生成AIの急速な普及によって、私たちの暮らしや仕事は大きく変わり始めています。その変化は企業だけではなく、競争ルールを守る役割を担う公正取引委員会にも及んでいます。
これまで公正取引委員会といえば、談合やカルテルを摘発する「競争の番人」というイメージが強くありました。しかしAI時代には、それだけでは十分ではありません。市場の独占を未然に防ぎ、新しい企業が挑戦しやすい環境を整えることも重要な役割になっています。
今回は、公正取引委員会がAI時代にどのような役割を果たそうとしているのかを分かりやすく解説します。
競争政策が大きな転換期を迎えている
生成AIは検索、文章作成、画像生成など様々なサービスへ組み込まれ始めています。
便利になる一方で、大手IT企業が検索サービスやブラウザー、スマートフォンなど既存サービスとAIを一体化して提供すると、利用者は他社サービスへ乗り換えにくくなります。
このような状況が続けば、新しい企業が市場へ参入することが難しくなり、競争が弱まる可能性があります。
公正取引委員会は、このような新しい独占の形に目を向け始めています。
AI時代の独占は従来とは姿が違う
従来の独占禁止法は、価格カルテルや談合など比較的分かりやすい行為を対象としてきました。
しかしAI時代は事情が異なります。
市場を支配する方法は価格ではなく、
- データの独占
- AIの性能差
- 利用者の囲い込み
- サービス同士の連携
といった形へ変化しています。
例えば無料で便利なサービスを提供していても、その裏で利用者データを集め、市場支配力を強めることも可能です。
つまり、「価格が安いから問題ない」とは言えない時代になったのです。
抱き合わせ販売が問題になる理由
独占禁止法では以前から「抱き合わせ販売」が問題になる場合があります。
これは人気商品を購入する条件として、別の商品も購入・利用させるような販売方法です。
AI時代では、
「生成AIを利用するには、この検索サービスも使わなければならない」
「このブラウザーを利用するとAI機能が標準搭載される」
といった形も議論の対象になります。
もちろん、便利になること自体が問題ではありません。
問題なのは、利用者が自由に選べなくなり、競争相手が市場へ参入できなくなることです。
ニュースコンテンツ利用も新たな課題
生成AIは膨大な文章を学習して回答を作ります。
そのため、
- 新聞記事
- 雑誌
- 専門サイト
- 出版物
などのコンテンツをどのように利用しているのかが世界中で議論されています。
海外では、
- 利用を拒否できる仕組み
- 出典表示
- 利用方法の開示
などを義務付ける動きも始まっています。
日本でも今後の制度設計が注目されています。
スマホ新法が目指すもの
2025年末に全面施行されたスマートフォンソフトウェア競争促進法では、巨大IT企業による市場支配を緩和することが目的とされています。
これまでアプリを配信するには、事実上、大手企業のアプリストアを利用するしかありませんでした。
新制度では、
- 外部アプリストアの利用
- 手数料の見直し
- 公正な競争環境
を実現しようとしています。
ただし現状では、外部ストアの利用手順が複雑であることや、手数料引き下げが十分ではないとの指摘もあり、制度はまだ発展途上といえます。
公正取引委員会は「相談相手」にもなろうとしている
今回のインタビューで印象的だったのは、公正取引委員会が「相談しやすい組織」を目指しているという点です。
企業の中には、
「共同研究は独禁法違反になるのでは」
「共同開発は問題になるのでは」
という不安から、新しい挑戦をためらうケースがあります。
そのため公正取引委員会は、
「違反を摘発するだけでなく、事前相談にも積極的に応じる」
という姿勢を打ち出しています。
ルールが明確になれば、企業も安心して新しい技術開発へ取り組めます。
価格転嫁も競争政策の一つ
競争政策というと価格を下げることばかりをイメージしがちですが、それだけではありません。
原材料費や人件費が上昇しているにもかかわらず、中小企業が価格転嫁できなければ、利益は減少し、設備投資も賃上げも難しくなります。
そのため、
- 優越的地位の乱用防止
- 適正な価格交渉
- サプライチェーン全体での価格転嫁
も競争政策の重要なテーマになっています。
競争を促進することと、公正な取引環境を整えることは、実は同じ方向を向いているのです。
AI時代は「競争を育てる行政」が重要になる
今後の競争政策では、
「違反を摘発する」
だけでは十分ではありません。
重要なのは、
- 新しい企業が参入できること
- 技術革新が妨げられないこと
- 消費者が自由に選択できること
- 公正なルールが維持されること
です。
AI市場は変化が極めて速く、一度独占が進むと後から競争を取り戻すことは容易ではありません。
だからこそ、公正取引委員会には、市場を監視するだけではなく、競争そのものを育てる役割がこれまで以上に期待されています。
結論
AIは社会全体の生産性を大きく高める可能性を持っています。しかし、その恩恵を多くの企業や消費者が受けるためには、公正な競争環境が欠かせません。
これからの公正取引委員会は、「違反を取り締まる役所」から、「イノベーションを支える市場設計者」へと役割を広げようとしています。
AI時代の競争政策は、企業だけの問題ではありません。私たち消費者が自由にサービスを選び、新しい技術の恩恵を受け続けられる社会を実現するためにも、その動向を注視していく必要があるでしょう。
参考
日本経済新聞 2026年7月26日 朝刊
直言〉AIの進歩に後れ取らず 茶谷栄治・公正取引委員会委員長
日本経済新聞 2026年7月26日 朝刊
インタビュアーから 創意促す「開かれた番人」へ