自治体の規模を考えるとき、最も基本となる数字は人口です。
人口が多ければ学校や福祉施設、道路、消防、上下水道など多くの行政サービスが必要になります。逆に人口が減れば、行政需要も小さくなると考えるのが一般的です。
しかし、観光地ではこの考え方だけでは実態を説明できません。
神奈川県箱根町の人口は約1万人です。
その一方で、年間2,000万人以上の観光客が訪れます。
住んでいる人は約1万人でも、町の道路やごみ処理、消防、救急、上下水道などを利用するのは住民だけではありません。
人口減少が進む日本では、住民人口だけで自治体の行政需要を測る仕組みそのものが問われ始めています。
定住人口だけでは地域の実態が見えない
これまで自治体行政の基本となってきたのは定住人口です。
その地域に住民票を置き、日常生活を送っている人を中心として行政サービスが設計されます。
当然の考え方です。
学校であれば地域の子どもの数、高齢者福祉であれば地域の高齢者数などが行政需要を考える重要な基準になります。
しかし、人の移動が活発になった現在では、その地域を利用する人と住んでいる人が一致するとは限りません。
観光客、出張者、通勤者など、住民ではない人も地域のインフラを利用します。
そこで重要になるのが交流人口という考え方です。
箱根町では年間観光客が住民人口の2000倍以上
箱根町は交流人口の影響が極めて大きい自治体です。
人口は約1万人ですが、年間観光客は2,000万人を超えます。
年間観光客数だけで比べれば、住民人口の2,000倍以上です。
もちろん、年間2,000万人が同時に町内にいるわけではありません。
日帰り客も多く含まれます。
それでも、行政が人口約1万人だけを想定していれば十分という地域ではないことは明らかです。
観光客も道路を歩き、自動車やバスで移動し、ごみを出し、宿泊施設で水道や下水道を利用します。
事故や急病が発生すれば救急体制も必要になります。
行政サービスの実際の利用者は、住民人口を大きく上回っています。
ごみ処理費が示す人口と行政需要のズレ
その実態が分かりやすく表れているのが、ごみ処理費です。
箱根町の2024年度のごみ処理費は年間7.7億円でした。
これは人口5万から6万人規模の自治体と同程度とされています。
人口約1万人だからといって、ごみ処理施設や収集体制を1万人規模にすることはできません。
宿泊施設や飲食店などから大量のごみが発生するからです。
行政サービスの必要量を決めているのは、住民人口だけではありません。
地域を実際に利用する人の数なのです。
消防や救急は観光客にも必要になる
さらに難しいのが消防や救急です。
観光客が急病になれば、自治体の救急体制が対応します。
宿泊施設で火災が起きれば、大勢の宿泊客を想定した消防体制が必要です。
箱根町には山間部に温泉地や別荘地などが点在しています。
道路事情などを考慮しながら、広い地域をカバーできる消防や救急体制を維持しなければなりません。
その結果、消防費などは同規模の自治体より大きくなります。
しかも消防や救急は、観光客が多い日だけ急に増強すればよいものではありません。
いつ発生するか分からない事故や災害に備え、年間を通して人員や設備を確保する必要があります。
交流人口の多さが固定的な行政コストにつながる典型例です。
インフラは住民だけが使うものではない
道路や上下水道についても同じ問題があります。
観光地では多数の宿泊施設や飲食店、観光施設があります。
そこで使用される水や排水を処理するためには、それに対応できる設備が必要です。
道路についても、観光バスや自動車など大量の交通を支えなければなりません。
インフラ整備の規模は、住民人口だけでは決められません。
人口減少によって住民が減ったとしても、観光客が増えればインフラ需要が減らない可能性があります。
場合によっては、むしろ増えることさえあります。
地方交付税との間に生じるギャップ
箱根町の問題を考えるうえで重要なのが地方交付税です。
箱根町は1958年以来、地方交付税の不交付団体となっています。
観光関連施設や別荘などから固定資産税などの収入があり、一定の財政力があると判断されるためです。
一方で、行政需要を考える際には人口などが重要な基準となります。
ここに観光自治体特有のギャップがあります。
収入面では観光地としての税収が反映されます。
ところが支出面では、年間2,000万人以上の観光客を受け入れるためのコストを単純に人口と同じように扱うことはできません。
その結果、見かけ上は財政力があるのに、実際には大きな行政負担を抱えるという状況が生じます。
人口減少時代ほど問題は大きくなる
この問題は、人口減少が進むほど重要になります。
日本の多くの地域では、今後も定住人口の減少が予想されます。
一方、観光政策では国内外から多くの人を地域へ呼び込もうとしています。
つまり、住民人口は減少するのに交流人口は維持あるいは増加する地域が出てくる可能性があります。
そうなると、人口減少に合わせて行政サービスを単純に縮小することはできません。
住民が減っても道路は必要です。
観光客が来るなら消防や救急も必要です。
宿泊施設が営業を続けるなら上下水道も維持しなければなりません。
人口減少と行政需要の減少が一致しなくなるのです。
宿泊税は交流人口から財源を確保する仕組み
そこで箱根町が導入を目指しているのが宿泊税です。
宿泊客から1人1泊350円を徴収し、年間約14億円の税収を見込んでいます。
考え方として興味深いのは、行政サービスの利用者から財源を確保する仕組みになっていることです。
住民は住民税や固定資産税などを通じて地域を支えています。
一方、観光客は住民ではないため、通常はその自治体に住民税を納めません。
しかし、滞在中には道路やごみ処理、消防、救急などの行政サービスを利用します。
そこで宿泊という行為を捉えて一定の負担を求めます。
交流人口が生み出す行政需要を、交流人口自身にも一部負担してもらう仕組みと考えることができます。
日帰り観光客をどう考えるのか
ただし、宿泊税にも限界があります。
課税できるのは基本的に宿泊する人です。
箱根を訪れる日帰り観光客も道路を利用し、ごみを出し、場合によっては消防や救急サービスを利用します。
しかし宿泊しなければ宿泊税は負担しません。
交流人口に応じて負担を求めるという考え方を徹底するなら、日帰り観光客をどのように扱うのかという問題が残ります。
だからといって、地域に入るすべての人から税金を徴収することも現実的ではありません。
徴税コストや公平性、観光への影響なども考える必要があります。
宿泊税は交流人口への課税として分かりやすい仕組みですが、すべての問題を解決できるわけではありません。
人口ではなく地域利用者という発想
これからの地方財政では、地域利用者という視点がより重要になるのではないでしょうか。
住んでいる人だけでなく、働く人、観光する人、宿泊する人などを含め、その地域を実際に利用している人がどの程度いるのかを考える必要があります。
特に観光地では、住民人口だけを見て自治体の規模を判断すると、実際の行政需要を過小評価する可能性があります。
定住人口を基本としながら、交流人口によって発生する行政需要をどう制度に反映するのか。
これは宿泊税だけでなく、地方交付税や地方税制全体に関わる問題です。
結論
人口約1万人に対して年間2,000万人以上の観光客が訪れる箱根町は、交流人口時代の地方財政が抱える問題を象徴しています。
従来の自治体行政は、基本的に住民人口を中心に設計されてきました。
しかし観光地では、行政サービスを利用する人の数と住民人口が大きく異なります。
ごみ処理、道路、消防、救急、上下水道などは、観光客も利用します。
住民人口が減少しても交流人口が増えれば、行政需要は必ずしも減少しません。
箱根町が宿泊税によって観光客にも負担を求めようとしている背景には、この構造があります。
これからの地方財政に必要なのは、何人が住んでいるのかという視点だけではありません。
何人がその地域を利用しているのかという視点です。
人口減少と観光立国を同時に進める日本にとって、定住人口と交流人口の双方を踏まえて地方財政を設計することは、今後ますます重要な課題になっていくでしょう。
参考
日本経済新聞 2026年10月7日朝刊 箱根町、苦しい台所事情が迫る宿泊「普通税」 全国初で2割増収