米国株の23時間取引が始まれば、日本の投資家は深夜まで待たなくても、昼間に米国株をリアルタイムで売買できるようになります。
投資家にとって取引できる時間が増えることは、一見すると純粋なメリットに思えます。
重要なニュースが出ればすぐに売買できる。急落した株をすぐに売却できる。買いたい企業を思いついたときに注文できる。
しかし投資では、取引できる機会が増えることと、投資成果が良くなることは同じではありません。
むしろ市場へ簡単にアクセスできるほど、必要のない売買まで増えてしまう可能性があります。
そこで重要になるのが行動ファイナンスです。
人間は常に合理的に投資判断をするわけではありません。
米国株の23時間取引は、投資家の利便性を高める一方、人間が持つ心理的な弱点まで刺激する可能性があります。
売買機会が増えることのメリット
23時間取引には明確なメリットがあります。
最大のメリットは、投資家が自分の生活時間に合わせて取引できることです。
これまで米国株の通常取引は、日本では深夜から早朝に行われていました。
会社員がリアルタイムで取引しようとすれば、睡眠時間を削らなければならないこともあります。
日本時間の昼間にも米国株を取引できるようになれば、こうした負担は小さくなります。
日本株と米国株を同じ時間帯に比較できることも大きな変化です。
投資家の選択肢は確実に広がります。
重大なニュースへ対応しやすくなる
企業や経済に関するニュースは、証券取引所の営業時間に合わせて発生するわけではありません。
企業買収。
経営者の交代。
業績予想の変更。
地政学的な事件。
中央銀行の政策変更。
世界では24時間さまざまな情報が発生しています。
市場が閉まっていれば、投資家は市場が開くまで売買できません。
23時間取引なら、新しい情報が出た後に早い段階で対応できる可能性があります。
リスク管理という意味では大きな利点です。
しかし取引できることと取引すべきことは違う
問題はここからです。
投資家がいつでも売買できるようになったとしても、いつでも売買する必要があるわけではありません。
長期投資では、企業の利益成長や経済全体の成長を長期間にわたって資産へ取り込むことが重要になります。
ところが取引環境が便利になると、短期的な値動きまで気になりやすくなります。
朝に株価を見る。
昼休みに見る。
夕方に見る。
寝る前にも見る。
そして価格が動くたびに売買する。
取引機会の増加が、投資家自身の行動を変えてしまう可能性があります。
行動ファイナンスとは何か
行動ファイナンスとは、人間の心理や行動が金融市場や投資判断へどのような影響を与えるのかを研究する考え方です。
伝統的な金融理論では、投資家は合理的に判断することが基本的な前提とされます。
しかし現実の人間は必ずしも合理的ではありません。
利益が出るとうれしくなる。
損失が出ると不安になる。
周囲の人が買っていると自分も買いたくなる。
急落すると怖くなって売りたくなる。
こうした心理が投資判断へ影響します。
市場へアクセスする機会が増えるほど、感情をそのまま売買へ反映できる機会も増えることになります。
短期売買への誘惑が強くなる
スマートフォンで証券アプリを開けば、株価はすぐに確認できます。
23時間取引になれば、その画面にはほぼ一日中動いている株価が表示されます。
値上がりしている銘柄を見れば買いたくなるかもしれません。
急落している銘柄を見れば売りたくなるかもしれません。
本来の投資方針とは関係なく、目の前の価格変動によって売買してしまう可能性があります。
市場が開いている時間が長くなることは、短期売買の誘惑にさらされる時間も長くなることを意味します。
ニュースへの過剰反応も起こりやすい
株価は新しい情報を織り込みながら動きます。
しかし最初の値動きが、その企業の本当の価値を正確に表しているとは限りません。
速報だけを見て投資家が一斉に売買し、その後詳しい内容が分かると株価が反対方向へ戻ることもあります。
市場がほぼ一日中開いていれば、ニュースを見た直後に売買できます。
これはメリットであると同時に危険でもあります。
考える時間を置かず、感情的に注文してしまいやすくなるからです。
即座に売買できることと、即座に売買することが正しいことは別です。
損失回避が判断を左右する
行動ファイナンスで知られている考え方の一つに損失回避があります。
一般に人間は、同じ金額の利益から得る喜びより、同じ金額の損失から受ける苦痛を強く感じる傾向があります。
例えば保有株が短時間で大きく下落すると、不安が急激に強くなることがあります。
その結果、
これ以上下がる前に売りたい
という感情が生まれます。
しかし長期的には一時的な下落だったということもあります。
価格を頻繁に確認するほど、小さな損失を目にする回数も増えます。
23時間取引は、こうした心理との付き合い方をこれまで以上に重要にします。
上昇相場では追いかけ買いも起こる
逆方向の問題もあります。
株価が急上昇していると、
今買わなければ乗り遅れる
と感じることがあります。
周囲の投資家が利益を得ているという情報を見ると、その感情はさらに強くなります。
結果として株価が大きく上昇した後に買い、少し下落すると怖くなって売るという行動につながることがあります。
いつでも取引できる市場では、こうした感情をすぐに注文へ変えられます。
便利な取引環境が必ずしも冷静な投資判断を生むわけではありません。
夜間は流動性にも注意が必要
心理面だけではなく、市場構造上の注意もあります。
23時間取引になっても、すべての時間帯で同じ量の売買が行われるとは限りません。
通常取引時間と比べて市場参加者が少ない時間帯では、流動性が低くなる可能性があります。
流動性が低ければ売値と買値の差が広がりやすくなります。
少ない注文で株価が大きく動くこともあります。
画面上ではいつでも取引できても、同じ条件でいつでも取引できるわけではありません。
投資家は取引可能時間だけでなく、その時間帯の市場の厚みも意識する必要があります。
長期投資家には23時間監視する必要はない
長期投資を行う人にとって重要なのは、企業や経済の長期的な成長です。
毎分変化する株価ではありません。
例えば10年、20年という期間で資産形成を考えている人にとって、午前2時の株価と午前10時の株価の違いが長期的な成果を決めるとは限りません。
23時間市場が開いているからといって、23時間市場を見る必要はありません。
むしろ自分が市場を見る時間を決めておくことが重要になる可能性があります。
自分なりの売買ルールを持つ
取引機会が増えるほど、投資家自身のルールが重要になります。
例えば、
どのような理由で購入するのか
どのような場合に売却するのか
短期的な値動きでは売買しないのか
定期的な積立を中心にするのか
といった方針を事前に決めておきます。
市場が急変してから判断すると、感情の影響を受けやすくなります。
平常時に決めたルールに従うことで、短期的なニュースや値動きへの過剰反応を抑えやすくなります。
積立投資は市場を見る回数を減らせる
新NISAを利用した長期積立では、一定額を定期的に投資する方法があります。
この方法なら、毎日の株価を見ながら購入時期を判断する必要がありません。
市場が上がっているときも下がっているときも、あらかじめ決めたルールで投資を続けます。
市場の24時間化が進んでも、投資家自身まで24時間市場に合わせる必要はありません。
自動積立のような仕組みは、投資判断から感情を遠ざける方法の一つでもあります。
便利になるほど自己管理が重要になる
金融サービスでは、利便性が高まることは一般に歓迎されます。
しかし投資については少し事情が違います。
ボタンを押せばすぐに注文できる。
手数料が低い。
ほぼ24時間売買できる。
こうした環境は投資の障壁を下げます。
同時に、不必要な売買を行う障壁まで下げます。
技術が投資家の自由を広げるほど、その自由をどう使うかは投資家自身に委ねられます。
23時間取引時代には、金融知識だけでなく、自分の感情や行動を管理する能力も一段と重要になります。
結論
米国株の23時間取引は、日本の投資家に大きな利便性をもたらします。
日本時間の昼間にも米国株をリアルタイムで売買でき、重大なニュースが発生した場合にも早く対応できるようになります。
しかし取引機会が増えることと、投資成果が向上することは同じではありません。
市場がほぼ一日中動けば、短期的な値動きを確認する機会も増えます。
ニュースへの過剰反応、損失への恐怖、上昇相場への追いかけ買いなど、人間が持つ心理的な特徴が売買へ反映される機会も増える可能性があります。
さらに参加者が少ない時間帯では、流動性の低下やスプレッドの拡大にも注意が必要です。
23時間取引の最大のメリットは、23時間取引し続けられることではありません。
必要なときに取引できる選択肢を持てることです。
長期投資家にとって重要なのは、市場の営業時間に自分の生活を合わせることではなく、自分の投資方針に市場をどう利用するかです。
金融市場が眠らなくなっても、投資家まで眠らなくなる必要はありません。
いつでも売買できる時代だからこそ、あえて売買しないという判断も、これまで以上に重要な投資行動になるといえます。
参考
日本経済新聞 2026年8月13日朝刊「米国株を日本の昼間も売買 ネット証券5社、23時間取引に対応」
日本経済新聞 2026年8月13日朝刊「米国株の23時間取引 テック株への関心高く」