第3号被保険者制度をめぐる議論では、
制度をなくせば年収の壁もなくなり、働き控えが解消するのではないか
という考え方があります。
確かに第3号被保険者制度は、一定の範囲内で働けば本人が国民年金保険料を直接負担しなくてよい仕組みです。
そのため扶養から外れないように労働時間や収入を調整する理由の一つになっています。
しかし、第3号被保険者制度をなくしただけで、すべての年収の壁が消えるわけではありません。
年収の壁と呼ばれているものには、
年金制度
健康保険
税制
企業の配偶者手当
など、異なる制度から生じる複数の境目があります。
働き控えを減らすためには、第3号だけを見るのではなく、これらをまとめて考える必要があります。
年収の壁は一つではない
年収の壁という言葉から、
ある一つの年収を超えると突然大きな負担が発生する
というイメージを持つかもしれません。
しかし実際には、年収の壁と呼ばれる基準は一つではありません。
社会保険への加入に関係する基準があります。
健康保険の扶養に関係する基準があります。
税金に関係する基準があります。
さらに企業独自の配偶者手当に収入基準が設けられている場合もあります。
それぞれ根拠となる制度が違います。
そのため一つの壁をなくしても、別の壁が残る可能性があります。
第3号被保険者制度が作る壁とは何か
第3号被保険者は、第2号被保険者に扶養される20歳以上60歳未満の一定の配偶者です。
第3号である間は、本人が国民年金保険料を直接納める必要がありません。
ところが収入や働き方が変わり、第3号から外れると状況が変わります。
自分の勤務先で厚生年金に加入すれば第2号になります。
勤務先の厚生年金に加入せず、第3号の要件から外れれば第1号になるケースがあります。
どちらの場合でも、それまで本人が直接負担していなかった社会保険料の負担が発生する可能性があります。
これが働き方を調整する動機の一つになります。
第3号をなくせば年金の壁は変わる
仮に第3号被保険者制度を完全に廃止したとします。
現在第3号である人について、
第1号として国民年金保険料を負担する
あるいは、
働いて第2号として厚生年金へ加入する
といった仕組みに変われば、
一定の収入を超えた瞬間に第3号を失う
という意味での境目は変化します。
最初から本人が保険料を負担する制度になれば、
第3号を維持するために収入を抑える
という動機は小さくなるでしょう。
しかし、これだけで年収の壁問題が終わるわけではありません。
健康保険の扶養という別の壁がある
第3号被保険者制度と密接に関係しているのが、健康保険の被扶養者制度です。
会社員などの健康保険では、一定の要件を満たす家族を被扶養者にできる仕組みがあります。
被扶養者本人について、通常は健康保険料を個別に追加負担する仕組みではありません。
ところが収入などが扶養の要件から外れると、自分自身で健康保険に加入する必要が生じます。
勤務先の健康保険に加入する場合もあれば、国民健康保険に加入する場合もあります。
その結果、本人の保険料負担が発生します。
つまり年金の第3号をなくしても、健康保険の被扶養者制度をそのまま残せば、
健康保険の扶養を外れたくない
という働き控えの動機が残る可能性があります。
130万円の壁には健康保険も関係する
130万円の壁という言葉は、第3号被保険者だけの問題として語られがちです。
しかし実際には健康保険の被扶養者認定とも深く関係しています。
一定の収入基準などを超えて扶養から外れれば、本人自身の健康保険料負担が発生する可能性があります。
そのため仮に年金について第3号制度を見直しても、
健康保険では扶養の基準が残る
という状態になれば、130万円を意識する人が完全にいなくなるとは限りません。
第3号改革と健康保険の扶養制度を一緒に考える必要がある理由です。
厚生年金の適用拡大という別の方向もある
第3号を減らす方法は、全員を第1号へ移すことだけではありません。
もう一つ重要なのが、短時間労働者への厚生年金の適用拡大です。
パートで働く人が勤務先の社会保険へ加入すれば、第3号から第2号へ移ります。
本人の給与から厚生年金保険料や健康保険料が差し引かれますが、事業主も原則として保険料を負担します。
さらに本人自身の老齢厚生年金が積み上がります。
この方向で第3号を縮小すれば、
扶養の範囲内で働く人
から、
本人自身が社会保険に加入して働く人
へ制度の中心を移すことになります。
税制上の基準は第3号とは別
年収の壁には税金も関係します。
所得税や住民税では、本人に税負担が生じ始める水準や、配偶者控除、配偶者特別控除などに関係する所得基準があります。
これらは国民年金の第3号被保険者制度とは別の仕組みです。
第3号制度を廃止したとしても、税法上の所得基準が自動的になくなるわけではありません。
反対に税制上の基準を変更しても、第3号被保険者や健康保険の扶養の基準が自動的に変わるわけではありません。
同じ年収の壁という言葉で呼ばれていても、法律も目的も異なります。
税金の壁は社会保険の壁と性質が違う
税制上の壁と社会保険上の壁には、大きな違いがあります。
所得税は基本的に所得が増えれば、その増えた所得などに応じて税負担が増えていく仕組みです。
ある基準を1円超えたからといって、通常は増えた収入以上に税金が突然増えるという構造ではありません。
一方、社会保険では扶養から外れて本人負担が発生すると、手取りが比較的大きく変化することがあります。
そのため働き控えへの影響を考えるときには、
税金が発生する境目
と、
社会保険料負担が発生する境目
を同じように考えないことが重要です。
企業の配偶者手当も壁になる
さらに会社独自の制度が働き控えにつながる場合があります。
代表的なのが配偶者手当です。
例えば会社が従業員に対して、
配偶者の収入が一定額以下なら毎月配偶者手当を支給する
という制度を設けている場合があります。
配偶者の収入が基準を超えると、その手当がなくなることがあります。
すると働く本人だけでなく、世帯全体で考えれば、
収入を増やしたら夫の会社の手当がなくなった
ということが起こります。
この基準は国民年金制度ではありません。
企業が独自に定めているものです。
第3号をなくしても配偶者手当は残り得る
仮に第3号被保険者制度が廃止されたとしても、企業が従来の配偶者手当を維持すれば、その収入基準は残ります。
そのため、
この金額を超えると配偶者手当がなくなるから働く時間を増やさない
という行動が続く可能性があります。
年収の壁問題を考えるときには、政府の制度改革だけではなく、企業の賃金制度も重要です。
実際に企業が配偶者手当を見直し、子どもへの手当や基本給など別の仕組みに振り替える動きもあります。
人は制度を一つずつ見て働き方を決めているわけではない
実際に働く人が考えるのは、
第3号被保険者制度だけ
ではありません。
税金はいくら増えるのか。
社会保険料はいくら増えるのか。
夫の会社の配偶者手当はなくならないか。
勤務時間を増やせるのか。
育児や介護との両立は可能か。
こうした条件をまとめて考えます。
そのため一つの制度だけを変更しても、別の理由が残れば働き控えが続く可能性があります。
壁をなくすことと負担をなくすことは違う
ここで重要なのは、
年収の壁をなくす
ことと、
社会保険料の負担をなくす
ことは同じではないという点です。
例えば第3号制度を廃止して、収入にかかわらず一定の人が国民年金保険料を負担する仕組みに変えたとします。
この場合、
ある年収を超えたら突然保険料が発生する
という壁は小さくなるかもしれません。
しかし本人の保険料負担そのものがなくなるわけではありません。
むしろこれまで第3号だった人にも負担が発生します。
壁の解消とは、必ずしも負担の軽減を意味しないのです。
厚生年金加入なら負担と給付を一緒に見る
第3号から第2号へ移る場合にも、
社会保険料が取られる
という負担面だけを見ると損に感じるかもしれません。
しかし厚生年金では、事業主も原則として保険料を負担します。
本人自身の老齢厚生年金も増えていきます。
健康保険でも、本人が被保険者になることで傷病手当金など、被扶養者とは異なる保障が関係する場合があります。
したがって制度改革では、
手取りがいくら減るのか
だけでなく、
どのような社会保障を本人名義で得るのか
まで含めて考える必要があります。
育児や介護という壁も残る
厚生労働省が第3号被保険者制度について行う実態調査では、働き方だけでなく育児や介護などの事情も重要になります。
仮に制度上の年収の壁をすべて小さくしたとしても、
保育サービスを利用できない
家族の介護が必要
希望する時間帯の仕事がない
といった問題が残れば、労働時間を増やせない人はいます。
つまり働き控えには、
制度によって働かない人
だけでなく、
家庭事情などによって働けない人
も含まれています。
第3号制度だけで就業行動のすべてを説明することはできません。
制度ごとに壁を整理する必要がある
年収の壁を考えるときには、何の制度による壁なのかを整理すると分かりやすくなります。
年金制度による壁なのか。
健康保険による壁なのか。
税制による基準なのか。
企業の配偶者手当による基準なのか。
あるいは育児や介護による時間的な制約なのか。
これらをすべて一つの年収の壁として扱ってしまうと、
第3号を廃止すれば全部解決する
という単純な議論になりやすくなります。
実際には複数の制度を横断して考える必要があります。
第3号改革は社会保険全体の改革になる
第3号被保険者制度を縮小するのであれば、国民年金だけを変更すれば終わりとは限りません。
健康保険の被扶養者制度をどうするのか。
短時間労働者への厚生年金適用をどこまで広げるのか。
育児や介護で働けない人をどう支えるのか。
企業の配偶者手当の見直しをどう促すのか。
税制との関係をどう整理するのか。
こうした問題が連動します。
第3号改革が難しいのは、単なる年金制度の一項目ではなく、日本の家族と働き方を前提に作られてきた複数の制度に関係するからです。
結論
第3号被保険者制度をなくしたとしても、年収の壁がすべてなくなるわけではありません。
第3号制度が作っているのは、年収の壁の一部分だからです。
健康保険には被扶養者制度があります。
税制には所得や配偶者に関係するさまざまな基準があります。
企業によっては配偶者手当に独自の収入要件があります。
さらに育児や介護など、制度上の年収とは別の理由で働く時間を増やせない人もいます。
したがって、
第3号を廃止すれば働き控えは解消する
と単純に考えることはできません。
一方で第3号制度を縮小し、短時間労働者にも厚生年金の適用を広げていけば、
配偶者の扶養に入る人
から、
本人自身が社会保険に加入する人
へ制度の軸を移していくことはできます。
重要なのは、一つの壁だけを取り除くことではありません。
年金、健康保険、税制、企業手当という複数の制度を横断して、
働く時間を増やしたときに世帯の手取りがどのように変わるのか
本人自身の社会保障がどのように充実するのか
を分かりやすい仕組みにしていくことです。
第3号被保険者制度の見直しは、年収の壁をすべて消す魔法の改革ではありません。
むしろ複数の壁が重なっている現在の仕組みを、社会保険全体から見直す入口として考える必要があるのです。
参考
日本経済新聞 2026年9月5日朝刊 厚労省「年金3号」縮小へ調査 働き控えの実態把握