多国籍企業に最低15%の法人税負担を求める「グローバル・ミニマム課税」が、日本企業の経理・税務部門に大きな影響を与えています。
2026年9月末には、3月決算企業の一部で初めての申告期限が到来しました。
日本経済新聞によれば、複数の国で事業を展開する大企業では、申告書や関連資料を合わせるとA4用紙で1万数千ページを超える事例があるとされています。
通常の法人税申告書が数百ページから、多い場合でも1,000ページ程度であることを考えると、極めて大きな事務負担です。
しかも、追加的に納付する法人税額が少額であっても、申告に必要な情報収集や計算作業が大幅に減るとは限りません。
国際的な課税の公平性を確保する制度が、なぜこれほど膨大な事務作業を必要とするのでしょうか。
今回は、企業の経理・税務実務に焦点を当て、申告負担が膨らむ構造とその経営上の問題を考えます。
申告書1万ページ超という異例の実態
グローバル・ミニマム課税は、一定規模以上の多国籍企業グループに適用される国際課税制度です。
日本では、通常の法人税申告とは別に、国際最低課税額に関する申告や情報提供などへの対応が必要になります。
特に負担が大きいのが、GloBE情報申告書(GIR)に関連する情報の収集と整理です。
GIRは、グループの構成会社、所在地、所得、税額、実効税率、追加課税額などを国際的な共通ルールに従って報告するためのものです。
例えば、海外に100社の子会社を保有する企業では、それぞれの会社について必要な情報を確認し、国・地域ごとに整理する必要があります。
さらに、持株会社や中間親会社、共同支配事業体などが存在すれば、グループ構造の把握も複雑になります。
ただし、1万ページという数字は、すべての企業が提出する標準的な申告書の分量を意味するものではありません。
申告書本体だけでなく、GIRや関連する資料を含めた紙換算の事例です。
実際の提出方法や必要資料は制度上の要件によって異なります。
重要なのは、膨大な情報を正確に収集し、計算し、検証可能な状態で管理しなければならないことです。
海外子会社からの情報収集が最大の難関
グローバル・ミニマム課税への対応では、海外子会社から必要な情報を集めることが重要になります。
通常の連結決算でも、親会社は海外子会社から財務情報を収集しています。
しかし、連結決算で必要な情報と、グローバル・ミニマム課税で必要な情報は必ずしも一致しません。
例えば、連結決算では売上高、利益、資産、負債などを中心に報告していても、国際最低課税の計算では税額控除、繰延税金、恒久的差異など、追加的な情報が必要になる場合があります。
また、各国の会計基準や税制が異なるため、収集した数値をそのまま利用できるとは限りません。
海外子会社の担当者が制度を十分に理解していない場合には、日本の親会社が必要な情報や計算方法を説明する必要もあります。
さらに、国ごとに決算期や申告期限、使用言語が異なることも実務上の障害になります。
このように、税額計算そのものよりも、その前段階にある情報収集や確認に多くの時間が必要となる場合があります。
会計上の利益と税務上の所得の違い
グローバル・ミニマム課税の計算が複雑になる理由の1つは、会計上の利益と税務上の所得が異なることです。
企業の決算書に表示される利益は、会計基準に従って計算されています。
一方、法人税の課税所得は、税法に基づいて益金や損金を調整して算出します。
グローバル・ミニマム課税では、一定の財務会計上の利益を出発点としながら、制度固有の調整を加えて対象所得を計算します。
例えば、配当所得、株式譲渡損益、一定の費用などについて、通常の会計処理とは異なる調整が必要になる場合があります。
対象税額についても、単純に法人税の納付額を合計すればよいわけではありません。
税額控除や繰延税金などを考慮する必要があります。
さらに、実効税率は原則として国・地域ごとに計算されるため、同じ国に複数の子会社が存在する場合には、それらの情報を集約する必要があります。
この結果、連結決算、各国の法人税申告、グローバル・ミニマム課税という複数の計算体系が並行して存在することになります。
企業の税務担当者には、それぞれの制度を理解したうえで、数値の整合性を確認する能力が求められます。
追加納税額が少なくても事務負担は減らない構造
グローバル・ミニマム課税の特徴は、追加納税額と事務負担が必ずしも比例しないことです。
例えば、ある企業グループが海外20カ国で事業を展開しているとします。
そのうち19カ国では制度上の実効税率が15%以上で、残る1カ国だけが15%を下回っている場合でも、原則として各国の状況を把握し、必要な判定を行わなければなりません。
一定の簡素化措置を利用できる場合はありますが、その適用要件を確認する作業も必要です。
また、結果として追加課税額がゼロであっても、対象企業であることを前提とした情報申告などの義務が生じる場合があります。
つまり、税金を追加で納めるかどうかを判断するために、相当な作業が必要になる構造です。
通常の法人税申告では、課税所得や税額の計算が中心になります。
これに対し、グローバル・ミニマム課税では、制度の適用判定や各国の実効税率の確認そのものが大きな業務になります。
税務行政の観点では必要な確認であっても、企業側から見ると、追加納税額に比べて過大な事務負担が生じる可能性があります。
税務部門の人材不足と業務の集中
日本企業の経理・税務部門では、従来から法人税、消費税、源泉所得税、地方税など、多くの税務業務を担当しています。
海外事業を展開する企業では、これに移転価格税制、外国税額控除、タックスヘイブン対策税制などの国際税務対応が加わります。
グローバル・ミニマム課税は、これらの既存業務を置き換えるものではありません。
原則として、新たな業務が追加されることになります。
そのため、税務部門の人員を増やさなければ、既存の担当者に負担が集中する可能性があります。
特に問題となるのは、制度を理解し、海外子会社との調整を行い、計算結果を検証できる専門人材が限られていることです。
国際税務に精通した人材は、短期間で育成できるものではありません。
外部の税理士法人やコンサルティング会社に業務を委託する場合でも、社内で資料を収集し、内容を確認する作業は残ります。
専門家への外注だけで問題が解決するわけではないのです。
経理部門全体に広がる追加的な負担
グローバル・ミニマム課税への対応は、税務担当者だけで完結するものではありません。
海外子会社の経理担当者、連結決算担当者、情報システム部門、内部監査部門などとの連携が必要になります。
例えば、海外子会社から収集する情報の項目を増やす場合、既存の連結決算報告システムの改修が必要になることがあります。
また、税務計算に使用するデータについて、入力方法や承認手続きを統一する必要があります。
海外子会社が独自の会計システムを利用している場合には、データ形式の違いを調整しなければなりません。
こうした対応には、システム投資だけでなく、業務手順の見直しや担当者への教育も必要です。
さらに、申告内容に誤りがあった場合に備え、計算過程や根拠資料を保存し、後から検証できる体制を整えることも重要です。
新制度への対応は、税務申告の追加というよりも、グループ全体の経理情報管理を見直す取り組みと考える必要があります。
セーフハーバーによる事務負担の軽減
グローバル・ミニマム課税には、一定の条件を満たす場合に計算を簡素化できる仕組みがあります。
代表的なものが「セーフハーバー」です。
例えば、一定の要件を満たす国・地域について、国別報告事項などの情報を利用し、詳細な計算を省略できる場合があります。
これにより、すべての国・地域について毎年同じ水準の詳細計算を行う負担を軽減できる可能性があります。
ただし、セーフハーバーの適用には条件があります。
対象となる会計年度、使用できる財務情報、利益や税額の判定方法などを確認する必要があります。
また、簡素化措置の適用期間や制度改正の動向にも注意が必要です。
したがって、企業は単に計算を簡略化するのではなく、制度上認められた方法を適切に選択する必要があります。
今後の制度運用では、課税の公平性を維持しながら、こうした簡素化措置をどこまで拡充できるかが重要になります。
税務コンプライアンスコストの経営上の意味
企業が税務対応に費やす費用は、税金そのものとは異なります。
税務申告のための人件費、専門家報酬、システム費用、教育費用などは、一般に税務コンプライアンスコストと呼ばれます。
例えば、グローバル・ミニマム課税への対応に年間5,000万円の追加費用が必要になったと仮定します。
その企業の追加納税額が1,000万円であれば、税額を上回る事務費用が発生していることになります。
これは仮定の事例ですが、制度の経済的な影響を考えるうえで重要です。
企業が負担する総コストは、追加納税額だけでなく、制度対応に必要な費用を含めて評価する必要があります。
また、税務担当者が申告作業に多くの時間を費やせば、投資判断や事業再編などの経営支援業務に十分な時間を確保できなくなる可能性があります。
こうした機会損失は、会計帳簿に直接表示されるものではありません。
しかし、企業の競争力を考えるうえでは無視できない問題です。
税務業務の標準化とデジタル化の必要性
グローバル・ミニマム課税への対応を継続するためには、税務業務の標準化とデジタル化が重要になります。
まず、海外子会社から収集する情報の項目や形式を統一する必要があります。
次に、連結決算データと税務計算データの関係を明確にし、同じ情報を何度も入力する作業を減らすことが求められます。
さらに、計算結果の検証や異常値の確認について、システムによる自動化を進めることも考えられます。
生成AIについても、資料の分類、制度改正情報の整理、報告内容の確認補助などで活用する余地があります。
ただし、税務計算には高い正確性が必要です。
生成AIの回答をそのまま申告に使用するのではなく、計算根拠を確認できる仕組みと専門家による最終判断が欠かせません。
税務DXの目的は、単なる省力化ではありません。
正確性、再現性、内部統制を確保しながら、継続的な制度対応を可能にすることにあります。
結論
グローバル・ミニマム課税の申告書類が1万ページを超えるという事例は、国際税務制度の複雑化を象徴しています。
企業は海外子会社から大量の情報を収集し、各国の会計制度や税制の違いを調整しながら、国・地域ごとの実効税率を計算しなければなりません。
しかも、追加納税額が少額であっても、情報収集や適用判定の負担が大きく減るとは限りません。
このため、制度対応に必要な人件費、専門家報酬、システム費用などが企業経営上の重要な課題になります。
今後は、セーフハーバーなどの簡素化措置を適切に活用するとともに、税務業務の標準化やデジタル化を進める必要があります。
一方、企業努力だけで解決できない制度上の複雑さについては、国際的な協調を維持しながら見直すことも重要です。
税務制度の公平性は、企業に求める事務負担の合理性と併せて評価されるべきです。
グローバル・ミニマム課税への対応を、単なる申告業務の増加ではなく、企業全体の経理・税務管理を改革する契機として捉えることが求められます。
参考
日本経済新聞 2026年11月2日 朝刊
「国際最低税率、申告書1万ページ超 識者『日本企業の競争力を阻害』」
OECD「Global Anti-Base Erosion Model Rules(Pillar Two)」
OECD「GloBE Information Return」
国税庁「グローバル・ミニマム課税への対応に関する情報」
財務省「令和5年度税制改正の解説」