給料が10万円増えたら、その10万円をすべて買い物に使うでしょうか。
毎月の給料が今後ずっと10万円増えるのであれば、外食を増やしたり、少し高い住宅に住んだり、車を買い替えたりする人もいるでしょう。
ところが、今回だけ臨時ボーナスとして10万円を受け取った場合はどうでしょうか。すべて使わず、その多くを貯蓄する人もいるはずです。
同じ10万円の所得増加でも、それが一時的なのか、これからも続くのかによって家計の消費行動は変わります。
この仕組みを理解するうえで重要なのが恒常所得仮説です。
恒常所得とは何か
恒常所得とは、現在だけではなく将来も含めて継続的に得られると家計が考えている所得です。
例えば、会社員の毎月の給与が30万円から35万円に上がり、その状態が今後も続くと考えられる場合があります。
家計から見れば、毎月使えるお金が継続的に増えたことになります。
このように長期間にわたって得られると期待できる所得が恒常所得です。
恒常所得仮説は、経済学者ミルトン・フリードマンによって提唱された考え方です。
家計は現在の所得だけを見て消費額を決めるのではなく、長期的にどの程度の所得を得られるのかを考えながら消費すると考えます。
現在所得との違い
現在所得は、文字通り現在受け取っている所得です。
例えば、今年の年収が600万円なら600万円が現在所得になります。
しかし、この600万円が来年以降も続くとは限りません。
残業が多かったため一時的に年収が増えている場合もあります。業績好調によって特別なボーナスが支給されている場合もあります。
反対に、育児や介護などによって一時的に所得が減っていることもあります。
恒常所得仮説では、家計はこうした一時的な所得変動をある程度見分けながら消費を決めると考えます。
今年だけ所得が増えたからといって生活水準を大幅に引き上げるとは限りません。
家計は「この所得は来年も続くのか」という将来の視点を持っているからです。
一時的なボーナスはすべて消費されるとは限らない
例えば、会社から通常の賞与とは別に30万円の特別ボーナスが支給されたとします。
家計にとっては30万円の所得増加です。
現在所得だけで消費を考えるなら、所得が30万円増えたため消費も大きく増えると考えられます。
しかし家計が「今年だけの特別ボーナスだ」と認識していれば、行動は違ってきます。
30万円のうち5万円だけ旅行や外食に使い、残り25万円を預貯金に回すかもしれません。
住宅ローンの繰り上げ返済に使うことも考えられます。
なぜなら、来年も30万円を受け取れる保証はないからです。
一時的な所得増加を理由に毎月の生活費を増やしてしまうと、翌年以降の所得が元に戻ったときに生活水準を維持できなくなります。
そのため家計は、一時的な所得増加のかなりの部分を貯蓄することがあります。
一時所得と恒常所得では家計の受け止め方が違う
例えば、ある家計の手取り収入が毎月30万円だったとします。
ある月だけ手取りが40万円になった場合、家計は10万円すべてを通常の生活費として使うとは限りません。
一方、会社から「来月から基本給を引き上げ、毎月の手取りが35万円程度になる」と知らされた場合はどうでしょうか。
家計は今後も毎月5万円程度の所得増加が続くと考えられます。
すると外食費を月5000円増やしたり、子どもの習い事を始めたり、毎月の娯楽費を増やしたりすることが可能になります。
恒常所得が増えたと認識することで、継続的な支出を増やしやすくなるのです。
恒常的な賃上げの方が消費を増やしやすい理由
この考え方は賃上げと消費の関係を考えると分かりやすくなります。
例えば、会社が従業員に年間12万円を追加で支給するとします。
方法は二つあります。
一つは、年1回だけ12万円の特別一時金を支給する方法です。
もう一つは、基本給を毎月1万円引き上げる方法です。
初年度に受け取る金額だけを見れば、どちらも12万円です。
しかし家計の受け止め方は同じとは限りません。
特別一時金であれば「来年はもらえないかもしれない」と考えます。
一方、基本給の引き上げなら「来年以降も毎月1万円多く受け取れる」と考えやすくなります。
その結果、恒常的な賃上げの方が家計の継続的な消費を増やしやすくなると考えられます。
なぜ給付金がすべて消費されないのか
恒常所得仮説は、政府による給付金の効果を考えるときにも役立ちます。
例えば、政府が家計に10万円を一度だけ給付したとします。
10万円を受け取れば家計の所得は増えます。
しかし、その10万円が毎年支給されるわけではありません。
家計が一時的な所得だと認識すれば、10万円すべてを消費せず、一部を貯蓄する可能性があります。
そのため「10万円を給付すれば消費が10万円増える」と単純に考えることはできません。
家計がその所得増加を一時的なものと考えるのか、恒常的なものと考えるのかによって消費への効果が変わります。
減税でも同じことが起こる
減税についても同じ考え方ができます。
1年間だけ所得税が減る場合と、今後ずっと所得税率が下がる場合では、家計の受け止め方が違います。
1年間限定の減税なら、家計は翌年には税負担が元に戻ると考えます。
そのため減税によって増えた手取りの一部を貯蓄する可能性があります。
一方、恒久的な減税であれば、将来にわたって可処分所得が増えると期待できます。
家計が将来の所得増加を信頼すれば、現在から消費水準を引き上げやすくなります。
政策によって家計の手取りを増やす場合でも、その政策が一時的なのか恒久的なのかは重要なのです。
家計は現在と将来をつなげて考えている
恒常所得仮説から分かる重要なことは、家計が現在だけを見て行動しているわけではないということです。
今月の給料が増えたとしても、来月以降に減ると思えば大きく消費を増やさないかもしれません。
逆に、現在の所得がそれほど増えていなくても、将来にわたって所得が安定して増えると考えれば、現在から消費を増やす可能性があります。
つまり消費を動かしているのは、実際に受け取った所得だけではありません。
「これからどれくらいの所得を得られるのか」という家計の期待も重要なのです。
結論
恒常所得仮説とは、家計が現在の所得だけではなく、将来にわたって継続的に得られると考える所得を基準に消費を決めるという考え方です。
一時的なボーナスや給付金を受け取っても、それが翌年以降も続かないと考えれば、家計はすべてを消費せず一部を貯蓄する可能性があります。
一方、基本給の引き上げなど恒常的な賃上げであれば、将来も所得増加が続くと期待できるため、継続的な消費につながりやすくなります。
同じ10万円の所得増加でも、一時的な10万円と、これから毎年受け取れる10万円では意味が違います。
家計の消費を考えるときには「いくら所得が増えたのか」だけでなく、「その所得がいつまで続くと家計が考えているのか」という将来への期待を見ることが重要なのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月31日 朝刊 家計の「期待」と経済(1) 将来の視点が左右する消費