「長時間労働は健康に悪い」「残業を減らしたほうが生産性は上がる」。こうしたことは、多くの人が知識として理解しています。しかし、実際の職場では慢性的な残業がなかなか減らないケースも少なくありません。
その背景には、制度や業務量だけではなく、人の心理が大きく影響しています。行動経済学では、人は必ずしも合理的に行動するわけではなく、無意識の心理的な偏り(バイアス)によって意思決定を行うことが知られています。
今回は、行動経済学の視点から、慢性的な残業が生まれる理由と、コストをかけずに改善するための工夫について解説します。
なぜ残業は減らないのか
残業が常態化する職場では、「みんなが残っているから、自分も残ろう」という空気が生まれやすくなります。
これは行動経済学でいう同調バイアスの一例です。
人は周囲と同じ行動を取ることで安心感を得る傾向があります。そのため、本来は仕事が終わっていても、周囲が働いている様子を見ると帰りづらく感じてしまいます。
疲労が判断力を低下させる
もう一つ重要なのが現状維持バイアスです。
疲労が蓄積すると、人は変化を避けようとする傾向が強くなります。
本来であれば「今日はここで終わりにしよう」と判断できる場面でも、「もう少しだけ続けよう」と考え、仕事を切り上げるタイミングを逃してしまいます。
つまり、残業を続けるほど疲労が増え、さらに帰れなくなるという悪循環が生まれるのです。
色を使うだけで残業は減るのか
記事では興味深い事例として、熊本県のある病院が紹介されています。
夜勤と日勤で制服の色を変えたところ、医師が勤務時間帯を意識しやすくなり、勤務が終わった看護師へ仕事を依頼することが減少しました。
さらに、「皆が帰り始めたから自分も帰ろう」という心理が働き、結果として残業時間が約9割減少したと紹介されています。
色という単純な工夫が、人の行動を大きく変えた好例といえるでしょう。
官公庁でも実践された色の工夫
記事では中央官庁での取り組みも紹介されています。
退庁予定時間に合わせて色分けしたポストイットをパソコンのモニター上部に貼る方法です。
例えば、
- 午前中は青
- 19時までは黄
- 20時までは赤
というように時間帯を色で見える化しました。
青色カードが表示されている職員を見ることで、「今日は帰ろう」という意識が周囲にも広がり、残業時間が約7割減少した事例が紹介されています。
ナッジはコストをかけずに行動を変える
このような工夫はナッジと呼ばれます。
ナッジとは、人に命令したり罰則を設けたりするのではなく、自然に望ましい行動を選びやすくする仕組みです。
残業禁止令を出すよりも、
- 帰る人を見える化する
- 勤務状況を色で表す
- 帰宅しやすい雰囲気をつくる
といった工夫のほうが、現場では効果を発揮する場合があります。
しかも、大きな設備投資や制度改正を必要としないため、多くの企業で取り入れやすい点も魅力です。
残業対策は制度より心理設計が重要
企業では働き方改革として、
- ノー残業デー
- 残業時間の上限設定
- 勤怠管理システム
などが導入されています。
もちろん制度は重要ですが、人の心理を無視すると期待した効果が得られないこともあります。
一方で、同調バイアスや現状維持バイアスを理解したうえで職場環境を設計すれば、小さな工夫でも大きな成果につながる可能性があります。
行動経済学は、「人を変える」のではなく、「行動しやすい環境をつくる」学問ともいえるでしょう。
結論
慢性的な残業は、仕事量だけが原因とは限りません。同調バイアスや現状維持バイアスなど、人間の心理が大きく影響しています。
色分けや見える化といったナッジを活用すれば、強制や罰則に頼らなくても自然に早く帰る行動を促すことができます。
働き方改革を成功させるためには、制度づくりだけでなく、人の行動特性を理解した職場設計がますます重要になるでしょう。
参考
企業実務 2026年8月号
「総務のための『行動経済学入門』 第11回 慢性的な残業を減らすには?」