしょう。
こうした価値観には、単純な正解がありません。
さらに、患者が意識を失っている場合には、本人の希望を直接確認することができません。
医療チームは医学的な状況を評価しながら、本人の意思や価値観を尊重する方法を検討する必要があります。
生命維持治療の判断には、医学的な知識だけでなく、倫理的な配慮や家族との対話が欠かせないのです。
2026年9月に公表された新しい指針
2026年9月下旬、日本集中治療医学会など4学会は、救急・集中治療における生命維持治療について、新たな指針をまとめました。
この指針では、人工呼吸器などの生命維持治療を開始しない場合や、すでに実施している治療を終了する場合の手順が示されています。
特徴的なのは、終末期医療や延命治療という表現ではなく、生命維持治療という言葉を使用していることです。
どこからが延命に当たるのかを、一律に区切ることは難しいためです。
治療方針については、患者本人の意思を尊重し、医療チームが患者や家族と十分に話し合って検討することが基本になります。
本人の意思を確認できない場合には、家族等とともに本人にとって最善と考えられる方針を探ります。
重要なのは、この指針が生命維持治療を一律に控えることを求めるものではないという点です。
治療を続けることが適切な場合もあれば、治療による利益と負担を慎重に検討する必要がある場合もあります。
患者ごとの医学的な状況や価値観を踏まえて判断することが求められています。
生命維持治療は誰が決めるのか
生命維持治療の意思決定では、本人の意思を尊重することが基本になります。
本人が十分な説明を受け、判断能力を持って意思表示できる場合には、その意思を踏まえて医療方針を検討します。
ただし、本人の希望があれば、医学的に適応のない治療まで必ず実施されるという意味ではありません。
医療の専門的な判断と本人の意思の双方を踏まえる必要があります。
では、本人が意思表示できない場合はどうなるのでしょうか。
厚生労働省のガイドラインでは、家族等が本人の意思を推定できる場合、その推定意思を尊重し、本人にとって最善の方針を基本として医療・ケアチームが慎重に判断することとされています。
本人の意思を推定できない場合には、家族等と十分に話し合い、本人にとって最善の方針を検討します。
ここで注意したいのは、家族が本人に代わって、あらゆる医療行為を自由に決定できるわけではないということです。
日本では、家族であるという理由だけで、すべての医療行為について包括的な法定代理権が与えられる制度にはなっていません。
医療チームと家族等が話し合い、本人の意思や利益を尊重しながら方針を検討することが重要です。
家族の意見が分かれた場合はどうするのか
生命維持治療を巡っては、家族の意見が分かれることもあります。
例えば、80代の父親が重い病気で意識を失った場合を考えてみましょう。
長男は、可能な限り治療を続けてほしいと希望しています。
一方、長女は、父親が以前から身体的な苦痛を伴う治療を望まないと話していたことを覚えています。
母親は、どちらの考えにも理解を示しながら、判断に迷っています。
このような場合、家族の多数決で治療方針を決めればよいというものではありません。
重要なのは、本人がどのような価値観を持ち、何を望んでいたのかを確認することです。
家族の意見が対立する場合には、医療チームがそれぞれの考えを丁寧に聞き取り、医学的な状況について説明する必要があります。
また、判断が難しい場合には、複数の専門家による検討や、医療機関の倫理委員会などの仕組みを活用することも考えられます。
本人の意思を尊重するためには、家族間の対立を避けることだけを目的にするのではなく、十分な情報共有と慎重な話し合いが必要です。
治療を開始しないことと終了することの違い
生命維持治療を考える際には、治療を開始しないことと、開始した治療を終了することを区別して理解する必要があります。
例えば、人工呼吸器を使用しないという判断と、すでに使用している人工呼吸器を終了するという判断では、家族や医療関係者が感じる心理的な負担が異なる場合があります。
特に、治療の終了については、生命を短くすることにつながるのではないかという不安が生じやすくなります。
しかし、治療を開始しない場合も終了する場合も、本人の意思や医学的な状況を踏まえた慎重な判断が必要である点は共通しています。
また、生命維持治療を実施しない、あるいは終了するという方針になった場合でも、医療やケアがすべて終了するわけではありません。
痛みや呼吸困難などの苦痛を和らげる緩和ケア、精神的な支援、家族への支援などは引き続き重要です。
治療方針の変更は、患者を見放すことを意味するものではありません。
本人にとって何が最善なのかを考え、必要な医療やケアを提供し続けることが基本になります。
なお、生命維持治療の終了に関する判断には、個別の医学的、倫理的、法的な問題が伴います。
一般的な指針が存在することと、個々の行為について法的な問題が生じないことは同じではありません。
実際の対応では、医療機関の手続きに沿った慎重な検討が欠かせません。
事前の意思表示はどこまで有効なのか
本人が元気なうちに、将来の医療について希望を記録しておくことは重要です。
例えば、エンディングノートなどに、人工呼吸器や心肺蘇生についての考え方を記載する方法があります。
ただし、こうした記録があれば、将来の医療方針が自動的に決まるわけではありません。
本人の希望は、病状や生活環境の変化によって変わる可能性があります。
また、記録した時点では想定していなかった治療方法が、将来利用できるようになることも考えられます。
そのため、過去の意思表示だけでなく、その希望に至った理由や本人が大切にしていた価値観を共有しておくことが重要です。
例えば、人工呼吸器を希望しないという記載があった場合でも、その理由が長期間意識のない状態で治療を続けることへの不安なのか、一時的な治療も含めて避けたいという考えなのかによって、意味が異なります。
事前の意思表示は重要な手掛かりですが、実際の医療方針は個別の状況を踏まえて慎重に検討する必要があります。
人生会議が家族の負担を軽減する
生命維持治療を巡る難しい判断に備えるために重要なのが、人生会議です。
人生会議は、アドバンス・ケア・プランニングと呼ばれ、ACPという略称が使われています。
将来の医療やケアについて、本人が家族や医療・介護関係者と繰り返し話し合う取り組みです。
例えば、本人が普段から、家族との時間を大切にしたいと話していた場合、その価値観は将来の医療方針を検討する際の参考になります。
また、できる限り自宅で過ごしたいという希望があれば、在宅医療や介護サービスの利用について早い段階から検討することができます。
人生会議の目的は、将来の治療を一度で決定することではありません。
本人の価値観を共有し、状況に応じて話し合いを重ねることです。
本人の考えを家族が理解していれば、突然の病気や事故によって意思表示できなくなった場合でも、本人の希望を推定する手掛かりになります。
ただし、人生会議を行っていても、家族が迷いや葛藤を抱くことはあります。
それでも、何も話し合っていない場合と比べて、本人の価値観を踏まえた検討を進めやすくなることが期待されます。
元気なうちに確認しておきたいこと
生命維持治療について考える際には、最初から人工呼吸器を使用するかどうかといった具体的な選択を迫る必要はありません。
まずは、自分が人生の中で何を大切にしているのかを整理することが重要です。
例えば、家族と過ごす時間、趣味や社会活動、住み慣れた自宅での生活などです。
次に、重い病気になった場合に、どのような生活を望むのかを考えます。
さらに、自分が意思表示できなくなったとき、誰に自分の価値観を理解していてほしいのかを確認します。
配偶者や子どもだけでなく、信頼できる友人などが重要な役割を果たす場合もあります。
そして、具体的な治療について疑問があれば、かかりつけ医などに相談することが大切です。
生命維持治療は医学的な内容が複雑であり、一般的な情報だけで判断することが難しい場合があります。
また、希望は一度決めたら変更できないものではありません。
健康状態や家族構成が変わったときには、改めて話し合うことが必要です。
なお、本人が人生の最終段階について話し合うことを望まない場合には、その意思にも配慮しなければなりません。
人生会議は、本人の意思を尊重するための活動だからです。
結論
生命維持治療を巡る意思決定は、人生の最終段階における重要な課題です。
医療技術の進歩によって治療の選択肢が広がる一方、本人が望む生き方と医療方針をどのように一致させるかが問われています。
2026年9月に公表された4学会の指針は、生命維持治療を開始しない場合や終了する場合について、慎重な判断の手順を示したものです。
重要なのは、本人の意思を尊重し、医学的な状況を踏まえながら、医療チームと家族等が十分に話し合うことです。
また、生命維持治療を行わないことと、医療やケアを放棄することは同じではありません。
患者の苦痛を軽減し、尊厳を守るための支援は、治療方針にかかわらず重要です。
人生100年時代には、誰もが突然の病気や事故によって、自分の意思を伝えられなくなる可能性があります。
そのような状況に備え、元気なうちから家族と価値観を共有しておくことが大切です。
生命維持治療について考えることは、単に生きる時間の長さを考えることではありません。
自分がどのように生きたいのか、何を大切にしたいのかを考えることでもあります。
本人の意思を尊重する医療を実現するためには、日頃からの対話と継続的な意思確認が欠かせないのです。
参考
日本経済新聞 2026年10月16日 終活ゲームで身近に かるたなど開発、家族と話すきっかけに
厚生労働省 2018年3月 人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン
厚生労働省 2022年度 人生の最終段階における医療・ケアに関する意識調査
日本集中治療医学会など4学会 2026年9月 救急・集中治療における生命維持治療に関する指針