会社には出勤しているものの、仕事への関心を失い、求められた最低限の仕事だけをする「静かな退職」が注目されています。
その反対側にある心理状態を考えるうえで重要なのが「ワークエンゲイジメント」です。
ワークエンゲイジメントが高い人は、単に長時間働く人でも、会社に忠誠心が強い人でもありません。仕事をするときにエネルギーを感じ、その仕事に意味を見いだし、自ら進んで仕事に関わっている人です。
働き手が減少する日本では、人材を採用するだけでなく、今いる社員が能力を発揮できる状態をつくることが重要になります。人的資本経営を考えるうえでも、ワークエンゲイジメントは重要な考え方になっています。
ワークエンゲイジメントとは何か
ワークエンゲイジメントとは、仕事に関連した前向きで充実した心理状態を表す概念です。
一般的には「活力」「熱意」「没頭」という三つの要素によって説明されます。
重要なのは、一時的に機嫌がよい、今日は仕事が楽しいといった感情だけを意味するものではないことです。
仕事に対して比較的持続した前向きな心理状態を指します。
そのため、ワークエンゲイジメントが高い社員は、上司から細かく指示されなくても、自分から仕事に関わろうとします。
問題を発見すれば改善を考え、必要であれば周囲とも協力します。
会社から強制されているから働くのではなく、自ら仕事に関わろうとするところに特徴があります。
活力とは何か
ワークエンゲイジメントの一つ目の要素が活力です。
仕事をしているときに、高いエネルギーを持って取り組める状態を指します。
もちろん、疲れないという意味ではありません。
仕事をしていれば誰でも疲れます。
それでも「もう少し取り組んでみよう」「難しい問題でも解決してみよう」という心理的なエネルギーが残っている状態です。
反対に、仕事を始める前から疲れ切っている、何をするにも面倒に感じる、最低限の仕事だけ終わらせたいという状態が続けば、活力は低下している可能性があります。
静かな退職に向かう社員では、この活力が失われている場合があります。
熱意とは何か
二つ目が熱意です。
自分の仕事に意味や誇りを感じ、「この仕事には取り組む価値がある」と感じている状態です。
ここで重要なのは、仕事そのものが華やかである必要はないことです。
たとえば、顧客から直接感謝される仕事でなくても、自分の仕事が会社や社会のどこにつながっているのかを理解できれば、意味を感じることができます。
反対に、毎日仕事をしていても、
なぜこの作業をしているのか分からない
自分の仕事が何に役立っているのか分からない
誰からも必要とされている感じがしない
という状態が続けば、熱意は失われやすくなります。
給与や待遇だけでは説明できない働く意欲がある理由です。
没頭とは何か
三つ目が没頭です。
仕事に集中し、時間が早く過ぎたように感じるほど仕事に入り込んでいる状態です。
難し過ぎず、簡単過ぎず、自分の能力を適度に使える仕事では没頭が起こりやすくなります。
一方、自分の能力よりはるかに簡単な仕事ばかり続けば退屈します。
逆に、自分の能力では到底処理できないほど難しい仕事や大量の仕事を与えられれば、強いストレスになります。
したがって、社員を仕事に没頭させるには、単純に仕事量を増やせばよいわけではありません。
本人の能力と仕事の難易度を適切に組み合わせることが重要になります。
仕事満足度とは何が違うのか
ワークエンゲイジメントと混同されやすいものに、仕事満足度があります。
仕事満足度は、給与、仕事内容、人間関係、職場環境などについて「自分はこの仕事に満足している」と評価する考え方です。
これに対してワークエンゲイジメントは、仕事にどれだけ前向きなエネルギーを持って関わっているかに注目します。
たとえば、給与が高く、残業が少なく、人間関係も悪くない職場で働いている人がいるとします。
本人は会社に大きな不満を持っていません。
その意味では仕事満足度は高いでしょう。
しかし、仕事そのものには関心がなく、言われた仕事だけをこなし、新しいことには関わりたくないと考えているかもしれません。
この場合、仕事満足度は高くてもワークエンゲイジメントが高いとは限りません。
「会社に不満がないこと」と「仕事に積極的に関わりたいこと」は同じではないのです。
会社への愛着とも違う
ワークエンゲイジメントは、会社への忠誠心とも区別する必要があります。
会社が好きで、長く働きたいと思っていることと、現在の仕事に活力や熱意を持って取り組んでいることは必ずしも一致しません。
人間関係がよく、福利厚生にも満足しているため会社を辞めるつもりはないものの、仕事自体にはほとんど意欲を感じていない社員もいます。
逆に、現在の仕事には非常に熱心に取り組んでいても、将来的には別の会社で働くことを考えている人もいるでしょう。
企業への愛着と仕事への心理的な関与は、分けて考える必要があります。
静かな退職とは反対方向にある
静かな退職では、仕事への心理的な距離が広がります。
余計な仕事には関わらない。
新しい提案をしない。
周囲の仕事にも関心を持たない。
必要最低限の業務だけを行う。
こうした状態です。
これに対してワークエンゲイジメントが高い状態では、仕事との心理的距離が近くなります。
自分の仕事に意味を感じ、能力を発揮し、必要であれば自発的に行動します。
ただし、ワークエンゲイジメントが高いことを「際限なく働くこと」と考えてはいけません。
長時間労働や休日労働を続ける社員を「エンゲイジメントが高い」と評価してしまえば、むしろ燃え尽きを招く可能性があります。
エンゲイジメントを高める職場とは
では、企業はどのようにワークエンゲイジメントを高めればよいのでしょうか。
重要なのは、社員本人に「もっとやる気を出せ」と求めることではありません。
仕事を取り巻く環境を整える必要があります。
たとえば、自分で仕事の進め方を決められる裁量があることです。
すべてを上司から指示されるのではなく、一定の範囲で自分で判断できれば、仕事への主体性が生まれやすくなります。
自分の能力を発揮できる仕事を任せることも重要です。
簡単過ぎる仕事ばかりでは退屈し、難し過ぎれば疲弊します。
さらに、上司や同僚からの支援、適切なフィードバック、仕事の成果に対する承認も必要です。
社員が「自分の仕事を誰かが見ている」「自分の仕事には意味がある」と感じられる職場をつくることが重要になります。
仕事の意味を伝えることも重要になる
企業では、経営理念やパーパスを掲げるケースが増えています。
しかし、立派な言葉を掲げるだけでは社員のエンゲイジメントは高まりません。
重要なのは、社員の日々の仕事と会社の目的を結びつけることです。
自分が作成している資料が誰の意思決定に使われるのか。
自分が担当している顧客対応が会社のどの価値につながっているのか。
自分の仕事が最終的に誰の役に立っているのか。
こうしたつながりが分かれば、仕事の意味を実感しやすくなります。
仕事の意味は、経営者が語る大きな理念だけではなく、日常業務の中で具体的に示す必要があります。
エンゲイジメントを高め過ぎるという発想にも注意する
ワークエンゲイジメントが高いことは一般的に望ましい状態ですが、企業が社員に過度な献身を要求する口実にしてはいけません。
会社のために休日も働く。
仕事を最優先する。
頼まれた仕事を断らない。
こうした行動をエンゲイジメントと混同すると、長時間労働を正当化する危険があります。
仕事に熱意を持つことと、仕事以外の生活を犠牲にすることは別の問題です。
十分に休息を取りながら、働く時間には活力や熱意を持って仕事に取り組める状態こそ、持続可能なワークエンゲイジメントと考えるべきでしょう。
人手不足時代ほど重要になる
人口減少が進む日本では、企業が必要な人材を採用することはますます難しくなります。
そのため、採用人数だけを見る人材戦略には限界があります。
100人を採用しても、その100人が仕事への意欲を失っていれば、組織の力を十分に引き出すことはできません。
一方、社員が自分の能力を発揮し、仕事に意味を感じながら働ければ、一人ひとりが持つ知識や経験をより生かすことができます。
人的資本経営では、人材を何人保有しているかだけでなく、その人材がどのような心理状態で働いているのかという視点も重要になるのです。
結論
ワークエンゲイジメントとは、仕事に対して活力、熱意、没頭を感じている前向きで充実した心理状態です。
単に会社に満足していることでも、会社への忠誠心が強いことでもありません。
自分の意思で仕事に関わり、能力を発揮し、その仕事に意味を感じられていることが重要です。
静かな退職では仕事との心理的距離が広がりますが、ワークエンゲイジメントが高い状態では、仕事との心理的なつながりが強くなります。
企業がワークエンゲイジメントを高めるためには、社員に精神論としてやる気を求めるのではなく、適切な仕事量、裁量、能力を発揮できる役割、上司や同僚からの支援、承認やフィードバックなどを整える必要があります。
これからの人的資本経営で問われるのは、社員を会社にとどめることだけではありません。
社員が「この仕事に関わりたい」と思える状態をどのようにつくるかが、より重要になっていくでしょう。
参考
日本経済新聞 2026年8月19日朝刊 「静かな退職」どう防ぐか(下) 心理的な背景 見極め対応を