新しい雇用保障とは何か 終身雇用から働き続けられる能力の保障へ編

経営

雇用保障という言葉から、多くの人が思い浮かべるのは、一つの会社で定年まで働き続けられることではないでしょうか。

日本企業では長い間、新卒で採用した社員を長期間雇用し、会社が人事異動や教育を行いながら育てる仕組みが広くみられました。

会社が安定した雇用を提供し、社員は会社への長期的な貢献を約束する。

こうした関係が、日本型雇用の重要な特徴の一つでした。

しかし、企業の寿命より個人の職業人生の方が長くなる可能性があり、デジタル化や生成AIによって仕事そのものも急速に変化しています。

これからの雇用保障は、

同じ会社に居続けられること

だけで考えることが難しくなっています。

そこで重要になるのが、どこでも働き続けられる能力を身につけるという新しい雇用保障の考え方です。

従来型の雇用保障とは何か

従来の日本企業では、長期雇用を前提とした人材育成が行われてきました。

新卒社員を採用し、会社の中で育てます。

若いうちはさまざまな部署を経験させ、仕事を覚えてもらいます。

年齢や経験を重ねるにつれて責任の大きな仕事を任せ、管理職へ昇進させます。

会社は社員に長期的な雇用を提供します。

社員はその代わりに、

会社の人事異動に従う

必要な部署で働く

会社固有の仕事を覚える

長期間会社に貢献する

という関係を築いてきました。

会社と社員が長期間一緒に成長する仕組みだったといえます。

終身雇用は本当に一生の雇用を意味するのか

終身雇用という言葉がありますが、すべての労働者について法律上、一生の雇用が保証されているという意味ではありません。

実際には、大企業の正社員を中心として形成されてきた長期雇用慣行を表す言葉です。

会社が簡単には社員を解雇せず、社員も簡単には会社を辞めない。

その前提があるからこそ、企業は長い時間をかけて社員を育成できます。

社員側も、

今の仕事ですぐ成果が出なくても、長期的に会社の中で成長していけばよい

と考えることができます。

この安定性は、日本企業の人材育成を支えてきた重要な仕組みでした。

一社で働き続けることが難しくなる理由

しかし、企業を取り巻く環境は大きく変化しています。

かつて成長事業だったものが縮小することがあります。

新しい技術によって既存の商品やサービスが不要になることもあります。

企業自身も、

事業売却

企業買収

組織再編

海外移転

デジタル化

などを繰り返します。

その結果、会社が存続していても、社員が担当していた仕事そのものがなくなる可能性があります。

さらに、働く期間も長くなっています。

60歳で完全に仕事を終えるのではなく、65歳、70歳、場合によってはそれ以上働く人も増えていくでしょう。

数十年間、同じ会社、同じ職種、同じ能力だけで働き続けることは難しくなっています。

生成AIは仕事そのものを変える

生成AIの登場は、この変化をさらに速める可能性があります。

例えば、

文章作成

情報収集

資料作成

データ整理

翻訳

問い合わせ対応

プログラム作成

など、これまで人間が担当していた仕事の一部をAIが支援できるようになっています。

重要なのは、

仕事がすべてなくなるか

ということだけではありません。

一つの職業の中でも、人間が担当する仕事の内容が変わることです。

例えば経理担当者の仕事でも、入力や集計が自動化されれば、

数字をつくる仕事

から、

数字を分析し、経営判断を支援する仕事

へ比重が移る可能性があります。

同じ会社に在籍していても、自分の仕事を更新し続けなければならない時代になるのです。

新しい雇用保障とは何か

そこで注目されるのが、

雇用そのものを保障する

という考え方から、

働き続けられる能力を保障する

という考え方への転換です。

これはエンプロイアビリティという概念とも関係します。

エンプロイアビリティとは、一般的には雇用され得る能力、つまり労働市場で仕事を得て働き続けられる能力を意味します。

現在の会社だけで通用する能力ではなく、

別の部署

別の職種

別の企業

新しい産業

でも活用できる知識や経験を持つことが重要になります。

会社が社員に提供する保障の意味も変わります。

定年まで同じ仕事を保証するのではなく、環境が変化しても次の仕事へ移れる能力を育てることが、新しい雇用保障になります。

市場価値を高めるとはどういうことか

市場価値という言葉を聞くと、

転職するときの年収

を想像するかもしれません。

しかし、それだけではありません。

市場価値を高めるとは、

他の仕事でも利用できる能力や経験を増やすこと

と考えることができます。

例えば、

特定企業だけで使われる社内システムの操作

だけに詳しい人よりも、

会計

税務

データ分析

プロジェクト管理

生成AI

語学

など、他の企業でも利用できる能力を持つ人の方が仕事の選択肢は広くなります。

もちろん、会社固有の知識にも価値があります。

重要なのは、会社固有の能力と、社外でも通用する能力の両方を持つことです。

転職しなくても市場価値は重要になる

市場価値を高めるというと、

転職を前提としている

と受け取られることがあります。

しかし、必ずしもそうではありません。

同じ会社で長期間働く場合でも、市場価値の高い能力は重要です。

会社の事業が変われば、別の部署へ異動する必要があるかもしれません。

新しい技術が導入されれば、新しい仕事を覚える必要があります。

市場価値の高い人材とは、単に転職しやすい人ではありません。

環境が変わっても、新しい仕事へ適応できる人ともいえます。

社内での雇用を守るためにも、能力を更新し続ける必要があるのです。

企業は社員に何を提供すべきなのか

新しい雇用保障では、企業の責任がなくなるわけではありません。

むしろ、企業には社員が成長できる環境を提供することが求められます。

例えば、

研修

リスキリング

社内公募

人事異動

新規事業への参加

海外勤務

プロジェクトへの参加

キャリア相談

などです。

特に重要なのは、研修だけではありません。

実際の仕事を通じて経験を積む機会です。

どれだけ研修を受けても、実際に仕事で使わなければ能力として定着しにくいからです。

社員に新しい仕事を任せること自体が、人材投資になります。

成長機会そのものが報酬になる

社員が会社から受け取るものというと、給与や賞与が中心に考えられます。

しかし、長い職業人生を考えると、

どのような仕事を経験できるか

も重要になります。

例えば二つの会社から同じ給与を提示されたとします。

一方では毎年同じ仕事を担当する。

もう一方では、新規事業、海外事業、デジタル化など新しい経験を積める。

将来のキャリアまで考えれば、後者を選ぶ人もいるでしょう。

つまり、企業が提供する、

経験

学習

成長機会

そのものが、社員に対する報酬の一部になるのです。

キャリア自律との関係

新しい雇用保障は、キャリア自律とも密接につながります。

会社が、

あなたを定年まで守ります

という関係から、

あなたが働き続けられる能力を身につけることを支援します

という関係へ変わるからです。

ただし、社員側にも主体性が求められます。

自分は将来何をしたいのか。

どの能力を伸ばすのか。

どの仕事を経験するのか。

これらを考える必要があります。

会社が成長機会を提供し、社員がそれを選択する。

双方が役割を果たすことで、新しい雇用保障が成立します。

社員を育てると転職されるという矛盾

企業側には難しい問題もあります。

社員に社外でも通用する能力を身につけてもらえば、転職しやすくなります。

会社からすると、

せっかく育てたのに辞められてしまう

という問題です。

しかし、社員の能力を社内だけで通用するものに限定して引き留める方法には限界があります。

むしろ、

他社でも働ける能力を持っているが、この会社で働き続けたい

と思われる企業を目指す必要があります。

魅力的な仕事を提供する。

適切な報酬を払う。

本人の希望するキャリアを支援する。

新しい挑戦の機会を与える。

人材を囲い込むのではなく、人材から選ばれる会社になることが重要になります。

人的資本経営にもつながる

この考え方は人的資本経営とも深く関係しています。

社員を単なる人件費ではなく、企業価値を生み出す資本として考えるのであれば、人材への投資が必要です。

研修費を増やすことだけが人材投資ではありません。

新しい仕事を経験させる。

本人が希望する部署へ挑戦できるようにする。

専門能力を高める。

社外でも通用する経験を積ませる。

こうした取り組みも人材投資です。

そして社員の能力が高まれば、会社が選択できる経営戦略も広がります。

人材への投資は社員の雇用保障であると同時に、企業の成長投資でもあるのです。

結論

従来の雇用保障では、一つの会社で長期間働き続けられることが重要な意味を持っていました。

しかし、企業の事業環境が変化し、働く期間が長くなり、生成AIなどによって仕事そのものが変化する時代には、それだけで社員の将来を守ることは難しくなっています。

これから重要になるのは、

同じ仕事を守ること

ではなく、

仕事が変わっても働き続けられる能力を育てること

です。

企業は社員に学習や挑戦、異動、新しい仕事などの成長機会を提供する。

社員はその機会を利用し、自分の能力とキャリアを更新し続ける。

こうした関係が、新しい雇用保障になります。

会社に守ってもらうことだけが安心ではありません。

環境が変わっても自分には次の仕事があると思えることも、大きな安心です。

終身雇用から、終身にわたって働く力を育てる仕組みへ。

長い職業人生を前提とする時代には、雇用保障そのものの意味が変わろうとしています。

参考

日本経済新聞 2026年8月14日朝刊 新しい企業戦略を考える(下) 人事の真の価値を問い直せ

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