静かな退職を防ぐうえで、管理職の役割は非常に重要です。
社員にとって会社とは、経営理念や人事制度だけで存在するものではありません。日常的に接する上司の言葉や行動を通じて、会社からどのように扱われているかを感じることが多いからです。
仕事を任せてもらえる。成果を認めてもらえる。困ったときには支援してもらえる。意見を聞いてもらえる。
こうした経験が積み重なれば、社員は仕事や組織との心理的なつながりを持ちやすくなります。
反対に、頑張るほど仕事を増やされる。成果を出しても何も言われない。提案しても否定される。仕事の方法まで細かく指示される。
こうした経験が続けば、「必要以上に頑張らない方がよい」と考えるようになる可能性があります。
静かな退職を防ぐ管理職とは、部下を無理にやる気にさせる人ではありません。
部下が自ら働く意欲を失わない環境をつくれる人だと考えることができます。
管理職が部下のやる気をつくるわけではない
管理職の仕事というと、「部下のモチベーションを上げること」と言われることがあります。
しかし、人の内面的な意欲を上司が直接操作することはできません。
管理職にできるのは、部下が意欲を持ちやすい条件を整えることです。
仕事量が適切である。
自分の能力を使える。
一定の裁量がある。
努力や成果が認められる。
困ったときには支援を受けられる。
仕事の意味を理解できる。
こうした条件が整えば、社員は主体的に仕事へ関わりやすくなります。
逆に、これらの条件を壊せば、もともと意欲の高かった社員でも仕事との距離を広げる可能性があります。
仕事量の調整は管理職の重要な仕事
静かな退職の背景の一つにバーンアウトがあります。
特に注意したいのが、仕事のできる社員への業務集中です。
仕事が速い。
責任感が強い。
頼めば断らない。
問題が起きても対応してくれる。
こうした社員には、管理職も仕事を頼みやすくなります。
すると、仕事のできる人ほど仕事が増えていきます。
最初は期待されていることをうれしく感じるかもしれません。
しかし、それが長期間続けば疲弊します。
やがて「これ以上頑張れば、さらに仕事を増やされるだけだ」と考えるようになる可能性があります。
頑張った人への報酬が追加の仕事だけになっていないか
職場では、優秀な社員への事実上の報酬が「新しい仕事」になってしまうことがあります。
難しい仕事を終えた。
すると、さらに難しい仕事を任される。
他の社員より早く仕事を終えた。
すると、遅れている人の仕事を手伝うよう求められる。
こうしたこと自体が悪いわけではありません。
能力のある人に重要な仕事を任せることは必要です。
問題は、その追加負担に対する評価や支援がない場合です。
仕事だけ増え、給与も評価も変わらず、感謝もされない。
この状態では「頑張らない方が得だ」という学習が起きる可能性があります。
管理職は、誰にどれだけ仕事が集中しているかを把握する必要があります。
仕事を増やすだけでなく減らす
管理職には、仕事を部下へ割り振る役割があります。
しかし、仕事を追加することだけがマネジメントではありません。
何をやめるかを決めることも重要です。
新しい仕事を任せるのであれば、既存の仕事の一部を減らせないか。
優先順位の低い会議をなくせないか。
不要な報告を減らせないか。
他の社員へ仕事を移せないか。
生成AIやシステムで効率化できないか。
社員の仕事量を管理するとは、仕事を詰め込むことではありません。
限られた時間と能力を、重要な仕事に振り向けられるようにすることです。
承認とフィードバックが必要になる
管理職は部下の仕事を評価する立場にあります。
しかし、人事評価を半年や一年に一度行うだけでは十分ではありません。
日常的なフィードバックが必要です。
あの説明は分かりやすかった。
顧客への対応が早かったので問題が大きくならなかった。
新人への支援が助かった。
今回の資料は意思決定に役立った。
こうした具体的な言葉によって、社員は自分の行動がどのような価値を生んだのか理解できます。
承認とは、単に褒めることではありません。
部下の仕事を見て、その価値を本人に返すことです。
悪いときだけ話しかけない
管理職が部下に話しかけるのは、問題が起きたときだけという職場があります。
ミスをした。
期限に遅れた。
顧客から苦情があった。
そのときには詳しく話します。
一方、問題なく仕事をしているときには何も言いません。
これでは、社員から見ると「失敗したときだけ見られている」状態になります。
問題なく仕事が進んでいる背景にも、社員の工夫や努力があります。
管理職は、問題を指摘するだけでなく、うまくいっていることにも目を向ける必要があります。
裁量を与える意味
自己決定理論では、自律性が人の主体的な動機づけを支える基本的な心理欲求の一つとされています。
仕事でも、自分で考えて決められる余地が重要です。
目的。
期限。
守るべきルール。
必要な品質。
こうした条件を明確にしたうえで、仕事の進め方について一定の裁量を与えることができます。
ところが管理職が、
この順番でやりなさい。
この方法を使いなさい。
途中経過を毎回報告しなさい。
細かな判断もすべて確認しなさい。
と管理すれば、部下は自分で考える必要がなくなります。
それで「もっと主体的に働いてほしい」と求めても矛盾します。
裁量と放任は違う
裁量を与えることは、部下を放置することではありません。
目的も説明せず、「好きにやって」と任せることは自律性を高めるとは限りません。
何を達成する必要があるのか。
どこまで自分で判断してよいのか。
困ったときには誰に相談できるのか。
どの段階で確認するのか。
こうした枠組みを明確にしたうえで、その中で本人が考えられる余地をつくります。
支援と裁量を組み合わせることが重要です。
提案を否定し続けない
社員の主体性を失わせる典型的な行動の一つが、提案を繰り返し否定することです。
「前にもやった」
「無理だと思う」
「余計なことをしなくていい」
「今までの方法で問題ない」
こうした反応が続けば、社員は提案しなくなります。
提案をすべて採用する必要はありません。
採用できないのであれば、その理由を説明すればよいのです。
重要なのは、提案内容を採用するかどうかと、提案するという行動を尊重することを分けて考えることです。
部下によって必要な対応は違う
静かな退職には、燃え尽き、学習性無力感、退屈など異なる背景があります。
したがって、管理職が全員に同じ対応をしても効果は期待しにくくなります。
燃え尽きている社員には休息と仕事量の調整が必要です。
無力感を持つ社員には、努力が結果につながる経験や承認が必要です。
退屈している社員には、能力を生かせる仕事や新しい挑戦が必要です。
「全員に新しい目標を設定する」といった一律の対応では、ある社員には効果があっても、別の社員には負担になる可能性があります。
管理職には、部下の状態を見極める力が求められます。
一対一の対話が重要になる
部下の状態を知るためには、日常的な対話が必要です。
最近仕事で困っていることはないか。
仕事量は適切か。
今の仕事で能力を使えているか。
やってみたい仕事はあるか。
減らしたい仕事はあるか。
会社や上司に改善してほしいことはあるか。
こうしたことを話せる機会をつくります。
ただし、面談を実施すること自体が目的になってはいけません。
社員が本音を話しても何も変わらなければ、「話しても無駄だ」と学習します。
対話した後に、必要な対応につなげることが重要です。
管理職自身の負担にも目を向ける
静かな退職対策では、管理職に多くの役割が求められます。
部下の仕事量を管理する。
日常的にフィードバックする。
一対一の対話を行う。
心理的安全性をつくる。
キャリアを支援する。
チームの成果も上げる。
しかし、管理職自身が過大な仕事を抱えている場合、これらを十分に行うことは困難です。
プレーヤーとして自分の仕事を持ちながら、多数の部下を管理している管理職もいます。
その状態で「部下一人ひとりに丁寧に向き合え」と求めても限界があります。
管理職自身が静かな退職になる可能性
管理職も静かな退職と無関係ではありません。
上からの要求と部下からの要求の間に挟まれる。
責任だけ増える。
自分には十分な裁量がない。
成果を出しても評価されない。
部下の問題について責任を負わされる。
こうした状態が続けば、管理職自身が疲弊する可能性があります。
管理職が仕事との心理的な距離を広げれば、部下への支援も減ります。
その結果、部下のエンゲイジメントも低下するという悪循環が起こることがあります。
静かな退職対策を管理職だけの責任にしてはいけない理由です。
会社は管理職を支援する必要がある
企業が管理職に良いマネジメントを求めるのであれば、管理職自身がそれを実行できる環境を整える必要があります。
管理する部下の人数を適切にする。
管理職自身の実務負担を見直す。
人事部門が支援する。
マネジメント能力を学ぶ機会をつくる。
難しい部下対応について相談できる仕組みを整える。
管理職の仕事も適切に評価する。
こうした支援が必要です。
管理職だけに「部下のエンゲイジメントを上げろ」と求めても、組織全体の仕組みが変わらなければ限界があります。
人的資本経営では管理職が接点になる
企業がどれだけ優れた人事制度をつくっても、社員が日常的に経験するのは直属の上司との関係です。
会社が「挑戦を評価する」と掲げても、上司が失敗を強く責めれば社員は挑戦しません。
会社が「社員の自律性を尊重する」と掲げても、上司が細かく管理すれば自律性は感じられません。
会社が「人を大切にする」と掲げても、上司が部下の仕事を見ていなければ実感できません。
人的資本経営の理念を日常の職場で実現する接点の一つが管理職なのです。
結論
静かな退職を防ぐ管理職とは、部下を強く動機づける人ではありません。
部下が自ら働く意欲を失わない環境をつくれる人です。
仕事が一部の社員に集中していないかを見る。
新しい仕事を与えるだけでなく、不要な仕事を減らす。
成果や努力を具体的に承認する。
仕事の目的を明確にしたうえで裁量を与える。
提案を尊重する。
そして、部下の状態に応じて対応を変える。
こうした日常的なマネジメントが重要になります。
一方で、静かな退職対策を管理職だけに押しつけることもできません。
管理職自身が過大な仕事量や責任によって疲弊していれば、部下一人ひとりに向き合う余裕はなくなります。
企業が考えるべきなのは、管理職に「部下のやる気を上げろ」と命じることではありません。
管理職自身にも適切な仕事量、裁量、支援、承認を与え、良いマネジメントを実践できる環境をつくることです。
部下の静かな退職を防ぐためには、まず管理職自身が静かな退職に向かわなくて済む組織をつくる必要があるでしょう。
参考
日本経済新聞 2026年8月19日朝刊 「静かな退職」どう防ぐか(下) 心理的な背景 見極め対応を