人生100年時代の老後資金対策というと、多くの人は預貯金、株式、投資信託、年金などの金融資産を思い浮かべるのではないでしょうか。
しかし、長い老後を安心して暮らすためには、金融資産だけでは十分とはいえません。
もう一つ重要なのが、健康という資産です。
スポーツ庁が2026年10月11日に公表した2025年度の体力・運動能力調査によると、60代から70代の男女の体力は、約25年前と比較して大きく向上しました。
2001年度の体力合計点を100%とした場合、2025年度の60代男性は114.1%、女性は118.2%となっています。
70代でも男性109.8%、女性114.7%と改善しています。
一方、30代から40代の働く世代では体力低下が確認されました。
高齢者の体力が向上する一方で、現役世代の体力が低下するという対照的な結果です。
この変化は、老後の生活設計を考えるうえでも重要な意味を持ちます。
健康状態を維持できれば、長く働くことや、旅行、趣味、社会活動などを楽しむ選択肢が広がります。
反対に、健康状態が悪化すれば、十分な金融資産があっても、生活の自由度が制限される可能性があります。
今回は、運動習慣を老後の資産形成という視点から捉え、健康と家計、就労、医療費、介護費、年金制度との関係について考えてみます。
老後の資産形成には金融資産と健康資産の両方が必要になる
老後の生活設計では、金融資産の準備が重要です。
公的年金だけでは希望する生活費を十分に賄えない場合、預貯金や投資資産などを取り崩す必要があります。
そのため、現役時代から資産形成に取り組むことが推奨されています。
しかし、金融資産が十分にあっても、健康状態が悪化すれば、希望する生活を送ることが難しくなる場合があります。
例えば、旅行を楽しむためには、移動できる体力が必要です。
趣味や地域活動に参加するためにも、一定の身体機能が求められます。
また、60歳以降も働き続ける場合には、健康状態が就労継続に影響します。
つまり、金融資産は生活を支える経済的な基盤であり、健康資産はその生活を実現するための身体的な基盤と考えることができます。
両者は対立するものではありません。
むしろ、金融資産と健康資産をバランスよく維持することが、人生100年時代の生活設計では重要になります。
ただし、健康は金融資産のように金額で正確に評価できるものではありません。
また、運動習慣があれば必ず健康を維持できるというわけでもありません。
それでも、適切な運動を継続することは、将来の生活の質を維持するための重要な取り組みといえるでしょう。
健康状態が老後の就労期間を左右する
人生100年時代では、60歳以降も働き続ける人が増えています。
日本では高年齢者雇用安定法により、企業に65歳までの雇用確保措置が義務付けられています。
また、70歳までの就業機会確保措置は努力義務となっています。
こうした制度の下で、60歳以降の働き方は多様化しています。
定年後の再雇用、継続雇用、転職、独立開業など、さまざまな選択肢があります。
しかし、いずれの働き方でも、健康状態は重要な要素です。
例えば、専門知識や経験が豊富でも、健康上の理由で長時間働くことが難しくなれば、就労機会が制限される可能性があります。
一方、健康状態を維持できれば、本人の希望に応じて働く期間を延ばすことができます。
特に税務、会計、金融、法務、経営相談など、長年の経験や専門知識が価値を持つ分野では、60歳以降も能力を発揮できる可能性があります。
ただし、健康状態だけで就労継続が決まるわけではありません。
雇用機会、職務内容、労働条件、本人の希望なども関係します。
重要なのは、健康を維持することで、将来の働き方の選択肢をできるだけ広く確保することです。
5年間長く働くことが老後資金に与える影響
健康状態を維持して働く期間を延ばせれば、老後の家計にも影響します。
例えば、60歳で退職する場合と、65歳まで働く場合を比較してみます。
仮に60歳から65歳まで年間300万円の給与収入を得られれば、5年間の額面収入は1,500万円になります。
さらに65歳から70歳まで同じ水準で働けば、追加で1,500万円の収入を得られます。
60歳から70歳までの10年間では、合計3,000万円の額面収入となる計算です。
もちろん、これは単純な試算です。
実際には税金や社会保険料が差し引かれます。
また、働くことによって生活費や交通費などが増える場合もあります。
それでも、勤労収入を得られる期間が長くなれば、金融資産の取り崩しを抑えられる可能性があります。
例えば、年間300万円の生活費を金融資産から取り崩す予定だった人が、同額の手取り勤労収入を得られれば、その年の生活費に充てるための取り崩しを回避できる計算です。
ただし、給与収入300万円と手取り収入300万円は異なるため、実際の家計への影響は税金や社会保険料を考慮する必要があります。
また、年金の受給開始時期や在職老齢年金による支給調整なども関係します。
長く働くことの経済的効果を考える際には、額面収入だけでなく、可処分所得と資産残高の変化を確認することが重要です。
健康への投資は将来の医療費負担にも関係する
運動習慣は、将来の医療費負担にも関係する可能性があります。
適切な身体活動は、生活習慣病の予防や身体機能の維持に役立ちます。
例えば、継続的な運動は、心血管疾患や2型糖尿病などのリスク低下と関連することが研究で示されています。
また、筋力やバランス能力を維持することは、高齢期の転倒予防にも役立ちます。
健康状態を維持できれば、疾病やけがによる医療機関の利用を減らせる場合があります。
ただし、運動習慣があれば医療費が必ず減少するというわけではありません。
健康状態には、遺伝的要因や加齢、生活環境など、多くの要素が関係します。
また、健康寿命が延びることで、長期間にわたって医療サービスを利用する可能性もあります。
そのため、健康投資の効果を単純な医療費削減額だけで評価することは適切ではありません。
重要なのは、健康状態を維持することで、本人が希望する生活を長く続けられる可能性が高まることです。
金融資産の運用では、収益率や資産残高が重視されます。
一方、健康投資では、生活の質や自立した生活を送れる期間が重要な成果となります。
介護費用を考えるうえでも筋力維持が重要になる
老後の家計では、医療費だけでなく介護費用も重要な課題です。
高齢期に介護が必要になれば、介護サービスの自己負担や住宅改修費用などが発生する場合があります。
また、家族が介護を担う場合には、仕事や生活への影響も考えられます。
介護が必要になる原因はさまざまですが、身体機能の低下や転倒、骨折なども重要な要因です。
そのため、筋力やバランス能力を維持することは、介護予防の観点から意味があります。
例えば、下半身の筋力が維持されていれば、立ち上がる、歩く、階段を上るといった日常動作を行いやすくなります。
また、バランス能力を維持することは、転倒リスクの軽減にも役立ちます。
世界保健機関は高齢者に対し、有酸素性身体活動や筋力強化活動に加えて、バランス能力を重視した多要素の身体活動を推奨しています。
ただし、運動によってすべての介護リスクを防げるわけではありません。
認知症や脳血管疾患など、介護が必要になる原因は多岐にわたります。
それでも、身体機能を維持することは、自立した生活を長く続けるための重要な取り組みです。
老後資金の準備と同時に、介護予防のための健康管理にも目を向ける必要があります。
健康寿命が延びれば老後の生活設計も変わる
人生100年時代では、平均寿命だけでなく健康寿命を重視する必要があります。
健康寿命とは、健康上の問題によって日常生活が制限されることなく生活できる期間を指します。
平均寿命が延びても、健康上の制約がある期間が長くなれば、本人や家族の負担は大きくなります。
そのため、健康寿命を延ばすことが重要です。
例えば、65歳で退職した後、80歳まで健康に生活できる場合と、90歳まで健康に生活できる場合では、趣味や旅行、社会活動などを楽しめる期間が異なります。
また、健康状態を維持できれば、退職後に新たな仕事や学習を始めることも可能になります。
特に専門資格や実務経験を持つ人にとって、高齢期は知識や経験を社会に還元する時期にもなり得ます。
ただし、健康寿命は個人ごとに将来の年数を正確に予測できるものではありません。
運動習慣を継続していても、病気やけがによって生活に制約が生じる場合があります。
そのため、健康投資と同時に、医療や介護に備える金融資産の準備も必要です。
重要なのは、健康とお金のどちらか一方だけを重視するのではなく、両方を組み合わせた生活設計を行うことです。
スポーツクラブの会費は浪費ではなく健康投資になり得る
スポーツクラブの会費を家計支出として考えると、毎月の固定費になります。
例えば、月額8,000円のスポーツクラブに加入した場合、年間の会費は9万6,000円です。
10年間継続すれば96万円になります。
この金額だけを見ると、決して小さな支出ではありません。
しかし、継続的に運動することで健康状態の維持につながるのであれば、将来の生活の質を高めるための投資と考えることもできます。
ただし、スポーツクラブに加入するだけでは健康投資になりません。
実際に施設を利用し、無理のない運動を継続することが重要です。
例えば、月額8,000円の会費で月8回利用すれば、1回当たりの会費相当額は1,000円になります。
一方、月1回しか利用しなければ、1回当たり8,000円になります。
もちろん、利用回数だけで運動の価値を判断することはできません。
運動の内容や継続性、本人の満足度なども重要です。
また、スポーツクラブに通わなくても、ウォーキングや自宅での筋力トレーニングなど、費用を抑えた運動方法があります。
重要なのは、支出額の大きさではなく、自分に合った運動習慣を継続できるかどうかです。
運動を通じた人間関係も老後の重要な資産になる
健康投資を考える場合、身体機能の維持だけでなく、人間関係への影響にも注目したいところです。
スポーツ庁が2025年度に実施した世論調査では、複数人で行うスポーツを実施する人ほど幸福度が高い傾向が確認されました。
幸福度を10点満点で尋ねたところ、テニスは7.51点、ゴルフは7.32点、バドミントンは7.30点でした。
一方、ウォーキングは6.74点、サイクリングは6.78点、筋力トレーニングは6.99点でした。
ただし、この結果はスポーツの種類と幸福度との関連を示したものであり、複数人で運動すれば必ず幸福度が高まるという因果関係を証明したものではありません。
それでも、スポーツを通じた交流には重要な意味があります。
退職後は、職場を通じた人間関係が減少する場合があります。
そのため、地域社会や趣味を通じた新たな人間関係を築くことが重要になります。
スポーツクラブや地域の運動教室では、共通の関心を持つ人と交流する機会が生まれます。
こうした人間関係は、孤独や社会的孤立を防ぐきっかけにもなります。
金融資産は経済的な安心を支えますが、人間関係は精神的な充実や社会参加を支える重要な資産です。
運動習慣には、健康と人間関係の両方を育てる可能性があります。
60歳から始める健康投資の具体的な方法
健康投資は、必ずしも若い頃から始めなければならないものではありません。
60歳以降でも、適切な運動を継続することで身体機能の維持や改善が期待できます。
重要なのは、無理なく継続できる方法を選ぶことです。
例えば、平日は朝と夜に15分程度の運動を行う方法があります。
朝はストレッチや軽い体操、夜はウォーキングや筋力トレーニングなど、生活リズムに合わせて組み合わせることができます。
また、自転車を利用することも身体活動量を増やす手段になります。
週末にはスポーツクラブや地域の運動施設を利用し、筋力トレーニングや有酸素運動を行う方法も考えられます。
ただし、運動習慣がない人が急に強い運動を始めると、けがなどのリスクが高まる場合があります。
年齢や健康状態に応じて、少しずつ運動量を増やすことが重要です。
また、運動だけでなく、十分な睡眠やバランスの取れた食事も健康維持には欠かせません。
健康投資は、特定の運動だけを行うことではなく、生活習慣全体を整えることと考えるべきでしょう。
健康資産と金融資産を組み合わせた老後戦略
老後の生活設計では、金融資産と健康資産を別々に考えるのではなく、相互に関係するものとして捉えることが重要です。
例えば、健康状態を維持できれば、60歳以降も働く選択肢が広がります。
働く期間が長くなれば、勤労収入によって金融資産の取り崩しを抑えられる可能性があります。
また、厚生年金に加入して働く場合には、加入期間や報酬に応じて将来の年金額が増えることもあります。
一方、金融資産に余裕があれば、働く時間を減らして健康管理や趣味に時間を使うこともできます。
つまり、金融資産は健康を維持するための時間的な余裕を生み、健康資産は働き方や生活の選択肢を広げるという関係にあります。
ただし、健康のために無理をして働き続けることは本末転倒です。
また、老後資金を増やすことだけを優先して、睡眠や運動の時間を削ることも望ましくありません。
重要なのは、収入、資産、健康、生活時間のバランスを考えることです。
人生100年時代では、金融資産の運用だけでなく、健康を維持するための時間配分も重要な生活設計の一部になります。
結論
人生100年時代の老後資金対策では、金融資産の準備が重要です。
しかし、長い老後を充実して過ごすためには、健康という資産も欠かせません。
スポーツ庁の2025年度調査では、60代から70代の男女の体力が、約25年前と比較して大きく向上していることが明らかになりました。
高齢者の体力向上は、健康寿命の延伸、就労継続、介護予防、社会参加など、さまざまな分野に影響する可能性があります。
特に60歳以降も働くことを考える場合、健康状態は重要な条件になります。
健康を維持できれば、働く期間を延ばしたり、金融資産の取り崩しを抑えたりする選択肢が広がります。
また、運動習慣は身体機能の維持だけでなく、人間関係の形成や生活の充実にも関係します。
ただし、健康投資の成果を医療費の削減額や就労収入だけで評価することは適切ではありません。
健康の価値は、本人が希望する生活を長く続けられることにあります。
金融資産を増やすことだけが、豊かな老後を実現する方法ではありません。
健康を維持し、働くことや趣味、旅行、社会活動などを楽しめる状態を保つことも重要です。
人生100年時代において、運動習慣は老後の生活を支える長期的な投資と考えることができます。
お金を増やすための資産形成と、健康を維持するための生活習慣づくりを両立させることが、これからの老後戦略ではますます重要になるのではないでしょうか。
参考
日本経済新聞 2026年10月12日朝刊 進むスポーツクラブ離れ、休みは運動よりスマホ 働く世代の女性顕著
スポーツ庁 2025年度体力・運動能力調査
スポーツ庁 2025年度スポーツの実施状況等に関する世論調査
厚生労働省 2024年 健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023
世界保健機関 2020年 身体活動及び座位行動に関するガイドライン
厚生労働省 高年齢者雇用安定法に関する制度資料