私たちは買い物をするとき、現在の収入だけを見ているわけではありません。
今月の給料だけでなく、「これから給料は増えるだろうか」「物価はさらに上がるだろうか」「老後のお金は足りるだろうか」といった将来への見通しも、現在の消費に影響します。
家計の消費を理解するには、現在の所得だけではなく、家計が将来をどう見ているのかという「期待」を考える必要があります。
現在の所得だけでは消費を説明できない
初期のマクロ経済学では、現在の消費は現在の所得によって決まるという考え方が重視されていました。
所得が増えれば消費が増え、所得が減れば消費も減るという分かりやすい考え方です。
しかし現実には、同じ手取り30万円でも積極的に旅行や外食にお金を使う人もいれば、支出を抑えて貯蓄する人もいます。
この違いを現在の所得だけで説明することはできません。
資産と負債も消費を左右する
消費には家計が持つ資産や負債も影響します。
例えば、同じ年収500万円でも、一方の世帯には預貯金が3000万円あり、住宅ローンもありません。もう一方は預貯金が100万円で、住宅ローンが3000万円残っています。
年収が同じでも家計の余裕は大きく違います。
したがって、預貯金や株式、不動産などの資産、住宅ローンなどの負債も含めて考える必要があります。
しかし、それでも十分ではありません。
もう一つ重要なのが将来です。
将来への期待とは何か
経済学でいう期待とは、家計や企業が将来について持っている予想や見通しです。
家計であれば、給料が増えるのか、仕事を失う可能性はないか、物価や住宅ローン金利は上がるのか、年金はいくら受け取れるのかといった見通しです。
重要なのは、実際の未来ではなく「本人が未来をどう予想しているのか」です。
将来への期待が変われば、現在の所得や資産が変わっていなくても家計行動は変化します。
将来を悲観すると消費を控えやすくなる
例えば、現在の年収が500万円で預貯金が500万円ある人を考えます。
今後も安定して働けて、数年後には給料も上がると考えていれば、現在のお金を使いやすいでしょう。
一方、会社の業績が悪化する、給料が下がる、物価がさらに上がる、老後資金が不足すると考えていれば、同じ年収と預貯金でも支出を減らして貯蓄を増やす可能性があります。
将来への不安に備えるためです。
そのため所得が増えていても、家計が将来を悲観していれば消費が十分に増えないことがあります。
インフレ期待とは何か
家計の期待の中でも近年注目されているのがインフレ期待です。
インフレ期待とは「これから物価がどのくらい上がると思っているか」という予想です。
現在100円の商品について、来年も100円程度だと思う人と、来年には110円になると思う人では行動が変わる可能性があります。
後者なら「値上がりする前に買っておこう」と考えるかもしれません。
つまりインフレ期待が高まることで、現在の消費が増える可能性があります。
インフレ予想が高まると消費は増えるのか
一方で、物価が上がると予想すれば節約する家計もあります。
食料品や光熱費などの価格が上昇すれば、同じ収入で購入できる商品やサービスが少なくなるからです。
そのため「物価が上がりそうだから節約しよう」という行動が考えられます。
しかし逆の行動もあります。
現在100万円の商品が来年110万円になると予想すれば、どうせ購入するなら値上がり前に買った方が得です。
つまりインフレ期待の上昇には、消費を減らす方向と増やす方向の両方があります。
単純に「インフレ期待が高まれば消費が減る」と決めることはできません。
相関関係と因果関係は違う
例えば調査で「インフレ期待が高い人ほど消費額が少ない」という結果が出ても、インフレ期待が消費を減らしたとは限りません。
景気の悪化を心配している人が、物価上昇を心配すると同時に、失業や所得減少に備えて消費を減らしている可能性もあります。
この場合、インフレ期待と消費の両方に別の要因が影響しています。
2つの数字が一緒に動いているだけでは、どちらが原因なのかを判断できないのです。
なぜ実験的な研究が行われるのか
そこで近年の経済学では、実験的な方法で家計の期待を研究することがあります。
所得や資産などの条件をできるだけ変えず、インフレ期待だけを変化させ、その後の家計行動を見る考え方です。
例えば、ある人たちには物価に関する特定の情報を提供し、別の人たちには提供しません。
情報によってインフレ予想が変化した人たちの消費行動を調べることで、単なる相関関係ではなく、より因果関係に近いものを明らかにしようとします。
景気は現在だけで決まらない
家計の期待を考えると、給与が上昇したから消費が増える、減税したから消費が増える、給付金を配ったから消費が増えると単純にはいえないことが分かります。
家計は、この賃上げが来年も続くのか、減税は一時的なのか、社会保険料は今後増えるのか、物価上昇はいつまで続くのかまで考えるからです。
同じ10万円を受け取っても、「これから所得が安定して増える」と考える人と、「将来が不安だから貯めておこう」と考える人では使い方が違います。
家計は現在から将来までをつなげながら、消費と貯蓄を決めています。
結論
家計の消費を決めるのは、現在の所得だけではありません。
預貯金などの資産、住宅ローンなどの負債、そして将来の所得や物価に対する期待も大きな影響を与えます。
将来の所得に不安があれば現在の消費を抑える可能性があります。一方、今後物価が上昇すると予想すれば、値上がり前に購入しようとして現在の消費が増える可能性もあります。
そのためインフレ期待と消費の関係は単純ではありません。
経済を見るときには、実際の所得や物価だけでなく、人々が「これからどうなると思っているのか」にも目を向ける必要があります。
まだ起きていない未来への期待も、今日の買い物を通じて現在の経済を動かしているのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月31日 朝刊 家計の「期待」と経済(1) 将来の視点が左右する消費