企業が育児休業制度を充実させたり、柔軟な勤務制度を導入したりすると費用がかかります。
そのため、これまで子育て支援は福利厚生の一つとして考えられることが少なくありませんでした。
しかし、人手不足が進み、人材そのものが企業の競争力を左右するようになると見方が変わります。
育児を理由に経験のある従業員が退職すれば、企業は長年蓄積してきた知識や技能を失います。新しい人材を採用して教育するにも費用がかかります。
そこで、子育て支援に使うお金を単なる福利厚生費ではなく、人材の価値を維持し、高めるための投資として考えることができます。
この考え方は、人的資本経営と深くつながっています。
人的資本経営とは何か
人的資本経営とは、人材を単なる費用ではなく、企業価値を生み出す重要な資本として捉える考え方です。
企業には工場、機械、店舗、現金などさまざまな資産があります。
しかし、企業の競争力を生み出しているのは目に見える資産だけではありません。
従業員が持つ知識、技能、経験、創造力、取引先との関係なども重要です。
例えば、同じ設備を持つ二つの会社があっても、従業員の能力や組織力が違えば、生み出す利益は変わります。
人材をどのように採用し、育成し、配置し、長期間活躍してもらうかが企業価値に影響するわけです。
人的資本経営では、人件費をできるだけ削減するという発想だけではなく、人材に投資して将来の企業価値を高めることを重視します。
福利厚生とは何が違うのか
子育て支援を福利厚生として考える場合、従業員に与える便益という見方が中心になります。
例えば育児中の従業員が利用できる制度を増やしたり、シッター費用を補助したりすることです。
企業から見れば支出になります。
一方、人的資本への投資として考えると見方が変わります。
例えば、ある従業員を10年間かけて育成し、高度な知識や経験を持つ人材になったとします。
その従業員が出産や育児をきっかけに退職すれば、企業は10年間かけて蓄積してきた人的資本の一部を失います。
そこで育児休業や柔軟な勤務制度などを整え、働き続けられる環境をつくります。
企業が支払う子育て支援費用は、人的資本の流出を防ぐための投資と考えることができます。
離職防止には経済的な価値がある
従業員が一人退職すると、単に一人分の労働力が減るだけではありません。
新しい人を募集するための採用費用が発生します。
採用担当者の時間も必要になります。
新しい従業員を教育する費用もかかります。
さらに、新しい人材が十分な能力を発揮できるようになるまで生産性が下がる場合があります。
専門性の高い人材であれば、代わりの人を簡単に採用できないこともあります。
こうした費用まで考えると、経験のある従業員に働き続けてもらうことには大きな経済的価値があります。
子育て支援に100万円使うことだけを見るのではなく、それによって何百万円もの採用費や教育費を回避できる可能性まで考える必要があります。
育児休業は人材を失わないための仕組みでもある
育児休業という言葉から、仕事をしない期間という印象を持つことがあります。
企業から見れば、その期間の人員配置を調整しなければならないため負担もあります。
しかし、長期的に考えると意味が変わります。
育児休業によって一定期間仕事から離れても、その後職場に復帰して長期間働けば、企業は経験のある人材を維持できます。
退職してしまえば、その人材を完全に失います。
数カ月や一定期間の休業を認めることで、その後10年、20年働いてもらえるのであれば、企業にとって合理的な人材戦略になる場合があります。
育児休業は従業員だけのための制度ではなく、企業が人的資本を維持するための制度でもあるのです。
男性の育児支援も人的資本経営につながる
人的資本経営の観点では、子育て支援を女性だけの問題として考えることも適切ではありません。
男性も育児休業を取得しやすくすれば、家庭内の育児負担を分担できます。
その結果、女性が出産後も仕事を続けやすくなる可能性があります。
また、男性自身も仕事か育児かの二者択一を迫られにくくなります。
企業が男女双方のキャリアを維持できれば、組織全体の人的資本を失いにくくなります。
男性の育児休業取得率を高めることは、単なる数値目標ではありません。
男女双方の人材を長期間活用できる企業をつくるという意味があります。
柔軟な働き方も重要になる
子育て支援は育児休業だけではありません。
実際には職場復帰した後の働き方が重要です。
保育所への送迎がある従業員にとって、毎日長時間残業する働き方は難しいでしょう。
短時間勤務、時差出勤、テレワークなどを活用できれば、仕事と育児を両立しやすくなります。
こうした柔軟な働き方は、子育て世帯以外にも利用できる場合があります。
介護をする人や、さまざまな事情を抱える人も働き続けやすくなるからです。
子育て支援をきっかけに働き方を見直すことが、企業全体の人材活用につながる可能性があります。
人材への投資は採用力にも影響する
人的資本経営では、現在いる従業員だけでなく、将来採用する人材も重要です。
少子化が進めば、働く人の数も減っていきます。
企業同士が限られた人材を奪い合う状況になれば、求職者から選ばれる会社をつくる必要があります。
給与が高いことは重要ですが、それだけではありません。
将来子どもが生まれても働き続けられるか。
育児休業を実際に取得できるか。
長時間労働が常態化していないか。
こうした情報も企業選びの材料になります。
子育て支援への投資が企業の採用力を高めれば、将来の人的資本を獲得する効果も生まれます。
投資家も人材を見るようになっている
企業の人材戦略は、経営者や従業員だけの問題ではありません。
投資家にとっても重要です。
企業が将来利益を生み出せるかを考える場合、その企業がどのような人材を持っているかは重要な判断材料になります。
優秀な人材が次々に退職する会社と、人材が長期間働きながら能力を高められる会社では、長期的な競争力に違いが生じる可能性があります。
そのため、人材育成、多様性、従業員の定着などに関する情報が企業評価の材料になっています。
子育て支援も、人材を長期間維持する仕組みとして考えれば人的資本に関する重要な情報になります。
子育て支援を数字で測る必要もある
人的資本経営として子育て支援を考える場合、制度をつくっただけで満足するのではなく、結果を確認することが重要です。
例えば、育児休業取得率はどうなっているのか。
男性も利用しているのか。
育児休業からどの程度職場復帰しているのか。
子育てを理由とした離職は減っているのか。
長時間労働は改善しているのか。
こうした数字を見ることで、子育て支援への投資が実際に機能しているかを確認できます。
人的資本経営では、人材への投資とその成果を結び付けて考えることが重要になります。
新しい認定制度は人的資本経営をさらに広げる
これまでのくるみん認定は、主として企業内部の仕事と子育ての両立支援を評価してきました。
一方、こども家庭庁が2027年度に創設を目指す新しい認定制度では、商品やサービスを通じた社外への子育て支援まで対象を広げる方向です。
この二つを組み合わせると、企業の子育て支援はさらに広い意味を持ちます。
社内では従業員が子育てしながら働き続けられる環境をつくる。
社外では商品やサービスによって顧客や地域の子育てを支える。
前者は人的資本への投資として企業の人材力を高め、後者は顧客獲得や企業ブランドにつながる可能性があります。
子育て支援が人事部門だけの問題から、企業経営全体の問題へ広がっていくわけです。
結論
人的資本経営とは、人材を単なる費用ではなく、将来の企業価値を生み出す資本として考える経営です。
この視点から見ると、子育て支援の意味も変わります。
育児休業、柔軟な勤務制度、シッター支援などに企業がお金を使うことは、短期的には費用です。
しかし、その結果として経験のある従業員の離職を防ぎ、採用や教育にかかる費用を抑え、人材が長期間活躍できるのであれば、人的資本への投資になります。
少子化によって働く人が減っていくほど、一度採用した人材に長く活躍してもらう重要性は高まります。
子育て支援は、従業員に優しい会社をつくるためだけの制度ではありません。
企業が貴重な人的資本を維持し、将来の競争力を高めるための経営戦略でもあります。
子育て支援を福利厚生から人材投資へと捉え直すことが、人的資本経営を考えるうえで重要になっていきます。
参考
日本経済新聞 2026年8月25日 朝刊 子育て向け商品・サービス提供企業に法人減税