日本の株式市場は大きく変わり始めています。
東京証券取引所は上場企業に対して、資本コストや株価を意識した経営を求めています。企業側でも自社株買いや増配、政策保有株式の縮減など、株主を意識した経営改革が進んできました。
日本企業の経営を変え、日本株市場の魅力を高めようとする動きです。
しかし世界の資本市場も止まっているわけではありません。
米国株は23時間取引へ向かい、日本の投資家が日本時間の昼間にも米国株をリアルタイムで売買できる環境が整いつつあります。
新NISAを通じて日本人の海外投資も広がっています。
日本株は日本人から選ばれるだけでは足りません。
米国株や欧州株など世界中の投資対象と比較されたうえで、国内外の投資家から選ばれる市場になれるのか。
東証改革は次の段階に入りつつあります。
東証が求める資本コストを意識した経営とは何か
企業は株主や金融機関などから資金を調達して事業を行います。
この資金は無料ではありません。
株主は企業へ資金を提供する代わりに、一定の投資収益を期待しています。
企業側から見ると、株主が期待する収益率は資本を利用するためのコストと考えることができます。
これが資本コストという考え方です。
企業が資本コストを上回る収益を継続的に生み出せなければ、株主から預かった資本を十分に活用しているとは評価されにくくなります。
東証が求めているのは、単に利益を出していればよいという経営から、資本をどれだけ効率的に使って企業価値を高めているのかを意識する経営への転換です。
なぜ日本企業の資本効率が問題になったのか
日本企業には長い間、財務の安全性を重視する傾向がありました。
現預金を厚く持つ。
借金を減らす。
利益を内部留保する。
こうした経営には、経済危機や不況への耐久力を高めるメリットがあります。
一方、必要以上に資金を会社内部へため込み、それを成長投資へ使わなければ資本効率は低下します。
株主から見れば、企業内部に100億円を残すのであれば、その100億円を使って将来さらに大きな利益を生み出してほしいと考えます。
有効な投資先がないのであれば、配当や自社株買いによって株主へ返してほしいという考え方も出てきます。
資本を持っていることではなく、資本をどう使うかが問われるようになっています。
PBR改革とは何か
東証改革を象徴する言葉の一つがPBRです。
PBRは株価純資産倍率と呼ばれ、
株価を1株当たり純資産で割る
ことで求めます。
PBRが1倍を下回る状態は、株式市場で評価されている企業価値が会計上の純資産を下回っていることを意味します。
ただし、PBR1倍割れだから直ちに経営が悪いと判断できるわけではありません。
重要なのは、なぜ市場から低く評価されているのかを企業自身が分析することです。
利益率が低いのか。
成長期待が弱いのか。
資本を効率的に利用できていないのか。
株主との対話が不足しているのか。
原因を分析し、企業価値を継続的に高めることが求められます。
PBRを1倍にすれば終わりではない
PBR改革という言葉が広がったことで、PBR1倍が一種の目標のように受け取られることがあります。
しかし本来の目的は、数字だけを1倍以上にすることではありません。
例えば一時的に大規模な自社株買いを行えば、株価や1株当たり指標に影響を与える可能性があります。
しかし本業の競争力が改善しなければ、長期的な企業価値向上にはつながりません。
重要なのは、
収益力を高める
成長市場へ投資する
不採算事業を見直す
資産を効率的に利用する
といった経営そのものの改革です。
PBRは改革の結果として改善する指標であって、PBRだけを動かすことが最終目的ではありません。
株主還元が増えている理由
日本企業では増配や自社株買いを強化する動きも広がっています。
株主還元には大きく二つの方法があります。
一つが配当です。
企業が利益の一部を現金で株主へ分配します。
もう一つが自社株買いです。
企業が市場から自社の株式を買い戻します。
余剰資金を株主へ還元することは、資本効率を改善する方法の一つです。
特に成熟企業で有望な投資先が少ない場合、現預金を大量にため込むより株主へ還元する方が合理的な場合があります。
株主還元だけでは企業は成長しない
一方、配当や自社株買いを増やせば企業価値が必ず高まるわけではありません。
企業の長期的な価値を生み出す中心は事業です。
新しい商品を開発する。
研究開発を行う。
海外市場へ進出する。
人材へ投資する。
企業買収を行う。
こうした投資によって将来の利益を増やすことが重要です。
十分な投資機会があるにもかかわらず、短期的な株主還元を優先しすぎれば、将来の成長力を弱める可能性があります。
成長投資と株主還元の適切なバランスが必要になります。
米国企業との大きな競争は成長力
日本株が世界の投資家から選ばれるために最も重要なのは、最終的には企業の成長力です。
投資家が株式を購入するのは、将来その企業が生み出す利益やキャッシュフローに期待するからです。
米国市場には世界規模で成長する巨大テクノロジー企業などが多数存在します。
AIや半導体、クラウドなど新しい産業分野でも大規模な投資が続いています。
日本企業が米国企業と投資資金を競うのであれば、単に割安だから買われる市場から脱却する必要があります。
割安株はいずれ適正価格になれば、その魅力がなくなるからです。
長期間保有したいと思われるためには、利益を継続的に成長させる企業を増やす必要があります。
日本企業には日本企業の強みがある
もちろん日本企業が米国企業と同じ経営をする必要はありません。
日本には、
製造装置
素材
精密機械
自動車
電子部品
産業機器
など世界的な競争力を持つ企業が存在します。
一般消費者には企業名が知られていなくても、世界のサプライチェーンで重要な位置を占める企業もあります。
重要なのは、こうした競争力を利益と企業価値へ結びつけることです。
優れた技術を持っていても、利益率が低く、資本効率も低ければ株式市場から十分に評価されない可能性があります。
技術力と資本効率を両立させる経営が求められます。
政策保有株式の縮減も市場改革の一部
日本企業特有の問題として長く指摘されてきたのが政策保有株式です。
取引関係の維持などを目的として、企業同士が株式を持ち合う慣行がありました。
こうした株式保有には取引関係を安定させる面がある一方、資本効率を低下させたり、経営への規律を弱めたりする問題も指摘されてきました。
政策保有株式を縮減し、売却した資金を成長投資や株主還元へ振り向ければ、資本の有効活用につながります。
株式持ち合いの解消も、日本市場を世界標準へ近づける改革の一つと考えることができます。
情報開示も世界の投資家を意識する必要がある
世界の投資家から資金を集めるためには、企業情報を理解してもらう必要があります。
日本語だけで情報を発信していては、海外投資家にとって情報収集の負担が大きくなります。
英語による情報開示を充実させることも重要です。
さらに単に資料を翻訳するだけではなく、
どの市場で成長するのか
どの程度の利益成長を目指すのか
資本をどこへ配分するのか
株主還元をどう考えるのか
といった経営戦略を明確に説明する必要があります。
投資家との対話そのものが市場競争力の一部になります。
米国株23時間取引で比較はさらに容易になる
米国株の23時間取引は、日本株にとって象徴的な変化です。
これまで日本時間の昼間には日本株、夜間には米国株という時間的なすみ分けがありました。
23時間取引が始まれば、日本時間の昼間にも米国株をリアルタイムで売買できます。
午前10時に投資家が証券アプリを開き、
日本企業へ投資する
米国企業へ投資する
という選択ができるようになります。
企業の国籍ではなく、期待収益や成長性をその場で比較できる環境になります。
日本企業にとって投資家の選択肢が増えることは、競争相手が増えることでもあります。
世界から資金を呼び込む発想が必要になる
日本人の海外投資が増えることを止める必要はありません。
むしろ日本の家計が世界経済の成長を取り込むことには大きな意味があります。
重要なのは反対方向の資金も増やすことです。
米国や欧州、アジアの投資家から日本株へ資金を呼び込む。
そのためには、
日本企業の利益成長
資本効率の改善
企業統治改革
市場の流動性
分かりやすい情報開示
使いやすい取引制度
などを総合的に改善する必要があります。
日本市場を国内資金で守るのではなく、世界の資金を引きつける市場へ変えるという発想が重要です。
東証改革の次に問われるもの
東証による資本コストや株価を意識した経営の要請は、日本企業に大きな変化を促しました。
しかし改革の目的はPBR1倍割れ企業を減らすことだけではありません。
本当の目標は、日本市場の企業価値創造力を高めることです。
割安だった日本株が見直される段階から、成長する日本企業へ長期的な資金が集まる段階へ進めるかどうか。
ここが次の課題になります。
市場改革は株価を一時的に上げるための政策ではなく、企業が継続的に価値を生み出せる経済構造をつくるための改革である必要があります。
結論
日本株が世界の投資家から選ばれる市場になるためには、単に株価が割安であるだけでは十分ではありません。
東証が求めてきた資本コストや株価を意識した経営は、そのための重要な第一歩です。
PBR改革、政策保有株式の縮減、増配、自社株買いなどによって、日本企業の資本効率や株主への意識は変わり始めています。
しかし本当の勝負はその先です。
長期的に利益を成長させ、新しい事業へ投資し、世界市場で競争できる企業をどれだけ増やせるかが問われます。
米国株の23時間取引によって、日本時間の昼間にも日本株と米国株を直接比較できる時代になります。
新NISAで増えた日本人の投資資金も、日本株に約束されたものではありません。
だからこそ日本株を制度によって守るのではなく、世界の投資家が自ら選びたくなる市場へ変える必要があります。
東証改革の次の課題は、割安な日本株を見直してもらうことから、成長する日本企業へ世界の長期資金を呼び込むことへの転換です。
日本株が本当に変わったかどうかは、PBR1倍を超えた企業の数ではなく、世界中に投資先がある投資家が、それでも日本企業を長期保有したいと思うかどうかで決まるといえます。
参考
日本経済新聞 2026年8月13日朝刊「米国株を日本の昼間も売買 ネット証券5社、23時間取引に対応」
日本経済新聞 2026年8月13日朝刊「米国株の23時間取引 テック株への関心高く」