企業が高い利益を上げるほど法人税率が高くなる累進課税を導入すれば、企業は税金を払うより従業員の給与を増やそうと考えるのでしょうか。
一見すると合理的に思えます。
給与を増やせば人件費が増え、法人の所得は減少します。その結果、法人税も減ります。
しかし、税金が減るから賃上げをするという関係は、それほど単純ではありません。
法人税と賃上げの関係を考えるためには、企業にとって税金と人件費がどのような支出なのかを分けて考える必要があります。
給与を増やせば法人所得は減る
法人税は、基本的に企業の所得に対して課税されます。
企業が従業員に支払う給与や賞与は、原則として事業上の費用になります。
したがって、給与を増やせば、その分だけ法人所得が減少することになります。
例えば、企業が従業員への給与を追加で1億円支払ったとします。
一定の前提のもとでは、その1億円が費用となり、法人税の課税対象となる所得が減少します。
法人税率が高いほど、費用を増やすことによる税負担の減少額も大きくなります。
この仕組みだけを見ると、法人税率の引上げは賃上げを促すように見えます。
1億円の賃上げで1億円得するわけではない
ただし、ここで重要な点があります。
1億円の給与を追加で支払ったからといって、税金が1億円減るわけではありません。
減少するのは、1億円に対応する法人税などの一部です。
仮に単純化して税率を30%とすれば、1億円の費用増加によって減少する税負担は約3,000万円という考え方になります。
企業から見れば、税負担は約3,000万円減りますが、給与として1億円を支払っています。
差額は企業自身が負担します。
したがって、税金を払いたくないという理由だけで企業が際限なく賃上げすることはありません。
節税のためだけに費用を増やせば、最終的に企業に残る資金は減ってしまうからです。
税率が高くなれば行動は変わる可能性がある
それでも法人税率が企業行動に全く影響しないわけではありません。
企業が100億円の利益をそのまま残した場合に高い税率が適用されるとします。
一方、賃上げや研究開発、設備投資などを行えば課税所得を抑えられるとします。
そうなれば経営者は、税引き後の利益として残すことと、将来の成長につながる支出を増やすことを比較するようになります。
どうせ一定額を税金として支払うのであれば、その一部を人材や設備に振り向けようという判断が生まれる可能性はあります。
法人税の累進課税によって期待されるのは、この行動変化です。
基本給を上げる判断は特に重い
ただし、賃上げには設備投資などとは異なる特徴があります。
基本給を引き上げれば、原則として翌年以降も高い人件費が続きます。
今年100億円の利益が出たからといって、来年も100億円の利益が出る保証はありません。
一時的な好業績を理由に固定的な人件費を大幅に増やせば、景気が悪化したときに企業経営を圧迫する可能性があります。
このため企業が高利益を上げたとしても、それだけで基本給の引上げに結びつくとは限りません。
企業にとって重要なのは、現在の利益だけではなく、将来も人件費を負担できるかどうかです。
賞与なら動きやすい
基本給と比べれば、賞与による還元は企業にとって実施しやすい面があります。
利益が大きく増えた年には賞与を増やし、利益が減少した年には抑えることができるからです。
法人税負担が高くなることで人件費への配分が増えるとしても、最初に動きやすいのは恒久的な基本給ではなく、業績連動型の賞与や一時金かもしれません。
しかし、家計の立場から見れば基本給と一時金では意味が違います。
継続的に給与が増えると予想できる方が、住宅購入や消費などの判断をしやすくなります。
経済全体の消費を安定的に増やすには、継続的な賃金上昇につながる仕組みが重要です。
企業には賃上げ以外の選択肢もある
法人所得を減らす方法は賃上げだけではありません。
研究開発を増やすこともできます。
広告宣伝費を増やすこともできます。
人材教育に資金を投入することもできます。
一定の会計処理や税制上の取扱いを前提に、設備投資が将来の減価償却費につながることもあります。
法人税率が上昇したとしても、企業が増やす支出が必ず人件費になるとは限らないのです。
経営者は企業価値を最も高めると考える用途に資金を配分します。
税率を上げすぎれば逆効果になる
さらに法人税率を大幅に引き上げれば、別の問題が発生します。
企業が日本国内で利益を増やすこと自体を避ける可能性です。
国内への新規投資を減らすかもしれません。
海外投資を優先するかもしれません。
多国籍企業であれば、利益がどの国に帰属するかについて税負担を意識した行動が強まる可能性もあります。
法人税率を高くすれば高くするほど賃上げが増えるという単純な関係ではありません。
一定水準を超えれば、国内の雇用や投資そのものを減少させる可能性があります。
賃上げを促すなら減税という方法もある
企業に賃上げを促す方法は、法人税率を引き上げることだけではありません。
賃金を増やした企業の税負担を軽減するという方法があります。
賃上げ促進税制は、この考え方に基づく制度です。
法人税の累進課税が、高い利益を残す企業の負担を重くする方法だとすれば、賃上げ促進税制は賃金を増やした企業に恩恵を与える方法です。
前者は負担を通じて企業行動を変えようとする仕組みです。
後者は恩恵を通じて企業行動を変えようとする仕組みです。
どちらが企業の賃上げをより効果的に促すのかは重要な論点になります。
税制だけでは賃上げは続かない
最も重要なのは、企業が継続的に賃上げできる環境をつくることです。
企業が賃金を上げ続けるためには、生産性が向上し、付加価値が増え、将来も利益を確保できるという見通しが必要です。
税制によって一時的に賃上げを促すことはできても、企業の収益力そのものが高まらなければ長続きしません。
賃上げ。
人材投資。
設備投資。
研究開発。
生産性向上。
そして再び賃上げへつなげる。
この循環をつくることが重要です。
法人税制に求められるのは企業のお金を動かすこと
法人税の累進課税を考える意味は、単純に大企業から多くの税金を取ることだけではありません。
企業が稼いだ利益をどのように使うかという経営判断に影響を与える可能性があります。
利益をそのまま残すより、人材や研究開発、設備に投資する方が企業にとって有利になる税制をつくる。
その結果として企業の資金が経済へ流れ出せば、法人税制は資金循環を促す役割を果たします。
重要なのは税率そのものより、企業がどのような行動を選ぶ制度になっているかです。
結論
法人税を引き上げれば企業が自動的に賃上げするわけではありません。
給与を増やせば法人所得は減りますが、節税できる金額以上に企業は人件費を負担するからです。
さらに企業には、研究開発や人材育成など賃上げ以外にも資金の使い道があります。
それでも、高い利益を残すほど税負担が重くなる制度は、企業に資金の使い方を改めて考えさせる可能性があります。
重要なのは、企業に利益を出させないことではありません。
利益を出した企業が、その資金を人材や成長分野へ再投資したくなる仕組みをつくることです。
法人税と賃上げを考えるときに問われるべきなのは、税率を何%にするかだけではありません。
企業が稼いだお金を、次の成長と家計所得へどう循環させるかという税制全体の設計なのです。
参考
日本経済新聞 2026年10月5日朝刊 「法人の累進課税で好循環 葭田英人氏」