日本のスタートアップ市場に大きな変化が起きようとしています。これまで売買する機会が限られていた未上場株式について、専門の証券会社が売り手と買い手を仲介する仕組みが本格的に動き始めるからです。
金融庁は、スマートラウンドの証券子会社を未上場株式の売買を仲介する証券会社として登録することを通知しました。年内にも事業を始める見通しで、未上場株の2次流通を専門に扱う新しい市場インフラが整うことになります。
これは単に未上場株を売買しやすくするだけの話ではありません。ベンチャーキャピタルの資金回収、スタートアップの上場時期、従業員のストックオプション、さらには日本から大型スタートアップを生み出せるかという問題にも関係しています。
なぜ日本では未上場株の2次流通が必要なのでしょうか。
未上場株式と上場株式の大きな違い
上場企業の株式であれば、投資家は証券取引所を通じて日々売買できます。
例えば東京証券取引所に上場している企業であれば、買いたい投資家と売りたい投資家の注文が市場に集まり、そこで株価が形成されます。
一方、未上場企業の株式には原則としてこのような市場がありません。
スタートアップは創業後、ベンチャーキャピタルなどから出資を受けて成長していきます。しかし、そのベンチャーキャピタルが途中で株式を売却したくなっても、上場株のように簡単に売ることはできません。
これが未上場株の流動性が低いといわれる理由です。
日本では長い間、スタートアップ株式を現金化する代表的な方法がIPOかM&Aに限られていました。
つまり、会社そのものが出口を迎えなければ、株主も資金を回収しにくい構造だったのです。
2次流通という新しい出口
ここで重要になるのが2次流通です。
スタートアップが新しく株式を発行して投資家から資金を集める取引を1次取引と考えると、すでに発行されている株式を投資家同士で売買するのが2次取引です。
例えば、創業初期から出資していたベンチャーキャピタルが保有株式を売却し、その株式を長期保有を考える機関投資家が購入するケースが考えられます。
会社にとって重要なのは、新株を発行しなくても株主を入れ替えられることです。
新株発行による資金調達とは異なり、2次流通では基本的に会社へ新しい資金が入るわけではありません。
その代わり、初期の投資家から次の成長段階を支える投資家へ株式を引き継ぐことができます。
スタートアップの成長段階に合わせて株主も変わっていく仕組みだと考えると分かりやすいでしょう。
VCファンドの10年問題
日本で2次流通が重要になっている背景には、ベンチャーキャピタル特有の事情があります。
VCファンドには一般的に運用期限があります。
新聞記事では、東証グロース市場に上場する新興企業について、創業からIPOまでの平均年数は10年程度とされています。
一方、VCファンドも10年程度の運用期間を設定するケースが多く、投資先企業の成長をいつまでも待てるわけではありません。
ファンドの期限が近づけば、保有しているスタートアップ株を売却して投資資金を回収する必要があります。
未上場株を途中で売却できる市場がなければ、IPOかM&Aを急ぐことになります。
その結果、本来ならもう数年間未上場のまま事業を育てた方がよい企業まで、早期上場を目指す可能性があります。
2次流通市場があれば、VCはIPOを待たなくても別の投資家へ株式を売却できます。
会社の上場時期とVCの資金回収時期を切り離せることが大きな意味を持つのです。
小粒上場と上場ゴールの問題
日本では長年、スタートアップが早い段階で上場することが問題視されてきました。
IPOそのものは企業の成長にとって重要な選択肢です。
しかし、本来は成長の途中にある企業が、既存株主の資金回収などを背景に上場を急ぐと、上場後に十分な成長を実現できない場合があります。
これがいわゆる小粒上場や上場ゴールの問題につながります。
東証グロース市場では2030年から上場維持に必要な時価総額基準が100億円へ引き上げられる予定です。
上場すること自体ではなく、上場後も成長できる企業を増やす方向へ市場改革が進んでいるわけです。
特に宇宙、創薬、先端技術などのディープテック企業では、研究開発から事業化まで長期間を要します。
こうした企業に一律に早期IPOを求めれば、長期的な研究開発投資との相性が悪くなります。
未上場のまま成長する時間を確保できる市場が必要になっているのです。
専門の証券会社が必要になる理由
未上場株はこれまでも投資家同士で売買すること自体は可能でした。
問題は、売り手と買い手を見つけることが難しいことです。
さらに大きな問題が価格です。
上場株であれば市場で大量の売買が行われるため、その時点での市場価格を確認できます。
未上場株にはこのような明確な市場価格がありません。
特にスタートアップの場合、現在の利益だけでは企業価値を判断できないケースがあります。
赤字であっても、優れた技術、特許、顧客基盤、データ、将来の市場規模などによって高い企業価値が認められることがあります。
反対に、直近の資金調達時に高い企業価値が付いていても、その後の事業環境の変化によって実際の価値が下がっている可能性もあります。
売り手はできるだけ高く売りたい一方、買い手はできるだけ安く買いたいという関係になります。
そこで専門の証券会社が多くの買い手候補を集め、企業情報を提供し、取引を仲介する役割が重要になります。
フェアな価格形成という最大の課題
2次流通市場が拡大するためには、単に売買できればよいわけではありません。
売り手と買い手の双方が納得できる価格を形成できるかが重要です。
未上場株では取引件数が少ないため、直近の売買価格だけを見ても、それが適正な企業価値を示しているとは限りません。
さらにスタートアップには普通株だけでなく、優先株など異なる条件の株式が存在する場合があります。
清算時の優先権などによって経済的な価値が異なるため、単純に一株いくらと比較できないケースもあります。
市場参加者が増え、取引事例が蓄積されれば、企業価値を判断する材料も増えていきます。
逆に買い手が少ないままであれば、ファンドの期限が迫ったVCが本来考えている企業価値より低い価格で売却せざるを得ない可能性があります。
日本の2次流通市場が定着するかどうかは、取引件数を増やしながら価格形成の信頼性を高められるかにかかっています。
ストックオプションの価値も変わる
2次流通市場は従業員にも影響します。
スタートアップでは優秀な人材を採用するため、給与とは別にストックオプションを付与することがあります。
将来会社が成長して株価が上昇すれば、大きな経済的利益を得られる可能性があります。
しかし、会社がいつIPOするのか分からなければ、ストックオプションを持っていても実際に現金化する機会がありません。
そこで2次流通市場が重要になります。
従業員がストックオプションを行使して取得した未上場株式について、一定の条件のもとで外部投資家へ売却できるようになれば、IPO前でも株式報酬の一部を現金化できる可能性が生まれます。
ストックオプションが将来の約束だけではなく、より現実的な報酬として認識されるようになれば、スタートアップの人材獲得にも影響するでしょう。
投資家のバトンタッチという考え方
スタートアップは成長段階によって必要とする投資家が異なります。
創業直後には、リスクを取って小規模な資金を提供し、経営支援まで行うVCが重要です。
会社が成長すると、より大規模な資金を運用する機関投資家が投資できるようになります。
さらに事業会社やCVCであれば、単なる資金提供だけでなく、販売網、技術、顧客、海外展開などで連携できる可能性があります。
未上場株の2次流通は、こうした投資家のバトンタッチを可能にします。
初期投資家が永遠に株主でいる必要はありません。
会社の成長段階に応じて、その時点で最も適した株主へ株式を移していくことができます。
これはスタートアップにとって、資本政策の選択肢が増えることを意味します。
米国との差は極めて大きい
米国では2010年代から未上場株式の2次流通市場が本格的に発達してきました。
記事によれば、米国の2025年の未上場株2次流通の取引規模は約10兆円と推計され、日本の約1000億円の約100倍です。
世界全体でも2次流通市場は拡大しています。
米金融会社ジェフリーズによれば、2025年の世界の2次流通市場は2400億ドル、約38兆円に達し、前年から48パーセント増加したとされています。
日本でも大型未上場企業を中心に数十億円から100億円を超える規模の取引が出始めています。
つまり日本でも2次流通の需要そのものがなかったわけではありません。
売り手と買い手を結び付け、適切な情報提供と価格形成を行う市場インフラが十分に整っていなかったのです。
IPOだけが成功ではない市場へ
日本では長い間、スタートアップの成功とIPOが強く結び付けられてきました。
しかし、企業にとってIPOは本来ゴールではありません。
上場は資金調達や信用力向上のための一つの手段です。
未上場のまま長期間研究開発を続けた方が企業価値を高められる会社もあります。
その一方で、VCにはファンドの期限があり、従業員には株式報酬を現金化したい事情があります。
これまでは会社、投資家、従業員の出口がIPOという一つのイベントに集中しすぎていました。
2次流通市場が発達すれば、それぞれが異なるタイミングで株式を現金化できるようになります。
企業は企業にとって最適な時期まで上場を待ち、投資家は投資家の事情に合わせて資金を回収する。
この二つを切り離せることこそ、未上場株の2次流通市場が持つ最も大きな意味なのです。
結論
未上場株式の2次流通市場は、単に株を売りやすくするための仕組みではありません。
これまで日本のスタートアップ市場では、VCが投資資金を回収するためにはIPOやM&Aを待つ必要がありました。そのため、企業側の最適な成長スケジュールとは別の事情からIPOを急ぐ構造が生まれやすくなっていました。
専門の証券会社が売買を仲介し、未上場株を投資家間で機動的に移転できるようになれば、初期のVCから長期投資家、機関投資家、CVCなどへ株主をバトンタッチできます。
従業員にとっても、ストックオプションから取得した株式をIPO前に現金化できる可能性が広がります。
一方で、未上場企業には市場価格が存在しないため、適正な企業価値をどのように算定し、売り手と買い手が納得できる価格を形成するかという課題があります。
日本の未上場株市場が本当に成長するかは、取引量を増やすだけではなく、信頼できる価格形成と情報提供の仕組みを構築できるかにかかっています。
IPOを急がなくても投資家は資金を回収でき、企業は時間をかけて成長できる。その環境が整えば、日本のスタートアップ政策もIPO企業数を増やす段階から、大きな企業を育てる段階へ進むことになります。
参考
日本経済新聞 2026年8月22日朝刊 未上場株、初の売買仲介 専業証券が年内に事業開始
日本経済新聞 2026年8月22日朝刊 未上場株式の売買 流動性乏しく小粒上場招く
日本経済新聞 2026年8月22日朝刊 未上場株の2次流通、買い手広がる フェアな価格形成課題