健康のために歩きましょうと言われても、毎日意識して歩くことは簡単ではありません。
ところが、本人の健康意識とは別に、住んでいる地域によって自然に歩く量そのものが大きく違うことが分かってきました。
東京大学の研究グループが約150万人のデータを分析したところ、自治体によって1日の平均歩数に最大約3,700歩もの差がありました。
時間にすれば約30分の歩行に相当します。
歩くか歩かないかは、個人の意思だけで決まるものではありません。これからの健康政策では、生活しているだけで自然に歩くことのできる環境をどうつくるかという視点が重要になりそうです。
都市と地方で約3700歩もの差
東京大学の鎌田真光准教授らの研究グループは、スマートフォンアプリから得られた20歳から64歳までの約150万人のデータを分析しました。
対象となったのは951市区町村です。
平均歩数が最も多かった東京都豊島区は1日7,750歩でした。
これに対して、最も少なかった宮崎県小林市は4,026歩です。
その差は約3,700歩に達します。
福岡県うきは市は4,205歩、長崎県南島原市は4,216歩と、地方都市で低い傾向が確認されました。
一方、首都圏や近畿など人口密度が高く、道路の接続性が高い都市では歩数が多くなる傾向があります。
ここから見えてくるのは、歩数は本人の運動習慣だけでは決まらないという事実です。
都会では意識しなくても歩いている
都市部で暮らしている人は、必ずしも健康のために歩いているわけではありません。
駅まで歩く。
駅の構内を移動する。
電車を乗り換える。
勤務先まで歩く。
昼食を買いに出る。
帰宅途中に買い物をする。
こうした行動を積み重ねることで、結果的に歩数が増えていきます。
反対に地方では、自宅から勤務先まで自動車で移動し、勤務先の駐車場から職場までほとんど歩かないという生活も珍しくありません。
スーパーや病院などへの移動も自動車です。
つまり地方では、意識して運動しなければ歩数が増えにくい生活構造になっています。
これは本人の意志の弱さではなく、交通や都市構造によって生まれる違いと考える必要があります。
1日3700歩の差は小さくない
1日3,700歩の差を単純計算すると、1年間では約135万歩になります。
10年間なら約1,350万歩です。
毎日の小さな差が長期間積み重なれば、身体活動量には大きな差が生まれます。
厚生労働省は、成人について歩行と同程度以上の身体活動を1日60分以上行うことを推奨しています。
歩数では1日8,000歩以上が目安です。
高齢者については1日40分以上、歩数では6,000歩以上が目安とされています。
今回の調査で最も歩数が少なかった小林市の4,026歩という水準は、成人の目安である8,000歩のほぼ半分です。
地方の歩数不足は、単なる運動不足というより、地域社会全体で考えるべき課題になっています。
ポイントを付けるだけでは人は歩かない
多くの自治体も対策を始めています。
代表的なのが、歩いた歩数に応じてポイントを付与する健康ポイント事業です。
2025年度には、調査対象となった全国157自治体の56.7%が歩数連動などのポイント事業を実施していました。
しかし、課題もあります。
約6割の自治体が「参加者数が伸びない」と回答しています。
宮崎県小林市でも2020年度から歩数に応じてポイントがたまる事業を始めましたが、2025年度の登録者は人口の約5%にとどまっています。
健康イベントには、もともと健康への関心が高い人が参加しやすいという問題があります。
本当に運動してほしい人ほど参加しない。
健康政策が抱える難しさです。
スニーカービズという発想
そこで注目されているのが、運動そのものを目的にするのではなく、日常生活の中で自然に歩数を増やす取り組みです。
その一つがスニーカービズです。
香川県と新潟県は2026年7月から、通勤時などに歩きやすい靴を履くスニーカービズを始めました。
企業や自治体に対して、スニーカーに合う服装なども提案しています。
スポーツ庁も2026年9月から、スニーカーなど歩きやすい靴を利用して日常生活の活動量を増やすプロジェクトを始めました。
興味深いのが福井県の実績です。
2017年からスニーカービズに取り組んでおり、実施した日は平均歩数が1,273歩増えました。
さらに歩幅も平均5センチ伸びています。
2026年8月末時点では県内71社が導入しています。
通勤を運動に変える
スニーカービズのポイントは、運動するための時間を新たに確保する必要がないことです。
働く世代にとって、毎日30分や1時間の運動時間をつくることは簡単ではありません。
しかし通勤は、多くの人が毎日行っています。
例えば会社の駐車場を少し離れた場所にする。
駅ではエスカレーターではなく階段を使う。
昼休みに少し離れた店まで歩く。
帰宅時に1駅手前で降りる。
こうした行動を日常生活に組み込めば、運動を特別なイベントにする必要がありません。
スニーカーは、その行動を後押しする道具になります。
企業にとっても健康問題では終わらない
歩数の問題は、企業にとっても無関係ではありません。
身体活動が不足し、座っている時間が長くなれば、筋肉や骨など運動器の障害につながる可能性があります。
腰痛や肩こりなどが増えれば、仕事の生産性にも影響します。
従業員の健康管理は福利厚生だけの問題ではなく、人材戦略や生産性の問題でもあります。
スニーカービズは大規模な設備投資を必要としません。
服装規定を少し柔軟にするだけでも始められます。
健康経営というと健康診断や運動イベントなどが注目されがちですが、毎日の通勤や勤務時間の中に身体活動を組み込む方が、長期的には効果が期待できるかもしれません。
健康は街の設計にも左右される
今回の研究でもう一つ重要なのは、健康政策と都市政策を分けて考えることが難しくなっている点です。
歩道があるか。
駅やバス停が利用しやすいか。
住宅と商業施設がどのように配置されているか。
道路が歩きやすく接続されているか。
公共交通が充実しているか。
こうした街の構造そのものが住民の歩数を左右します。
健康政策というと病院、健診、運動教室などを想像しがちですが、実際には交通政策や都市計画も住民の健康に大きく関係しています。
鎌田准教授が指摘するように、健康福祉部門だけではなく、多分野による協働が重要になります。
地方の健康格差をどう縮めるか
人口減少が進む地方では、自動車中心の生活をすぐに変えることは難しいでしょう。
公共交通を都市部と同じ水準にすることも現実的ではありません。
だからこそ、地方の生活様式を前提にした対策が必要です。
健康のために歩いてくださいと住民に呼びかけるだけでは限界があります。
通勤、買い物、行政手続き、地域活動など、普段の生活の中に歩く機会を組み込むことが重要です。
企業、自治体、交通事業者、商業施設などが連携すれば、歩くことを特別な行動から日常の行動へ変えることができます。
結論
都市と地方で最大約3,700歩という歩数の差は、単なる運動習慣の違いではありません。
その背景には、自動車依存、公共交通、人口密度、道路環境、通勤方法など、地域の構造そのものがあります。
これまでの健康政策は、本人に運動を促すことが中心でした。
しかし、健康に関心のない人に運動を呼びかけても、なかなか行動にはつながりません。
これから重要になるのは、本人が健康を強く意識しなくても自然に歩いてしまう仕組みです。
スニーカービズは、その小さな一歩といえます。
健康寿命を延ばすために必要なのは、運動する人を増やすことだけではありません。
歩くことが当たり前になる職場と街をつくることなのではないでしょうか。
参考
日本経済新聞 2026年10月6日朝刊 歩かぬ地方、都市との差1日30分 「スニーカービズ」通勤で歩数稼げ