大学と聞くと、多くの人はキャンパスを思い浮かべるのではないでしょうか。
講義棟があり、図書館があり、学生食堂があり、学生は4年間、基本的には同じ場所へ通って勉強します。
ところが最近、この常識とはまったく異なる大学が登場しています。
特定のキャンパスにとどまらず、学生自身が全国各地、場合によっては世界各地を移動しながら学ぶ大学です。
こうした新しい教育の形は、いわば「旅する大学」です。
なぜ、わざわざ場所を移動しながら学ぶのでしょうか。
そこには、知識を覚えるだけではなく、自分で問題を発見し、人と協力しながら答えを探していく力を育てようという教育の変化があります。
教室ではなく地域そのものを学びの場にする
旅する大学の大きな特徴は、大学のキャンパスだけを学びの場と考えないことです。
学生は地域で生活し、そこで働く人や住民、企業、自治体、高校生などと交流します。
そして実際の地域社会の中から、自分が取り組みたいテーマを見つけます。
たとえば地域産業の活性化、教育、観光、地域コミュニティー、若者のキャリア支援などです。
普通の授業では、まず先生が問題を提示します。
学生はその問題について調べ、答えを提出します。
一方、地域を舞台にした学びでは、そもそも「何が問題なのか」というところから学生自身が考えます。
現実の社会では、試験問題のように問題文が用意されているわけではありません。
問題そのものを見つける力が必要になります。
そのため地域での経験は、課題発見力を育てる機会になるのです。
さとのば大学は1年ごとに地域を移動する
参考記事で紹介されている代表例が、2019年に開校した「さとのば大学」です。
さとのば大学には特定のキャンパスがなく、講義はオンラインで行われます。
学生は北海道や鹿児島県など全国各地から滞在する地域を選び、基本的に1年ごとに地域を移りながら学びます。
つまり、
オンラインで知識を学ぶ
地域で生活する
地域の人と交流する
実際の活動に参加する
そこから自分の課題を発見する
という学びを組み合わせています。
特徴的なのが「マイプロジェクト」です。
先生から与えられた課題ではなく、地域で暮らしたり活動したりする中で生まれた問題意識をもとに、学生自身がテーマを設定します。
イベント運営や地域産品の販売、教育活動など、取り組む内容も学生によって異なります。
学ぶ内容を大学側がすべて決めるのではなく、自分の関心を自分で掘り下げていくわけです。
なぜ地域を移動する必要があるのか
一つの地域に長く滞在する方法もあります。
それでも複数の地域を経験することには大きな意味があります。
地域が変われば、産業も文化も人口構成も社会課題も変わるからです。
ある地域では人口減少が大きな問題でも、別の地域では観光客の増加による混雑が問題かもしれません。
農業が中心の地域と製造業が中心の地域でも、そこで働く人の考え方や地域が抱える課題は違います。
複数の地域で暮らすことで、
「地域によって当たり前は違う」
ということを実体験できます。
これは単なる旅行とは違います。
観光客として数日訪れるのではなく、一定期間そこで暮らし、人間関係を築き、地域の活動に参加するからです。
自分がそれまで当然だと思っていた価値観を相対化する経験にもなります。
幅広い世代と接することも大学教育になる
一般的な大学生活では、交流する相手が同年代の学生に偏りやすくなります。
地域に入れば状況は大きく変わります。
高校生、子育て世代、企業経営者、行政職員、高齢者など、幅広い年代や職業の人と接することになります。
社会に出れば、自分と同じ年齢や考え方の人だけと仕事をすることはありません。
異なる立場の人の話を聞き、自分の考えを説明し、時には意見を調整する必要があります。
こうした経験を学生時代から積むことで、コミュニケーション能力や協調性、自己表現力などを育てることが期待できます。
知識だけでは測りにくいこうした能力は、社会に出てから重要になる力でもあります。
世界ではミネルバ大学という先行例がある
キャンパスに縛られない大学として世界的に知られているのが、2014年に開学した米国のミネルバ大学です。
世界各地から学生が集まり、複数の都市を移動しながら学びます。
講義はオンラインを中心に行い、滞在先では企業やNPOなどと協働するプロジェクトやインターンシップに取り組みます。
つまり、
知識を学ぶ場所と、知識を使う場所を組み合わせる
という考え方です。
日本でもこうした教育モデルが広がり始めています。
2026年4月には岐阜県飛騨市でコー・イノベーション大学が開学しました。
1年次は飛騨市を中心に学び、2年次以降は全国各地を移動しながら、オンライン講義と地域活動を組み合わせて学ぶ仕組みです。
大学教育における「場所」という概念そのものが変わり始めているともいえます。
オンライン教育が大学と場所を切り離した
こうした大学が成立する背景には、オンライン教育の普及があります。
かつて大学の講義を受けるには、教授と学生が同じ教室に集まる必要がありました。
現在はオンラインで講義を受けることができます。
すると、
知識を学ぶ場所
と
経験を積む場所
を分けることができます。
講義はオンラインで受け、実践は地域社会で行うという組み合わせが可能になります。
デジタル技術によって大学教育が場所から解放されたことで、地域そのものをキャンパスとして利用できるようになったわけです。
地域は学生のための教材ではない
ただし、旅する大学には注意すべき問題もあります。
学生にとって地域活動が有意義だからといって、地域側にも同じメリットがあるとは限らないからです。
学生を受け入れるには、地域側にも負担が生じます。
活動場所を用意したり、人を紹介したり、相談に乗ったりする必要があります。
学生が数カ月活動して「勉強になりました」と帰ってしまえば、地域には負担だけが残ることもあります。
参考記事では、こうした状態を地域が「消費される」ことへの懸念として指摘しています。
大学教育のために地域社会を一方的に教材として利用してはいけないということです。
学生と地域の双方に利益が必要になる
地域での学びを継続するためには、
学生は何を学びたいのか
地域は何を求めているのか
大学はどのように支援するのか
を事前にすり合わせる必要があります。
学生側だけが成果を得るのではなく、地域側にも何らかの価値が残る仕組みが必要です。
そのため重要になるのがコーディネーターです。
学生と地域企業、自治体、住民などの間に入り、双方の希望を調整します。
学生が地域へ行けば自然に学びが生まれるわけではありません。
受け入れ先との調整、生活支援、活動先の紹介、トラブルへの対応など、裏側には多くの支援が必要になります。
旅する大学は「キャンパスがないから簡単に運営できる大学」ではありません。
むしろ地域との関係を丁寧につくる仕組みが教育の質を左右します。
大学の役割そのものが変わっていく
これまで大学は、知識を持つ教授と、それを学ぶ学生が集まる場所という側面を持っていました。
しかしインターネットを通じて世界中の情報へアクセスでき、AIを使ってさまざまな知識を得られる時代になると、大学に求められる役割も変わります。
重要になるのは、単に知識を提供することだけではありません。
どのような問題に取り組むのか。
誰と協力するのか。
失敗から何を学ぶのか。
自分は何に関心があるのか。
こうした問いを考えるための経験を提供することが、大学の重要な役割になっていく可能性があります。
旅する大学は、その一つの実験ともいえるでしょう。
結論
旅する大学とは、特定のキャンパスだけを学びの場所とせず、学生が地域を移動しながらオンライン講義と現地での実践活動を組み合わせる新しい教育の形です。
大きな特徴は、先生から与えられた問題を解くだけではなく、地域社会の中から学生自身が問題を発見することにあります。
複数の地域で生活し、さまざまな世代や職業の人と交流することで、知識だけでなく、課題発見力、協調性、自己表現力などを育てることも期待できます。
一方、地域を学生の学習材料として一方的に利用してしまえば長続きしません。
学生が学ぶことと、地域にも価値が残ることを両立させる必要があります。
そのためには、大学、学生、地域をつなぐコーディネーターと継続的な対話が欠かせません。
オンライン教育によって「大学へ行く」という言葉の意味も変わり始めています。
これからの大学では、学生がキャンパスへ集まるのではなく、社会そのものがキャンパスになるという学び方が、一つの選択肢として広がっていくのかもしれません。
参考
日本経済新聞 2026年9月9日 朝刊 「旅する大学」が養う発見力 移動しながら幅広い世代と交流
日本経済新聞 2026年9月9日 朝刊 地域の受け入れ継続へ 下調べと連携が不可欠