暗黙知とは何か 仕事ができる人のノウハウをマニュアルだけでは伝えられない理由編

人生100年時代
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仕事ができる人に、

どうしてそんなにうまくできるのですか

と聞いても、本人がうまく説明できないことがあります。

長年営業をしている人なら、顧客の表情を見ただけで、

今日は強く提案しない方がいい

と判断するかもしれません。

経験豊富な管理職なら、部下から短い報告を受けただけで、

これは早めに対応した方がいい

と気づくことがあります。

熟練した専門家なら、大量の資料を見た瞬間に、

ここを詳しく確認した方がいい

と感じることがあります。

ところが、

なぜそう思ったのですか

と聞かれると、

経験ですね

としか答えられない場合があります。

このように、本人は持っているけれど言葉では説明しにくい知識を考えるうえで重要なのが暗黙知です。

AI時代の人材育成を考えるうえでも、この暗黙知をどのように次の世代へ伝えるかが大きな課題になります。

暗黙知とは何か

暗黙知とは、人が経験を通じて身につけているものの、言葉や文章として明確に説明することが難しい知識です。

例えば自転車の乗り方を考えると分かりやすいでしょう。

自転車に乗れる人は、倒れそうになったときに自然にバランスを取ります。

しかし、

ハンドルを何度動かし、体を何度傾ければよいのか

と聞かれても正確には説明できません。

頭で計算して乗っているわけではないからです。

仕事にも同じような知識があります。

顧客との距離の取り方。

会議で発言するタイミング。

部下への注意の仕方。

交渉で譲歩するタイミング。

異常な数字を見つける感覚。

こうした能力は、何度も経験することで少しずつ身についていきます。

本人にとっては当たり前になっているため、何を知っているのかさえ意識していないことがあります。

形式知とは何が違うのか

暗黙知と対比されるのが形式知です。

形式知とは、文章や数字、図表などによって他人へ伝えられる知識です。

例えば会社の就業規則は形式知です。

業務マニュアルも形式知です。

法律や会計基準、製品の仕様書、操作手順なども形式知として共有できます。

新入社員はマニュアルを読めば、基本的な仕事の手順を理解できます。

形式知には大きな利点があります。

一度文章にすれば、多くの人へ同じ内容を伝えられるからです。

担当者が退職しても情報を残せます。

社内システムに保存すれば、必要な人が検索できます。

AIにも読み込ませやすい知識です。

一方、暗黙知は簡単には文書化できません。

ここに大きな違いがあります。

マニュアルに書けることには限界がある

企業では業務の標準化が進められています。

誰が担当しても一定の品質を保てるようにするためです。

しかし、現実の仕事ではマニュアルに書かれていない状況が次々に発生します。

例えば顧客から苦情を受けた場合を考えてみます。

マニュアルには、

まず謝意を示す

事実関係を確認する

上司へ報告する

と書くことはできます。

しかし、実際の対応ではもっと細かな判断が必要です。

相手はどの程度怒っているのか。

その場で回答した方がよいのか。

いったん持ち帰った方がよいのか。

誰が説明すれば納得してもらえるのか。

どの言葉を使えばさらに怒らせてしまうのか。

すべての状況を事前に文章にすることは困難です。

経験豊富な社員は過去の経験をもとに、その場で判断しています。

そこに暗黙知があります。

経験によって知識の見え方が変わる

同じ資料を見ても、新人とベテランでは見えているものが違うことがあります。

例えば企業の決算書を新人と経験豊富な会計担当者が見たとします。

数字そのものは2人とも同じものを見ています。

しかしベテランは、

この売掛金の増え方は少し気になる

この利益率の変化には理由がありそうだ

この勘定科目は詳しく確認した方がよい

と気づくかもしれません。

なぜでしょうか。

過去に数多くの決算書を見ているからです。

正常な状態を何度も見ているため、少し違った状態に気づきやすくなります。

このように経験とは、単に仕事をした回数が増えることではありません。

頭の中に大量のパターンが蓄積されることでもあります。

その蓄積が、熟練者の直感や判断につながります。

暗黙知は失敗からもつくられる

成功経験だけが暗黙知をつくるわけではありません。

むしろ失敗が重要な場合もあります。

顧客に説明しすぎて話が複雑になった。

早く結論を出そうとして相手の反発を招いた。

問題を小さいと思って報告しなかったら大きなトラブルになった。

数字の異常を見逃して後から問題になった。

こうした経験をすると、

この状況では慎重になった方がよい

という感覚が身につきます。

次に似た状況に遭遇したとき、過去の経験が無意識に判断へ影響します。

熟練者の勘には、成功だけでなく大量の失敗経験が含まれていることがあります。

だから若手に正解だけを教えても、熟練者と同じ判断力が身につくとは限らないのです。

なぜ対面だと暗黙知が伝わりやすいのか

暗黙知は言葉だけでは伝えにくいため、実際の仕事を一緒に経験することが重要になります。

例えば若手社員が先輩と顧客訪問をするとします。

先輩がどのように挨拶するのか。

どんな順番で質問するのか。

顧客が話している間にどの程度相づちを打つのか。

相手が難しい表情をしたときにどう対応するのか。

どのタイミングで話題を変えるのか。

若手はこうした細かな行動を見ることができます。

打ち合わせが終わった後、

なぜあそこで提案を止めたのですか

と質問することもできます。

すると先輩は、

相手の反応を見ると、これ以上説明しても逆効果だと思った

と答えるかもしれません。

この瞬間、先輩が無意識に使っていた暗黙知の一部が言葉になります。

一緒に働くことで初めて生まれる質問がある

暗黙知を伝えるうえで重要なのは、若手が質問できることです。

しかし最初から、

先輩の重要なノウハウを全部教えてください

と聞いても、うまくいきません。

先輩自身も何が重要なのかを完全には認識していないからです。

実際の仕事を一緒にすると、具体的な疑問が生まれます。

なぜ今回は電話ではなくメールにしたのですか。

なぜこの数字を最初に確認したのですか。

なぜ顧客の質問にすぐ答えなかったのですか。

なぜこの案件だけ上司に早く相談したのですか。

具体的な場面について質問されることで、熟練者自身も、

自分はこういう基準で判断していたのか

と気づくことがあります。

つまり暗黙知の共有は、教える側にとっても自分の仕事を言語化する機会になります。

リモートワークでは暗黙知の伝達が難しくなることがある

リモートワークでは、必要な情報をオンラインで共有できます。

会議もできます。

資料も共同編集できます。

形式知を共有するだけなら、むしろ便利になった部分もあります。

一方、暗黙知には難しい面があります。

オンラインでは基本的に、

予定されたコミュニケーション

が中心になるからです。

会議が必要なら予定を入れます。

質問があればメッセージを送ります。

しかし若手は、そもそも何を質問すればよいのか分からない場合があります。

オフィスなら、先輩の電話対応を偶然聞くことがあります。

顧客との会議に同席することがあります。

上司と先輩の相談を近くで聞くこともあります。

そこから疑問が生まれます。

暗黙知を伝えるには、この偶然の観察にも意味があります。

AIは形式知を扱うことが非常に得意

AI時代になると、形式知の価値と使い方は大きく変わります。

大量の文書をAIに読み込ませれば、必要な情報を探すことができます。

マニュアルについて質問すれば、該当する内容を説明してもらえます。

過去の事例を整理させることもできます。

つまり企業が持つ形式知を活用する能力は大きく向上します。

これまで、

資料は社内にあるが、どこにあるか分からない

という問題がありました。

AIによって、こうした問題は減っていく可能性があります。

その一方で、文章になっていない知識はAIも簡単には利用できません。

ベテラン社員の頭の中にしかない判断基準が、そのまま自動的にAIへ移るわけではないからです。

AI時代ほど暗黙知の言語化が重要になる

だから企業には、暗黙知をできるだけ形式知へ変えていく取り組みも必要になります。

例えばベテラン社員が重要な判断をしたとき、

なぜその判断をしたのか

を記録します。

若手との振り返りで判断理由を説明します。

成功事例だけでなく失敗事例も共有します。

AIを使って熟練者へのインタビュー内容を整理する方法も考えられます。

すべての暗黙知を文章にすることはできません。

しかし、一部でも言語化できれば組織全体で共有しやすくなります。

そして残った部分については、人間同士が一緒に仕事をすることで伝えていく必要があります。

ベテランの退職は知識そのものの流出でもある

企業にとって暗黙知が重要なのは、人材の退職とも関係します。

経験豊富な社員が退職すると、その人が担当していた仕事だけが失われるわけではありません。

何十年もの経験から身につけた判断基準も一緒に会社から消える可能性があります。

特に、

この取引先にはこう対応した方がよい

この設備ではこの音がしたら注意した方がよい

この数字の動きが出たら詳しく調べた方がよい

といった知識は、文書として残っていないことがあります。

人材の世代交代を考えるときには、人数だけでなく、

誰の頭の中にどのような知識があるのか

まで考える必要があります。

暗黙知の承継は、企業の技能承継そのものなのです。

結論

暗黙知とは、経験を通じて身につけているものの、言葉や文章では完全に説明することが難しい知識です。

これに対して、マニュアルや規則、数値、文章などによって共有できる知識を形式知と考えることができます。

仕事には形式知だけでは対応できない場面があります。

顧客の反応を読み取る。

異常な数字に気づく。

交渉のタイミングを判断する。

問題が大きくなる前に上司へ相談する。

こうした判断には、長年の経験によって蓄積された暗黙知が使われています。

だから仕事のできる人のマニュアルを作っただけでは、その人と同じ能力を完全には再現できません。

実際の仕事を一緒に行い、行動を観察し、疑問を持ち、判断理由を聞く。

その積み重ねによって暗黙知の一部が次の世代へ伝わります。

AIは大量の形式知を扱うことを得意としています。

だからこそAI時代には、まだ文章になっていない人間の経験や判断をどのように残し、若手へ伝えるのかが重要になります。

企業に蓄積された最も価値のある知識は、データベースの中だけではなく、長年働いてきた人の頭の中にも存在しているのです。

参考

日本経済新聞 2026年9月8日 朝刊 コンサル、若手に出社回帰促す AI普及、対人スキル重視

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