日本企業の経営に、大きな転換点が訪れようとしています。
これまで日本企業では、事業を買収することには積極的でも、既存事業を売却することには慎重な傾向がありました。
しかし、企業が限られた人材や資金を成長分野へ振り向けるためには、新しい事業を買うだけでは十分ではありません。
収益性や成長性が低下した事業を手放し、そこで得た資金を成長事業へ再投資することも必要です。
2027年度税制改正に向けて経済産業省が要望している「事業ポートフォリオ転換・強化促進税制」は、こうした日本企業の経営行動を変える可能性があります。
売却益への課税が事業再編の壁になる
企業が事業を売却すると、多額の売却益が発生することがあります。
当然、その利益には法人税が課されます。
経営者からすると、事業を売却して成長分野へ資金を移そうとしても、その途中で税負担が発生します。
この税負担が、事業売却をためらわせる要因の1つになり得ます。
そこで検討されているのが、一定期間内に事業などの売却と買収を行った場合、売却益に対する課税を繰り延べる仕組みです。
重要なのは、単純な減税ではないという点です。
事業を売って終わりではなく、その資金を新たな事業の取得などに振り向けることで、企業の事業構成そのものを変えていくことが政策目的となっています。
企業は事業を持ち続けることを問われる
この税制が実現すると、経営者にとって重要になるのは「どの事業を買うか」だけではありません。
「どの事業を持ち続けるのか」という判断です。
例えば、長年続けてきた事業であっても、自社の資本コストを十分に上回る利益を生み出せていないのであれば、その事業を保有し続ける合理性が問われます。
一方、その事業をより成長させられる企業が存在するのであれば、事業を譲渡することによって従業員や取引先を含めて新たな成長機会を得られる可能性があります。
これが「ベストオーナー」という考え方です。
事業は必ずしも現在の会社が持ち続ける必要はありません。
その事業の価値を最も高められる企業が保有する。
企業経営にとって非常に重要な発想だと思います。
日本企業には低収益事業が残りやすかった
日本企業では、赤字ではない事業が売却対象になりにくい傾向があります。
利益が出ている以上、わざわざ売る必要はないという考え方です。
しかし、資本効率という観点では話が変わります。
100億円の資本を使って2億円の利益を生み出す事業と、同じ100億円で10億円の利益を生み出す事業では、企業価値への貢献度が大きく異なります。
それでも前者が黒字だからという理由だけで維持されれば、人材や資金が低収益事業に固定されます。
企業全体では利益が出ていても、成長分野へ十分な経営資源を投入できなくなるわけです。
事業ポートフォリオ改革とは、赤字事業を整理することだけではありません。
黒字事業についても「本当に自社が保有すべき事業なのか」を問い直すことなのです。
パーシャルスピンオフ税制が示した可能性
税制が企業行動を変える例として注目されるのが、パーシャルスピンオフ税制です。
一定の要件を満たした場合、子会社などを切り離す際の課税負担を抑えながら事業を分離できる仕組みです。
ソニーグループによる金融事業の分離が日本初の適用例となり、その後も企業による活用の動きが出ています。
興味深いのは、制度が存在するだけでは利用されなかった時期があることです。
適用要件が厳しければ、企業にとって税制上のメリットがあっても実際には利用できません。
その後、制度が見直されることで活用が進み始めました。
これは今回検討されている新税制にも重要な示唆を与えています。
税制は作れば企業が使うわけではありません。
企業の実際のM&Aや事業再編のスケジュールに対応できる制度設計が不可欠です。
親子上場の解消にもつながる可能性
もう1つ注目したいのが、親子上場との関係です。
日本では、上場会社が上場子会社を保有するケースが長く存在してきました。
しかし、親会社と子会社の一般株主との利益相反など、企業統治上の問題も指摘されています。
仮に新税制が連結子会社などの売却や再編にも柔軟に利用できるのであれば、親子上場の解消を促す可能性があります。
企業にとって事業売却に伴う税負担は無視できません。
その負担を繰り延べながら成長事業へ再投資できるのであれば、グループ再編の選択肢は広がります。
税制が企業統治改革まで後押しする可能性があるわけです。
税制は経営判断を歪めてはいけない
一方で注意すべき点もあります。
税制上有利だからという理由だけで事業を売買するようになれば、本末転倒です。
事業再編の出発点は、あくまで企業価値の向上でなければなりません。
税制はその経営判断を妨げないための環境整備と考えるべきでしょう。
さらに、どのような事業売却や買収を対象とするのか、売却と買収の期間をどこまで認めるのか、グループ内取引をどう扱うのかなど、実務上の論点も多くあります。
制度の使いやすさと租税回避防止のバランスが重要になります。
税務部門の役割も変わる
この新税制は、企業の税務部門にも大きな意味を持ちます。
これまで税務部門は、経営陣が決めた取引について税務上の問題がないかを確認する役割になりがちでした。
しかし、事業売却と買収を組み合わせることで課税繰延べが可能になるのであれば、税務部門はもっと早い段階から経営戦略に参加する必要があります。
どの事業を売却するのか。
いつ売却するのか。
売却資金で何を取得するのか。
どの順番で取引を実行するのか。
こうした判断によって税負担やキャッシュフローが変わる可能性があります。
税務は取引後に確認するものではなく、事業ポートフォリオを設計する段階から検討するものになるでしょう。
結論
今回検討されている事業ポートフォリオ転換・強化促進税制の本当の意味は、単なる法人税の優遇措置ではないと思います。
日本企業に「事業を持ち続けることが本当に最善なのか」と問いかける制度だからです。
企業には歴史があります。
創業時から続く事業、かつて会社を支えた事業、多くの社員が関わってきた事業があります。
そのため、事業売却には数字だけでは割り切れない難しさがあります。
しかし、事業を売ることは必ずしも敗北や撤退ではありません。
より適した企業へ事業を移し、自社はそこで得た資金や人材を次の成長分野へ投入する。
これも立派な成長戦略です。
これからの企業経営では「何を始めるか」と同じくらい「何を手放すか」が重要になるのではないでしょうか。
新税制がその意思決定を後押しできれば、日本企業の事業再編を動かす大きなきっかけになる可能性があります。
制度の評価を決めるのは税率だけではありません。
企業が本当に使える制度になるかどうかです。
今後公表される具体的な適用要件に注目したいと思います。
参考
日本経済新聞 2026年10月6日朝刊 新税制は企業を目覚めさせるか 事業再編の起爆剤に