所得に応じて給付金を支給するのであれば、現在どれくらいの所得があるのかを調べて給付額を決めればよいように思えます。
しかし、実際の行政では現在進行中の所得を正確に把握することは簡単ではありません。
そこで2027年度から先行実施される所得連動給付では、原則として前年の住民税の所得額に応じて給付することが想定されています。
前年所得なら自治体がすでに把握しているため、対象者の抽出や給付額の計算を行いやすいという大きなメリットがあります。
一方で、前年には高い所得があったものの現在は失業している人や、逆に前年所得は低かったものの現在は所得が大きく増えている人もいます。
所得を把握する時点と実際に給付する時点の間に時間差が生じるのです。
所得連動給付を考えるうえで、この所得把握のタイムラグは避けて通れない問題です。
住民税が前年所得を基準とする理由
個人の住民税は、基本的に前年の所得を基準として計算されます。
たとえば、ある年に会社員として受け取った給与などの所得を基に、翌年度の住民税が決まります。
なぜ現在の所得ではなく前年所得を使うのでしょうか。
大きな理由は、一年間が終わらなければ年間所得を確定できないからです。
会社員であれば給与や賞与が変わることがあります。
自営業者であれば売上や必要経費が一年を通じて変動します。
年の途中では、その年の最終的な所得がいくらになるのか確定していません。
そこで一年間の所得が確定した後、その情報を使って翌年度の住民税を計算します。
税額を正確に計算するためには合理的な仕組みです。
所得連動給付でも前年所得を利用する
2027年度から先行実施される所得連動給付でも、原則として前年の住民税の所得額を使って給付額を決める方向です。
これは行政実務を考えれば理解しやすい仕組みです。
自治体は住民税を課税するため、すでに住民の所得情報を保有しています。
その情報を利用すれば、新しい給付制度のために改めて全国の対象者から所得証明などを提出してもらう必要性を減らせます。
さらに所得情報を使って、
給付対象になるか
給付額はいくらになるか
を自動的に判定することも可能になります。
政府は対象者ごとの給付額を自動算定するツールを自治体へ無償提供することも検討しています。
前年所得を利用することには、制度を迅速かつ低コストで運営できるという大きな利点があります。
問題は現在の生活状況とのずれ
一方、前年所得には弱点があります。
現在の生活状況を必ずしも反映していないことです。
所得は毎年同じとは限りません。
転職することがあります。
退職することがあります。
失業することがあります。
病気や介護などによって働く時間が減ることもあります。
自営業者であれば、業績が急速に悪化する場合もあります。
反対に就職や転職、事業の成長などによって所得が大きく増えることもあります。
前年所得は確定した信頼性の高い数字ですが、現在の経済状態を表す数字ではないのです。
失業すると逆転現象が起こる
典型的なのが失業です。
前年まで会社員として一定の給与を得ていた人が、今年になって失業したとします。
現在の所得は大幅に減っています。
生活支援という観点から考えれば、給付の必要性は高くなっている可能性があります。
ところが給付判定に前年所得を使うと、前年の高い給与所得を基準に判定されます。
その結果、
現在は所得が少ないのに給付額が少ない
あるいは、
現在は無収入に近いのに給付対象にならない
ということが起こり得ます。
現在最も支援を必要としている人が、前年所得によって対象外になる可能性があるわけです。
退職者にも同じ問題が起こる
この問題は失業者だけではありません。
退職した人にも起こります。
前年には一年間働いて高い給与所得があったものの、今年から退職して所得が大きく減った人がいるとします。
前年所得を基準とする限り、行政上はまだ比較的所得の高い人として扱われる可能性があります。
住民税でも、退職後に収入が減ったのに前年所得を基準とする住民税の負担が残ることがあります。
所得連動給付でも同じような時間差が問題になります。
特に所得が急減した直後ほど、前年所得と現在所得の差は大きくなります。
反対に所得が増えた人はどうなるのか
逆方向の問題もあります。
前年には学生だった人が就職し、今年から一定の給与を得るようになったとします。
あるいは前年は所得が低かったものの、転職によって給与が大幅に増えた人がいるとします。
前年所得だけを見れば低所得者です。
そのため、現在は十分な所得があっても給付対象になる可能性があります。
つまり前年所得を使う制度では、
現在困っているのに給付されない人
現在は所得が増えているのに給付される人
という二つのずれが生じる可能性があります。
なぜ現在所得を使わないのか
それなら現在の所得を使えばよいと思うかもしれません。
しかし、ここに行政実務上の難しさがあります。
現在の所得とは、具体的にいつの所得なのでしょうか。
今月の給与でしょうか。
直近三カ月の平均でしょうか。
今年の初めから現在までの所得でしょうか。
今年一年間の見込み所得でしょうか。
給与所得者であれば比較的把握しやすいものの、自営業者やフリーランスなどは毎月の所得が大きく変動する場合があります。
売上が分かっても必要経費が確定しなければ、最終的な所得は分かりません。
現在所得を正確に把握しようとすればするほど、制度は複雑になります。
自己申告方式にも問題がある
現在所得を把握する方法の一つとして、本人に申告してもらうことも考えられます。
しかし、これでは申請不要という所得連動給付のメリットが小さくなります。
給与明細や離職票、売上資料などを提出してもらえば、自治体には再び大量の審査事務が発生します。
本人にとっても負担です。
さらに見込み所得を申告する方式にすると、年末に実際の所得が確定した段階で給付額との差額を精算する必要が生じる可能性があります。
給付しすぎた場合には返還を求めるのか。
給付が少なかった場合には追加給付するのか。
制度が一気に複雑になります。
前年所得を利用するのは、この複雑さを避ける意味もあります。
急激な所得減少には例外措置が必要になる
そこで考えられるのが、原則は前年所得を利用しながら、所得が急減した人について例外を設ける方法です。
たとえば、
失業した場合
事業を廃止した場合
長期休業した場合
大幅な収入減が発生した場合
などについて、現在の状況を反映できる仕組みを設ける方法です。
通常の対象者については行政データから自動判定し、特殊な事情がある人だけ本人から申請してもらいます。
全員に申請を求めるのではなく、原則自動給付と例外的な申請制度を組み合わせるわけです。
プッシュ型給付と申請型給付を使い分ける考え方です。
所得情報をどこまで早く把握できるか
さらに先を考えると重要になるのが、所得情報そのものを行政がどれだけ早く把握できるかです。
現在は所得税、住民税、社会保険などで所得や給与に関する様々な情報が利用されています。
しかし、それぞれの制度で情報を把握する時期や目的が異なります。
給与情報などをデジタル化し、行政機関の間で必要な情報を迅速に連携できれば、前年所得だけに依存しない制度を作れる可能性があります。
たとえば所得が急減したことを行政が早期に把握できれば、給付額へ迅速に反映できるかもしれません。
これはリアルタイム所得把握という考え方につながります。
リアルタイム所得把握にも課題がある
もっとも、リアルタイムで所得を把握する仕組みを作るのは簡単ではありません。
会社員の給与だけを考えれば比較的分かりやすいのですが、所得には様々な種類があります。
事業所得
不動産所得
配当所得
一時的な所得
複数の勤務先からの給与
などがあります。
さらに所得は単純な収入額ではありません。
必要経費や所得控除などとの関係もあります。
どこまでの情報をリアルタイムで集めるのかという制度設計が必要になります。
個人情報の保護や行政機関間の情報連携についても慎重な仕組みが求められます。
正確性と迅速性にはトレードオフがある
所得連動給付には、正確性と迅速性の難しい関係があります。
一年が終わって確定した所得を使えば、数字の信頼性は高くなります。
しかし情報は古くなります。
反対に現在の所得を使えば、生活実態に近い給付ができます。
しかし所得がまだ確定していないため、正確性が下がったり事務が複雑になったりします。
つまり、
正確だが古い所得
と
新しいが確定していない所得
のどちらを重視するのかという問題です。
所得連動型の社会保障制度では、このバランスをどのように取るかが非常に重要になります。
2027年度は行政インフラの実証にもなる
2027年度からの所得連動給付では、前年の住民税所得を使うことで制度を比較的シンプルに運営することが想定されています。
自治体が保有する所得情報を使って対象者を抽出します。
給付額を自動算定します。
公金受取口座が登録されていれば、申請なしで給付します。
この仕組みがうまく機能すれば、所得に応じた給付を大量の申請書なしで実施できる可能性があります。
一方で、所得が急変した人をどのように救済するのかという課題も見えてくるでしょう。
2029年度からの本格的な制度を考えるうえで、2027年度からの先行実施は重要な実証期間になります。
結論
前年所得を使って給付額を決める方法には、大きなメリットがあります。
自治体がすでに保有している住民税の所得情報を利用できるため、対象者の抽出や給付額の計算を自動化しやすく、申請不要の給付にもつなげられます。
一方で、前年所得と現在の生活状況との間には時間差があります。
前年には高所得だったものの現在は失業している人が給付を受けにくくなったり、逆に前年は低所得だったものの現在は所得が増えている人が給付を受けたりする可能性があります。
制度を簡単にすれば現在の生活実態とのずれが生じ、現在所得を正確に反映しようとすれば行政事務が複雑になります。
この問題をどう解決するかが、所得連動給付の重要な課題です。
将来的には給与情報などのデジタル化を進め、現在に近い所得を行政が迅速に把握する仕組みが求められるでしょう。
2027年度から始まる所得連動給付は、給付額そのものだけではなく、日本の行政が所得をいつ、どのように把握するのかという問題を考える転換点にもなりそうです。
参考
日本経済新聞 2026年8月11日朝刊 所得連動給付の申請不要 地方にも財政負担案 国・地方協議会が初会合
総務省 個人住民税
デジタル庁 公金受取口座登録制度