農家の高齢化が進むなかで、農地を誰に引き継ぐのかという問題が深刻になっています。
子どもが農業を継いでくれるのであれば比較的わかりやすいのですが、現在では子どもが都市部で会社員として働いているなど、農家ではないケースも珍しくありません。
そこで農林水産省が検討しているのが、農地について信託を活用しやすくする制度改革です。
農業をしていない親族にも農地の管理などを生前から任せられるようになれば、相続によって農地の権利が細かく分散することを防げる可能性があります。
農地信託とはどのような仕組みなのでしょうか。
農地は普通の不動産とは扱いが違う
農地を理解するときに重要なのは、宅地やマンションなどの一般的な不動産と同じようには扱えないという点です。
農地については農地法によって権利の移動や転用などが厳しく規制されています。
その背景には、農地が単なる個人の財産ではなく、食料を生産するための重要な基盤でもあるという考え方があります。
例えば農地を売買したり貸したりする場合には、原則として農業委員会の許可など一定の手続きが必要になります。
農地を住宅や工場などに転用する場合にも規制があります。
つまり、土地を所有しているからといって、所有者が完全に自由に利用したり処分したりできるわけではありません。
生前贈与には大きな制約がある
農家の親が高齢になったとします。
子どもは会社員で農業をしていません。
親としては、自分が元気なうちに農地の管理をその子どもに任せたいと考えるかもしれません。
しかし、現行制度では農地を親から子などへ生前贈与する場合、農地法上の規制があります。
農地を取得する側には、農地を適正に利用することなど一定の要件が求められます。
そのため、農業をしていない子どもへ単純に農地を移しておけばよいという話にはなりません。
一方、相続の場合には事情が異なります。
所有者が亡くなれば、農業をしているかどうかにかかわらず、配偶者や子どもなどが農地を相続することがあります。
ここに農地相続特有の問題があります。
相続すると農地の権利が分散する
例えば農地を持っている父親が亡くなり、相続人が妻と3人の子どもだったとします。
遺産分割をきちんと行って特定の相続人に農地を集めればよいのですが、農地は宅地などに比べて資産価値が低い地域もあります。
そのため十分な話し合いが行われず、共有状態のままになることがあります。
さらに世代交代が繰り返されれば、
親から子へ
子から孫へ
孫からひ孫へ
と権利関係が広がっていきます。
結果として、一つの農地について多数の人が権利を持つ状態になりかねません。
農地そのものは一枚の田畑でも、その裏側にいる権利者だけが増えていくわけです。
権利が分散すると農地を動かしにくくなる
農地の権利が分散すると問題になるのが意思決定です。
農地を誰かに貸したい。
別の農家に集約したい。
農地を売却したい。
こうした場面で複数の権利者との調整が必要になります。
例えば共有農地を貸す場合には一定割合の共有者の同意が必要となり、売却など共有物そのものを処分する場合には原則として共有者全員の同意が必要になります。
相続人同士の関係が良好であれば話し合えるかもしれません。
ところが世代交代が進めば、会ったことすらない親族が共有者になっていることもあります。
さらに相続登記などが適切に行われていなければ、現在の権利者を確認するところから始めなければならない場合もあります。
こうして農地を使いたい人がいても動かせないという状態が生まれます。
そこで信託という考え方が出てくる
信託とは、財産を持っている人が、その財産の管理や運用などを別の人に託す仕組みです。
一般的な信託では、
財産を託す人を委託者
財産を管理する人を受託者
信託から利益を受ける人を受益者
と呼びます。
例えば高齢の親が農地を持っているとします。
親自身は高齢になり、農地を管理することが難しくなってきました。
一方、子どもは農業をしていなくても、地域の農家や農地バンクと連絡を取りながら農地を維持する意思があります。
信託を利用できる制度が整えば、親が元気なうちから農地の管理などを信頼できる人に託すという選択肢が広がります。
所有者本人がすべての判断を抱え込む必要がなくなる可能性があるのです。
相続が起きる前から対策できる意味は大きい
農地信託の重要なポイントは、相続が発生してから対策するのではなく、所有者が元気なうちから準備できることです。
農地問題は相続が発生した瞬間に始まるわけではありません。
所有者が高齢になり、
農作業ができなくなる
判断能力が低下する
農地を貸す契約を更新できなくなる
といった問題が先に起こることがあります。
特に認知症などによって本人の判断能力が低下すると、新しい契約を結んだり重要な財産処分をしたりすることが難しくなる場合があります。
信託を適切に設計できれば、本人の判断能力が十分な段階で将来の管理方法を決めておくことができます。
農地の相続対策と認知症対策を同時に考えられる可能性があるわけです。
農地バンクとの組み合わせも重要になる
農地信託が導入されたとしても、農家ではない子どもが自分で農業を始める必要があるとは限りません。
重要なのは農地を実際に耕作できる担い手につなぐことです。
その役割を担っている仕組みの一つが農地中間管理機構です。
一般に農地バンクと呼ばれています。
農地を貸したい所有者などから農地を借り受け、規模を拡大したい農業者などへ貸し付けることで、農地の集約を進めます。
農地の貸借契約は長期間に及ぶことがあります。
ところが契約期間中や更新時に相続が発生し、権利者が多数に分散すると、その後の手続きが複雑になる可能性があります。
農地信託によって管理主体を明確にできれば、農地バンクなどを通じて現役の担い手に農地を貸し続けやすくなることが期待されます。
所有者不明や不在の農地はすでに巨大な規模になっている
農地の権利問題は一部の農家だけの問題ではありません。
農林水産省によると、2025年3月末時点で、全国の農地のうち所有者が不明だったり所有者が近隣に住んでいなかったりする農地は106万ヘクタールに達しています。
全国の農地のおよそ2割に相当する規模です。
一方、日本の農業を担う人は急速に減っています。
個人経営の農家では65歳以上が大きな割合を占め、平均年齢も68歳近くになっています。
これから高齢農家から子世代への相続が本格化すれば、農業をしていない人が農地を相続するケースはさらに増えると考えられます。
だからこそ、相続が起きてから農地の権利関係を整理するだけではなく、相続前から農地の管理を次世代へ引き継ぐ仕組みが必要になっています。
信託を解禁すれば耕作放棄地がなくなるわけではない
ただし、農地信託は万能ではありません。
信託という仕組みを用意しても、管理を引き受ける人がいなければ利用できません。
さらに大きな問題は、農地そのものに経済的な魅力があるかどうかです。
農地を貸して得られる収入よりも、管理の手間や負担のほうが大きければ、農地を引き受けたい人は増えません。
地域によっては農地が資産というより負担になることもあります。
そのため、
農地の集約
担い手の確保
農業の収益力向上
農産物の販路拡大
などを同時に進める必要があります。
信託は農地を誰が管理するのかという問題を解決するための道具であって、農業そのものの収益性を高める制度ではないからです。
農地制度が相続後から相続前へ変わる可能性がある
今回の検討で注目したいのは、単に信託という新しい制度が加わることだけではありません。
農地政策の時間軸が変わる可能性があります。
これまでは、
所有者が亡くれる
相続人が農地を取得する
その後に農地をどうするか考える
という流れになりがちでした。
これに対して信託を活用できるようになれば、
所有者が元気なうちに後継管理者を決める
農地の管理方法を決める
担い手への貸し付けを続ける
相続後も農地を分散させない
という流れを作れる可能性があります。
相続が起きた後に農地を整理する制度から、相続が起きる前に農地の将来を設計する制度へ変わっていくわけです。
結論
農林水産省が検討している農地信託の重要な意味は、農地を農業をしている人だけの相続問題として考えないところにあります。
農家の高齢化が進む一方、子ども世代が農業をしていないケースは増えています。
何も対策しなければ、相続のたびに農地の権利が複数の親族へ分散し、貸すことも売ることも難しい農地が増えていく可能性があります。
信託を利用して所有者が元気なうちから農地の管理を信頼できる親族などに委ねられるようになれば、相続による権利分散を抑え、農地バンクなどを通じて現役の担い手へ農地をつなぎやすくなる可能性があります。
もっとも、信託制度だけで耕作放棄地の問題が解決するわけではありません。
誰が農地を管理するのかという問題と、誰が農業で稼ぐのかという問題は別だからです。
農地信託は、農業をしていない子どもが増える時代に合わせて、農地の承継を相続後ではなく相続前から考えるための仕組みとして注目すべき制度改革だといえます。
参考
日本経済新聞 2026年8月26日 朝刊 農地の相続分散に歯止め
日本経済新聞 2026年8月26日 朝刊 農地法 住宅や工場への転用規制