企業が事業を売却すると聞くと、どのようなイメージを持つでしょうか。
赤字事業からの撤退、経営不振によるリストラ、資金繰りのための資産売却。
これまで事業売却には、どちらかといえば後ろ向きな印象がありました。
しかし、その考え方は変わりつつあります。
これからの企業経営では、利益が出ている事業であっても売却することが珍しくなくなるかもしれません。
重要なのは、その事業が黒字か赤字かではありません。
限られた経営資源を使って、十分な利益を生み出しているかどうかです。
黒字なら残すという発想の限界
例えば、ある企業が100億円の資本を使って年間2億円の利益を上げている事業を持っているとします。
赤字ではありません。
毎年利益を生み出しているため、一見すると売却する理由はないように見えます。
しかし、同じ100億円を別の事業へ投入すれば年間10億円の利益を生み出せるとしたらどうでしょうか。
企業全体から見れば、2億円の利益を守ることより、資本をより収益性の高い分野へ移した方が合理的です。
この考え方が、事業ポートフォリオ経営の基本になります。
黒字であることと、その事業を持ち続けることが最善であることは同じではありません。
資本にはコストがある
企業経営を考えるうえで重要なのが資本コストです。
株主から集めた資金にも、金融機関から借りた資金にもコストがあります。
したがって、事業が利益を出していても、その利益率が資本コストを下回っていれば、企業価値を十分に生み出しているとはいえません。
例えば、事業に100億円を投じて年間3億円の利益しか生み出せていない場合、表面的には黒字です。
しかし、企業がその資本に対してより高い収益率を求められているのであれば、その事業を維持する合理性は弱くなります。
これから企業に求められるのは、赤字事業の整理だけではありません。
低収益な黒字事業についても、本当に保有し続けるべきなのかを検討することです。
低収益事業には人材も滞留する
事業ポートフォリオ改革というと、お金の問題に注目しがちです。
しかし、より重要なのは人材かもしれません。
企業が新しい成長分野へ進出しようとしても、人材を無制限に増やすことはできません。
特に人手不足が続く日本では、優秀な人材そのものが希少な経営資源になっています。
低収益事業を維持すれば、そこには営業、人事、経理、研究開発など多くの人材が必要になります。
その結果、成長事業へ人材を投入できなくなります。
つまり、低収益事業を抱え続けることには、目に見えない機会損失が発生しているのです。
売却は事業を捨てることではない
ここで重要になるのが、事業売却に対する考え方です。
日本企業では、長年育ててきた事業を売却することに強い抵抗感が生じることがあります。
創業以来の事業であれば、なおさらでしょう。
しかし、事業を売却することは、その事業を消滅させることではありません。
むしろ、その事業をより成長させられる企業へ譲渡することで、新しい成長機会が生まれる可能性があります。
例えば、自社では周辺事業だったものが、買収企業にとっては中核事業になることがあります。
そうなれば、研究開発費や設備投資、人材投入が増えるかもしれません。
売却する側だけでなく、売却される事業にとってもプラスになる可能性があるわけです。
売却代金を何に使うかが重要になる
事業を売却しただけでは、企業価値が高まるとは限りません。
本当に重要なのは、その後です。
売却によって得た資金をどこへ振り向けるのか。
成長事業への設備投資、新規事業への投資、M&A、研究開発、人材投資など、さまざまな選択肢があります。
逆に、事業を売却して得た資金がそのまま現預金として積み上がるだけであれば、事業ポートフォリオ改革の効果は限定的です。
売却と投資はセットで考える必要があります。
今回検討されている事業ポートフォリオ転換・強化促進税制も、事業などの売却と買収を組み合わせることで課税を繰り延べ、企業の新陳代謝を促すことが狙いです。
税制によって売却から再投資への流れを作ろうとしているわけです。
経営会議で問うべき質問が変わる
これまでの経営会議では、赤字事業について「いつ黒字化するのか」が議論されることが多かったと思います。
しかし、これからは黒字事業についても質問する必要があります。
この事業の収益性は十分なのか。
今後も成長できるのか。
自社が保有することで価値を高められるのか。
他社が保有した方が成長できるのではないか。
そして、この事業に投入している資金や人材を別の事業へ移した場合、もっと大きな価値を生み出せないか。
こうした問いを継続的に投げかけることが事業ポートフォリオ経営です。
税務部門にも新しい視点が必要になる
事業売却が増えれば、税務部門の役割も変わります。
売却益に対する法人税、株式譲渡か事業譲渡かによる税務上の違い、組織再編税制の適用可能性など、取引方法によって税負担は大きく変わることがあります。
さらに新しい事業ポートフォリオ転換・強化促進税制が導入されれば、売却後の買収まで含めた税務設計が必要になる可能性があります。
経営者が事業売却を決めた後に税務部門へ相談するのでは遅い場合があります。
どの事業を、どのような方法で、いつ売却するのか。
その資金を何に再投資するのか。
構想段階から税務を含めて検討することが重要になるでしょう。
結論
これからの企業経営では、赤字事業だけを整理していればよいという時代ではなくなると思います。
むしろ難しいのは、利益が出ている事業を売却する決断です。
黒字であれば、事業を残す理由はいくらでも説明できます。
しかし、企業が使える資金も人材も有限です。
低収益事業に経営資源を固定すれば、その分だけ成長事業への投資機会を失います。
だからこそ経営者には「この事業は儲かっているか」ではなく、「この事業に経営資源を使い続けることが最善か」という視点が求められます。
事業を売ることは撤退とは限りません。
より成長できる場所へ事業を移し、自社も新しい成長分野へ経営資源を移す。
これからの選択と集中とは、単なるリストラではなく、企業の未来をつくるための資本と人材の再配置なのだと思います。
参考
日本経済新聞 2026年10月6日朝刊 新税制は企業を目覚めさせるか 事業再編の起爆剤に