中小企業では、経理担当者が会社の通帳や銀行印を管理していることがあります。
社長が毎回銀行手続きをするのは大変なので、経理担当者に任せた方が効率的だからです。
しかし、経理担当者が振込書類を作成し、銀行印を押し、銀行へ持ち込むところまで一人でできると、会社のお金を一人で動かせる状態になることがあります。
現在はインターネットバンキングが普及し、銀行印を使わない振込も増えています。
それでも問題の本質は変わりません。
重要なのは銀行印そのものではなく、振込を準備する人と、最終的に会社のお金を動かせる人を分けることです。
銀行印とは何か
会社が銀行口座を開設するときには、銀行取引に使用する印鑑を届け出ることがあります。
一般に銀行印と呼ばれるものです。
従来は預金の払い戻しや振込などの手続きで、会社が正式に認めた取引であることを確認するために使われてきました。
そのため銀行印は、単なる会社の印鑑の一つではありません。
会社のお金を動かすための重要な手段になります。
誰が銀行印を管理するのかは、会社の資金管理に直結します。
経理担当者に銀行印を預けると何が問題なのか
経理担当者が銀行印を持っていること自体が、直ちに問題になるわけではありません。
会社の規模や銀行との取引方法によっては、業務上必要な場合もあります。
問題になるのは、複数の権限が同じ人に集中することです。
例えば経理担当者が、
請求書を処理する
振込依頼書を作成する
銀行印を自由に使う
銀行へ振込を依頼する
会計帳簿へ記録する
という仕事をすべて行えるとします。
この場合、不正な支払いを作り、自分で実行し、自分で帳簿処理まで行える可能性があります。
銀行印だけを見て判断するのではなく、業務全体の流れを見る必要があります。
通帳と銀行印を一緒に管理するリスク
通帳と銀行印を同じ人が管理している会社もあります。
これも利便性は高いでしょう。
しかし、会社のお金を引き出すために必要なものが一人の管理下に集中すれば、不正利用のリスクは高まります。
そこで、可能であれば管理を分ける方法があります。
例えば通帳は経理担当者が日常業務で管理し、銀行印は社長が管理します。
振込や出金が必要になれば、経理担当者が必要な書類を準備し、社長が内容を確認して銀行印を使用します。
こうすれば経理担当者一人だけでは取引を完結できません。
キャッシュカードにも同じ問題がある
銀行印を厳重に管理していても、会社のキャッシュカードを経理担当者が自由に使えるなら、別のリスクが生じます。
例えばATMから現金を引き出せるからです。
そのため、
キャッシュカードを誰が持つのか
暗証番号を誰が知っているのか
一日の出金限度額はいくらか
現金を引き出した後に誰が確認するのか
といった点も考える必要があります。
銀行印だけ金庫に入れておけば会社のお金が守られるわけではありません。
資金を動かせる手段全体を管理する必要があります。
ネットバンキングでは銀行印の代わりに何を管理するのか
インターネットバンキングでは、銀行印を使わずに振込が完了する場合があります。
その代わりに重要になるのが、
利用者ID
パスワード
認証手段
承認権限
などです。
紙の時代には銀行印を持つ人が重要でした。
デジタルの時代には、最終承認できるIDや認証手段を持つ人が重要になります。
経理担当者が社長の承認用IDまで自由に利用できる状態なら、銀行印を経理担当者に渡しているのと似た問題が生じます。
IDとパスワードを共有すると権限分離が崩れる
例えば経理担当者には振込データの作成権限だけを与え、社長には承認権限を与えたとします。
仕組みとしては、
経理担当者が振込を作る
社長が承認する
という役割分担になっています。
ところが社長が、
毎回ログインするのは面倒だから
と承認用のIDや認証情報を経理担当者に渡してしまったらどうでしょうか。
経理担当者が作成者としてログインした後、社長の権限でも操作できる可能性があります。
形式上は二人に権限が分かれていても、実態は一人で完結します。
権限を分けるなら、認証情報も分けて管理する必要があります。
振込を作る人と実行する人を分ける
内部統制で重要なのは、振込の準備と実行を分けることです。
例えば経理担当者が取引先から届いた請求書を確認し、振込データを作成します。
社長や役員が請求書と振込内容を確認し、最終承認します。
承認された後に銀行が振込を実行します。
こうすれば経理担当者は振込データを作ることはできても、自分だけでは会社のお金を外へ出せません。
経理担当者が一人しかいない中小企業でも、この方法なら導入しやすいでしょう。
銀行印を預けないだけでは不十分
逆に、銀行印を社長が持っているから安心とも限りません。
例えば社長が経理担当者から渡された書類をほとんど見ずに押印しているとします。
これでは銀行印を社長が管理していても、不正な支払いを防げない可能性があります。
重要なのは保管場所だけではありません。
銀行印を使用するときに、
何の支払いなのか
誰への支払いなのか
金額はいくらなのか
会社として承認された取引なのか
を確認する必要があります。
銀行印はチェックを行った結果として使用されることが重要です。
今回の事件では銀行への依頼が重要だった
参考記事で紹介された大阪市の人材派遣会社では、唯一の経理担当者だった男性社員が約11年間にわたり給与を水増しし、総額5108万円を不正に受け取っていました。
男性は給与の振込依頼書を作成し、社長の決裁を得た後、自分の給与を水増しした依頼書を銀行へFAX送信していました。
この事例から分かるのは、社内で承認された数字と銀行へ実際に伝わる数字を一致させることの重要性です。
承認後の銀行への依頼を担当者一人に任せれば、その間で内容を変更されるリスクがあります。
紙の振込依頼でもネットバンキングでも、この問題は同じです。
金額によって承認方法を変える方法もある
すべての振込を社長が細かく確認するのは大変だという会社もあるでしょう。
その場合には、金額などに応じて管理方法を変えることも考えられます。
例えば少額の定型的な支払いについては通常の承認手続きを使い、高額な支払いについては社長の承認を必要とします。
新しい振込先への支払いについて、金額にかかわらず確認する方法もあります。
給与については従業員別の金額を確認します。
すべての取引を同じ強さで管理するのではなく、リスクの高い取引を重点的に確認する考え方です。
結論
経理担当者に銀行印を預けること自体だけを見て、直ちに良い悪いを判断することはできません。
重要なのは、会社のお金を一人で動かせる状態になっていないかです。
銀行印、通帳、キャッシュカード、インターネットバンキングのID、パスワード、承認権限。
資金を動かす方法が変われば、管理すべきものも変わります。
しかし基本的な考え方は同じです。
振込を作る人と、振込を最終的に承認する人を分ける。
承認者の認証情報を担当者と共有しない。
承認するときには振込先と金額を実際に確認する。
こうした仕組みによって、一人では会社のお金を動かせない状態を作ります。
紙の時代には銀行印を誰が持つかが重要でした。
デジタル化が進んだ現在は、それに加えて誰がシステム上の最終承認権限を持つかが重要です。
会社のお金を守るために必要なのは、銀行印を隠すことだけではありません。
お金を動かす最後の権限を、一人の経理担当者に集中させないことなのです。
参考
日本経済新聞 2026年9月3日朝刊 中小企業リーガル処方箋 給料水増し5000万円 「お一人様」経理、振込依頼操作