退職金制度を見直す企業の中には、これまで退職金として積み立てていた原資を毎月の給与として社員に支給する仕組みを導入するところがあります。
社員から見ると、
60歳になってから2000万円をもらうより、今の給与を増やしてもらった方が得ではないか
と思うかもしれません。
確かに、早くお金を受け取れば現在の生活費に使うことも、自分で資産運用することもできます。
しかし、退職金2000万円と給与として受け取る2000万円は、税金や社会保険料まで考えると同じ価値とは限りません。
退職金には、長年働いた人の負担を軽くするための税制上の仕組みがあるからです。
退職金を給与へ振り替える制度を見るときには、額面ではなく手取りで考える必要があります。
給与として受け取る仕組み
従来型の退職金制度では、会社が社員のために退職金原資を負担し、退職時に退職一時金などとして支給します。
これに対して、退職金原資の一部または全部を毎月の給与に振り替える制度があります。
たとえば会社が社員1人について年間60万円相当を退職金原資として負担していたとします。
これを、
毎月5万円
給与に上乗せすれば、年間60万円になります。
40年間なら単純計算で2400万円です。
額面だけを見ると、
退職時に2400万円受け取る
現役時代に合計2400万円受け取る
ので同じように見えます。
しかし実際には、受け取る時期だけでなく税金や社会保険料などが違うため、手取り額は同じになりません。
給与には所得税がかかる
会社から毎月受け取る給与は給与所得として課税されます。
給与収入から給与所得控除などを差し引き、ほかの所得などと合わせて所得税を計算します。
所得税は所得が大きくなるほど税率が高くなる累進課税です。
そのため、退職金原資を給与に上乗せすれば、その分だけ課税される所得が増える可能性があります。
たとえば年収600万円の人に年間60万円を追加すれば、年収は660万円になります。
年間60万円がそのまま手元に残るわけではありません。
所得税や住民税などを差し引いた後の金額が実際に使えるお金になります。
社会保険料との関係
給与を増やす場合には、税金だけでなく社会保険料も考える必要があります。
会社員の健康保険料や厚生年金保険料などは、基本的に給与や賞与を基礎として計算されます。
そのため、退職金原資を毎月の給与として受け取ることで、標準報酬月額などに影響し、社会保険料負担が増える場合があります。
もちろん厚生年金保険料を多く負担すれば、将来の厚生年金額に反映される面もあります。
単純に、
社会保険料が増えるからすべて損
というわけではありません。
それでも現在の手取り額という観点では、給与が5万円増えても手取りが5万円増えるわけではないことを理解しておく必要があります。
退職一時金は給与と別に課税される
退職一時金には、給与とは異なる税制が設けられています。
一定の退職金は退職所得として扱われます。
退職所得には、長年の勤労に対する報酬を一時に受け取るという性格を考慮した課税の仕組みがあります。
代表的なのが退職所得控除です。
勤続年数に応じて一定額を退職金から差し引くことができます。
さらに一般的な退職所得では、退職所得控除を差し引いた後の金額について、原則としてその2分の1を課税対象とする仕組みがあります。
このため退職一時金は、同じ金額を通常の給与として受け取る場合に比べて税負担が軽くなることがあります。
退職所得控除とは何か
退職所得控除は、退職金に対する税負担を軽くする重要な仕組みです。
原則として勤続年数20年以下の場合は、
40万円掛ける勤続年数
で計算します。
最低額は80万円です。
勤続年数が20年を超える場合は、
800万円に20年を超えた年数1年につき70万円
を加えます。
たとえば勤続40年なら、
800万円プラス70万円掛ける20年
となり、退職所得控除は2200万円です。
退職一時金が2000万円なら、この例では退職所得控除の範囲内になります。
この税制上の違いが、退職金と給与を比較するときに非常に重要になります。
2000万円なら同じとは限らない
たとえば二つの会社があるとします。
A社では定年時に2000万円の退職一時金を支給します。
B社では退職金を設けず、その原資に相当する合計2000万円を長期間にわたって給与へ上乗せします。
額面だけなら、
どちらも2000万円
です。
しかしA社の退職一時金には、一定の要件のもとで退職所得控除などが適用されます。
B社の給与は、その年ごとに給与所得として課税されます。
さらに社会保険料にも影響する可能性があります。
したがって、
退職金2000万円イコール給与2000万円
とはいえません。
比較するなら税金や社会保険料を差し引いた後の生涯手取りを見る必要があります。
それでも給与で受け取るメリットはある
税制だけを見ると退職一時金が有利になりやすい場合があります。
しかし給与として早く受け取ることにもメリットがあります。
最大のメリットは、自分で使い道を決められることです。
たとえば毎月5万円給与が増えれば、
住宅ローンを繰り上げ返済する
教育費に使う
NISAなどで資産形成する
生活防衛資金として貯蓄する
といった使い方ができます。
退職金なら、基本的には退職するまで受け取れません。
現在のお金と40年後のお金では、使える時間が違います。
早く受け取れば運用できる
給与として受け取るもう一つのメリットは、早い段階から資産運用できることです。
たとえば30歳から毎月一定額を積み立てて長期運用すれば、運用期間を長く取ることができます。
運用によって利益が出れば、会社の退職金として受け取る場合より大きな資産を作れる可能性があります。
特に若い社員は、退職まで数十年間あります。
長期運用による複利効果を活用できる可能性があります。
ただし、これは受け取った給与を実際に貯蓄や運用へ回した場合の話です。
給与として受け取ると使ってしまう可能性もある
毎月の給与が増えると、その分だけ生活水準を上げてしまう可能性があります。
たとえば月5万円増えた給与を、
外食
旅行
自動車
日常的な買い物
などに使えば、老後資産としては残りません。
退職金制度には、ある意味で強制的に老後資金を残す機能があります。
現役時代には自由に使えず、退職時まで会社の制度の中に残るからです。
給与へ振り替えると、
老後資金を会社が準備する
仕組みから、
自分で準備する
仕組みに変わります。
自由度が高くなる代わりに自己管理が必要になります。
インフレも考える必要がある
退職金を将来受け取る場合には、物価上昇も考える必要があります。
現在の2000万円と30年後の2000万円は、同じ購買力とは限りません。
物価が長期間上昇すれば、同じ2000万円で購入できる商品やサービスは少なくなる可能性があります。
給与として早く受け取り、その一部を資産運用することができれば、インフレに対応できる可能性があります。
一方、運用には価格変動リスクがあります。
退職金として将来受け取る安心感と、自分で早く資金を受け取って運用できる自由度のどちらを重視するかという問題になります。
若い社員とシニア社員では意味が違う
退職金制度を給与へ振り替える場合、社員の年齢によって影響は大きく異なります。
25歳の社員なら、60歳まで35年間あります。
給与として受け取ったお金を長期間積み立てることができます。
一方、55歳の社員には退職まで5年しかありません。
これまで、
60歳で2000万円の退職金を受け取る
ことを前提に人生設計をしていた人にとって、突然給与方式へ変更されれば大きな影響があります。
だからこそ退職金制度を変更する企業では、新入社員だけ新制度にしたり、既存社員に経過措置を設けたりすることがあります。
額面ではなく生涯手取りで比較する
退職金と給与を比較するときに最も注意したいのが、額面だけで判断しないことです。
比較するなら、
給与として受け取った場合の所得税
住民税
社会保険料
退職金として受け取った場合の退職所得課税
資産運用による収益
受け取る時期
などを考える必要があります。
さらに企業型DCなどを選べる場合には、その税制や運用結果も関係します。
つまり、
退職金2000万円
と、
給与として2000万円
を横に並べるだけでは本当の有利不利は分かりません。
結論
退職金原資を毎月の給与として受け取れば、現在の収入が増えるため、一見すると得に見えます。
しかし、退職金と給与では税金や社会保険料の仕組みが異なります。
給与として受け取れば、給与所得として所得税や住民税の対象となり、社会保険料にも影響する場合があります。
一方、一定の退職一時金には退職所得控除があり、一般的な退職所得では控除後の金額を原則として2分の1にして課税する仕組みがあります。
そのため同じ2000万円でも、
退職金として受け取る2000万円
給与として長期間に受け取る2000万円
では、最終的な手取り額が同じになるとは限りません。
一方、給与として早く受け取れば、自分で貯蓄や資産運用を始められるというメリットがあります。
重要なのは、
退職金と給与のどちらが得か
を額面だけで判断しないことです。
税金、社会保険料、運用期間、インフレ、そして自分がお金を使ってしまう可能性まで含めて考える必要があります。
退職金を給与へ振り替えるという制度変更は、単にお金を受け取る時期が変わるだけではありません。
会社が老後資金を準備する仕組みから、自分自身で生涯のお金を管理する仕組みへ変わることでもあるのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月31日夕刊 退職金、なくなるの? 人材流動化で見直しも