これまで企業にとって農産物は、農家や農業法人から購入するものという位置付けが一般的でした。
食品会社は原材料を仕入れ、小売会社は卸売市場や産地から商品を調達し、外食会社は必要な食材を購入します。
ところが近年、農業を本業としない企業が自ら農業へ参入する動きが広がっています。
農地を借りて野菜やコメなどを生産したり、農業法人を設立したりする企業もあります。
背景にあるのは、単なる事業多角化だけではありません。
農産物の価格上昇や供給不足を経験するなか、企業にとって農業が原材料を安定して確保するための経営戦略になり始めています。
企業の農業参入は増えている
農業を本業としない企業でも、一定の要件を満たして農地を借りれば農業へ参入できます。
農地を借りている法人数は2025年に初めて延べ5000を超え、10年間で約2.5倍に増えました。
企業による農業参入が特別な事例ではなくなりつつあることが分かります。
一方で、企業が借りている農地面積は約2万627ヘクタールで、全国の経営耕地面積の1パーセントにも達していません。
つまり、参入する企業の数は増えているものの、一社当たりの農業規模はまだ小さいということです。
農業を主業とする法人では一法人当たりの平均面積が30ヘクタールを超えるのに対して、貸借だけで参入する非主業企業では約4ヘクタールにとどまります。
企業農業が本格的に拡大するには、まとまった農地を確保できるかどうかが重要になります。
なぜ食品会社が農業へ参入するのか
食品会社にとって、農産物は事業を続けるために欠かせない原材料です。
農産物が安定して手に入ることを前提に、食品工場を動かしています。
ところが、天候不順や生産者減少などによって供給量が減れば、必要な原材料を予定通り調達できない可能性があります。
価格が急騰すれば、製品価格へ転嫁できない限り利益率が低下します。
そこで、原材料のすべてを外部から購入するのではなく、一部を自社で生産するという選択肢が出てきます。
自社農場だけですべてを賄う必要はありません。
市場調達、契約栽培、自社生産など複数の調達方法を組み合わせることで、原材料調達のリスクを分散できます。
小売企業にも農業参入の意味がある
スーパーなどの小売企業にとっても農産物の安定調達は重要です。
野菜やコメが不足すれば、店頭の商品そのものがなくなります。
価格が大きく上昇すれば、消費者の購買行動にも影響します。
自社やグループ企業で農業を行えば、生産段階から販売までを一体として管理できる可能性があります。
どのような品種をつくるのか。
どの時期に収穫するのか。
どれくらいの量を生産するのか。
店舗側の需要情報を生産計画へ反映できれば、売れ残りや不足を減らすことも考えられます。
小売企業が持つ販売データと農業生産を直接結び付けられることは、一般の農家にはない強みになり得ます。
原材料の安定調達が経営課題になっている
企業が農業へ参入する大きな理由の一つが、原材料の安定調達です。
従来は、必要な農産物を市場から購入できることを前提に事業を組み立てることができました。
しかし農業者が減少し、農地の担い手不足が進めば、この前提が将来も続くとは限りません。
2025年4月時点の地域計画では、2035年に担い手がいない農地が134万ヘクタールに上るとされています。
農地そのものがなくならなくても、耕す人がいなければ農産物は生産されません。
食品会社や小売会社にとって、農業者の減少は農業界だけの問題ではありません。
自社のサプライチェーンに関わる経営リスクなのです。
価格高騰リスクにも対応できる
農産物価格は天候や需給によって変動します。
不作になれば市場への供給量が減り、価格が急上昇することがあります。
企業が必要な農産物をすべて市場から購入していれば、その価格変動を直接受けます。
一部を自社生産すれば、市場価格への依存度を下げることができます。
もちろん、自社生産なら価格変動リスクがなくなるわけではありません。
自社農場も天候不順や病害虫などの影響を受けます。
しかし、外部調達だけに依存する場合と、自社生産や契約栽培などを組み合わせる場合ではリスクの構造が変わります。
企業農業は、調達方法を分散する手段の一つと考えることができます。
令和のコメ騒動も企業に影響する
店頭からコメが消えるなどした令和のコメ騒動は、食料の安定調達について企業が考えるきっかけの一つになりました。
コメは日本国内で生産される代表的な農産物ですが、それでも需給が変化すれば店頭で不足したり、価格が上昇したりすることがあります。
小売、外食、食品加工などコメを扱う企業にとっては、商品を確保できないこと自体が事業リスクになります。
今後、農業者の減少がさらに進めば、企業が農産物の生産基盤そのものへ関与する必要性が高まる可能性があります。
農業参入は、食料不足が起きたときの一時的な対応ではなく、長期的な調達戦略として考える必要があります。
サプライチェーンを川上まで広げる
企業の農業参入は、サプライチェーンを川上へ広げる動きとも考えられます。
食品会社であれば、
農産物の生産
加工
物流
販売
という流れがあります。
従来は農産物の生産を農家に任せ、企業は加工以降を担当することが一般的でした。
自ら農業へ参入すれば、生産段階まで企業グループの管理範囲を広げることができます。
生産から販売までを一体化すれば、需要に応じて生産量を調整したり、商品の品質を統一したりしやすくなる可能性があります。
これは農業と食品産業の垂直統合ともいえる動きです。
販売先を持っていることが企業の強みになる
農業へ参入する企業には、既存農家とは異なる強みがあります。
その一つが販売先です。
食品会社であれば自社工場で農産物を原材料として使用できます。
小売企業であれば自社店舗で販売できます。
外食企業であれば自社店舗の料理に利用できます。
農業経営では、農産物をつくることだけでなく、つくったものをどこへ売るのかが重要です。
企業が既存事業として販売網を持っていれば、農業参入時から一定の出口を確保できます。
生産と販売を一体として設計できることは企業農業の大きな特徴です。
農業を新規事業として考える企業もある
農産物の調達だけでなく、新しい事業分野として農業へ参入する企業もあります。
農業は、食品加工、物流、観光、再生可能エネルギー、情報通信など多くの産業と結び付く可能性があります。
たとえば情報通信技術を持つ企業であれば、スマート農業を自社農場で実践し、その技術を外部の農業者へ提供することも考えられます。
農業機械やドローン、人工知能、センサーなどの市場も広がっています。
自ら農業を行うことによって、農業現場の課題を理解し、新しい商品やサービスを開発することもできます。
農業参入そのものが新規事業開発の入口になる可能性があります。
企業の資金力とスマート農業は相性がよい
企業が農業へ参入する場合、最初から大規模化やスマート農業を前提として事業を設計できる可能性があります。
自動運転農機や農業用ドローン、センサーなどを導入すれば、人手を抑えながら広い農地を管理できます。
こうした設備には一定の投資が必要です。
資金力を持つ企業であれば、従来の小規模農家では難しかった設備投資を行える場合があります。
さらに企業が持つデータ分析、物流管理、人材管理などのノウハウを農業へ持ち込むこともできます。
農業に企業経営の考え方を取り入れることで、生産性を高められる可能性があります。
最大の問題はまとまった農地の確保
一方、企業が農業へ参入するときの大きな障壁が農地です。
農業を事業として行うには、一定規模の農地が必要になります。
特にコメでは、企業が採算を確保するためには10ヘクタールから15ヘクタール程度の農地が必要との見方があります。
ところが、日本の農地は小さな区画に分かれ、所有者も多数に分かれている場合があります。
企業が一人ずつ所有者を探して農地を借りるのは大変です。
そのため農地バンクによる集積や集約、地域計画による将来の農地利用の見える化が重要になります。
企業参入を増やすには、制度上参入できるようにするだけでなく、実際に事業として利用できる農地を用意する必要があります。
農地検索システムが参入コストを下げる
農林水産省が2026年11月から運用を始める企業向け農地検索システムは、この問題への対応策の一つです。
企業は農業参入ポータルを通じて、借用可能な農地を無料で検索できるようになります。
面積だけでなく、気象条件、農地の集積状況、将来的な拡張可能性、交通アクセス、電力や通信環境なども確認できるようになります。
企業にとって農地探しは、単なる土地探しではありません。
農業事業の立地選定です。
全国の農地情報を比較できるようになれば、企業が農業へ参入するための調査コストを下げられる可能性があります。
企業が参入すれば必ず成功するわけではない
企業には資金や経営ノウハウがありますが、それだけで農業が成功するわけではありません。
農業には天候リスクがあります。
農産物価格も変動します。
地域ごとに土壌、水利、気象条件が異なり、長年の経験が必要な作業もあります。
さらに農業は地域社会との関係が強い産業です。
農道や水路の管理など、地域の農業者と協力しなければならない場合もあります。
企業経営の方法をそのまま農業へ持ち込むだけではうまくいかないことがあります。
企業の資金力や経営力と、地域の農業者が持つ技術や知識を組み合わせることが重要です。
結論
企業の農業参入が増えている背景には、農業を新規事業として成長させたいという理由だけでなく、農産物を安定して調達したいという経営上の必要性があります。
農業者が減少し、将来の農地の担い手不足が見込まれるなか、食品会社や小売会社にとって農業問題は自社のサプライチェーン問題になっています。
市場から農産物を購入するだけでなく、自社生産、契約栽培、外部調達など複数の方法を組み合わせることで、供給不足や価格高騰のリスクを分散できます。
企業には販売網、資金、物流、データなど農業者とは異なる強みがあります。
一方で、まとまった農地の確保や農業技術、地域との連携など、企業だけでは解決できない問題もあります。
農地バンク、地域計画、農地検索システムなどによって企業が農地へアクセスしやすくなれば、企業参入はさらに広がる可能性があります。
これまで企業にとって農業は原材料を購入する相手でした。
これからは、自ら農産物をつくり、生産段階からサプライチェーンを構築する企業が増えていく可能性があります。
企業の農業参入は、日本農業の担い手を増やすだけでなく、企業の食料調達戦略そのものを変える動きといえます。
参考
日本経済新聞 2026年8月16日 朝刊 企業、農地探しやすく 農水省がサイト、参入を後押し