宿泊税と聞けば、観光客から集めた税金を観光振興に使う制度を思い浮かべる人が多いでしょう。
実際、これまで宿泊税を導入してきた自治体では、観光振興などに使途を限定する目的税として設計するのが一般的でした。
ところが神奈川県箱根町が導入を目指している宿泊税は違います。
宿泊客から1人1泊350円を徴収しますが、その使い道を観光振興に限定しない普通税として導入する方針です。
宿泊税でありながら普通税にする。
ここに箱根町の新しい発想があります。
そもそも普通税と目的税は何が違うのか
税金は、その使い道という観点から大きく普通税と目的税に分けることができます。
普通税は、税収の使い道をあらかじめ特定の目的に限定しない税です。
住民税や固定資産税などが代表的です。
集めた税金を自治体の一般財源として、福祉、教育、道路、消防、ごみ処理など幅広い行政サービスに充てることができます。
一方、目的税は税収を特定の目的に使用する税です。
何のために負担する税なのかが納税者から見ても分かりやすいという特徴があります。
宿泊税についても、これまでは観光振興などに使う目的税として導入する自治体が中心でした。
なぜ宿泊税は目的税として導入されてきたのか
宿泊税を負担するのは、その地域に住んでいる住民ではなく、ホテルや旅館などに宿泊する人が中心です。
自治体としては、地域外から来た人にも税負担を求めることになります。
そこで重要になるのが納得感です。
例えば、宿泊税を観光案内、多言語対応、観光地の美化、観光施設の整備などに使うと説明すれば、宿泊客にも理解してもらいやすくなります。
宿泊事業者にとっても同様です。
宿泊客から税金を徴収することによって料金負担が増える以上、その税収が観光地の魅力向上に使われるのであれば説明しやすくなります。
目的税には、負担と使途を結び付けやすいという大きな利点があります。
箱根町が普通税を選んだ理由
それでは、なぜ箱根町はあえて普通税を選んだのでしょうか。
理由は、観光客によって生じる行政コストが観光振興だけではないからです。
年間2,000万人以上の観光客が訪れる箱根町では、ごみ処理、道路、消防、救急、下水道など幅広い行政サービスに大きな負担が生じています。
例えば、2024年度のごみ処理費は年間7.7億円です。
人口約1万人の町でありながら、人口5万から6万人規模の自治体と同程度の費用がかかっています。
さらに山間部に温泉地や宿泊施設、別荘地などが点在しているため、消防費や下水道費も同規模の自治体の2倍以上に膨らんでいます。
こうした支出は、一般的な意味での観光振興費とは言いにくいでしょう。
しかし、観光地を維持するためには欠かせない支出です。
観光振興から観光地維持へ
箱根町の宿泊税を理解するうえで重要なのは、観光振興と観光地維持を分けて考えることです。
観光振興とは、新たな観光客を呼び込んだり、観光客の満足度を高めたりする政策です。
一方、観光地維持とは、大量の観光客を安全かつ安定的に受け入れるための社会基盤を維持することです。
道路が傷めば補修しなければなりません。
大量のごみが発生すれば処理しなければなりません。
急病人や事故が発生すれば救急車が必要です。
火災が発生すれば消防体制が必要です。
下水道についても、住民だけではなく宿泊施設や観光施設からの需要に対応しなければなりません。
観光客を呼び込むだけでは、持続可能な観光地にはなりません。
観光客を受け入れるための基盤を維持する財源も必要なのです。
普通税なら財政需要の変化に対応しやすい
普通税には、使途を柔軟に決められるという利点があります。
例えば、ある年度には消防署の建て替えが必要になるかもしれません。
別の年度には高規格救急車の更新が必要になるかもしれません。
道路や下水道の大規模な改修が必要になることもあります。
目的税として使途を細かく限定すると、税収があっても必要な事業に自由に充てられない可能性があります。
普通税であれば、その時々の行政需要に応じて財源を配分できます。
箱根町が普通税を選んだ背景には、観光客と町民の双方を支える行政サービスに幅広く対応したいという考えがあります。
普通税には弱点もある
もちろん、普通税には課題があります。
最大の問題は、税金の使い道が見えにくくなることです。
目的税なら、宿泊税を観光振興に使ったと説明できます。
ところが普通税になると、他の税収と合わせてさまざまな行政サービスに使われます。
宿泊客からすると、自分が支払った350円が何に使われたのか分かりにくくなります。
宿泊事業者からも、なぜ自分たちが徴収事務を担わなければならないのかという疑問が出る可能性があります。
法的に使途が自由だからといって、説明まで不要になるわけではありません。
むしろ普通税だからこそ、自治体の説明責任は重くなると考えるべきでしょう。
税収14億円の見える化が重要になる
箱根町は宿泊税によって年間約14億円の税収を見込んでいます。
現在の町税収が約60億円ですから、非常に大きな新規財源です。
これだけの金額になると、税収を何に使ったのかを住民や宿泊客に示すことが重要になります。
例えば、宿泊税導入後に消防や救急体制がどう改善したのか。
ごみ処理や道路整備にどれだけ充てられたのか。
観光客の安全性や利便性がどの程度向上したのか。
普通税であっても、こうした情報を継続的に公表することで納税者の納得感を高めることができます。
制度上の使途制限と、行政としての見える化は別の問題です。
宿泊税は観光客だけのための税なのか
箱根町の取り組みは、もう一つ重要な問いを投げかけています。
宿泊税は観光客だけのために使うべきなのでしょうか。
例えば高規格救急車を購入した場合、利用するのは観光客だけではありません。
町民も利用します。
道路を整備すれば、観光客だけでなく町民も便利になります。
消防署を建て替えれば、観光施設だけでなく住宅火災にも対応します。
観光客と住民が同じ地域インフラを利用している以上、税金の使途を完全に分けることは難しい面があります。
箱根町が掲げる観光客と町民双方のためという考え方は、観光地の行政サービスの実態を反映したものともいえます。
宿泊税の考え方が変わる可能性
これまで宿泊税は、観光振興のための財源という位置付けが中心でした。
しかし箱根町の取り組みが定着すれば、その考え方が変わる可能性があります。
観光客を増やすための税から、観光客を受け入れる地域社会を維持するための税への転換です。
観光客が増えれば、経済効果だけでなく社会的なコストも増えます。
その費用を住民だけに負担させるのではなく、地域を利用する観光客にも広く薄く負担してもらう。
この考え方は、観光客が住民人口を大きく上回る自治体ほど重要になるでしょう。
結論
箱根町の宿泊税で最も注目すべきなのは、1人1泊350円という税額ではありません。
宿泊税を目的税ではなく普通税として導入しようとしている点です。
目的税には使い道が分かりやすいという利点があります。
一方、普通税には、その時々の行政需要に応じて柔軟に財源を使えるという利点があります。
年間2,000万人以上の観光客を人口約1万人で受け入れる箱根町では、観光に伴う負担は観光振興費だけに収まりません。
ごみ処理、消防、救急、道路、下水道など、町全体の行政サービスに及びます。
だからこそ、宿泊税を観光振興のための税ではなく、観光地そのものを維持するための税として捉え直そうとしているのでしょう。
ただし、使途を限定しないからこそ税収の見える化は欠かせません。
普通税の自由度と納税者への説明責任をどう両立させるのか。
箱根町の取り組みは、これから全国で宿泊税を考える際の重要な試金石になりそうです。
参考
日本経済新聞 2026年10月7日朝刊 箱根町、苦しい台所事情が迫る宿泊「普通税」 全国初で2割増収