NISAを利用する人にとって、運用益が非課税になることは大きなメリットです。
通常なら投資による利益に税金がかかるところ、NISAでは一定の範囲で税金がかかりません。
利用者から見れば、
「税金を払わなくてよい制度」
です。
ところが政府の側から見ると、少し違った姿が見えてきます。
本来なら入ってくるはずだった税収を、政策目的のためにあえて取らないからです。
このように税制上の優遇措置を使って特定の政策目的を実現することを考えるときに重要になるのが「租税支出」という考え方です。
NISAの非課税を理解するうえでも、この考え方を知っておくことには意味があります。
租税支出とは何か
租税支出とは、特定の政策目的を実現するために、税金の負担を軽くすることで支援する考え方です。
通常、政府が個人や企業を支援すると聞けば、補助金などを思い浮かべるでしょう。
例えば政府がある政策を進めるために100億円の補助金を支給すれば、国の歳出として100億円が計上されます。
しかし政策支援には別の方法があります。
本来100億円徴収するはずだった税金を、特例によって徴収しない方法です。
政府から直接100億円を支給するわけではありません。
それでも国の財政から見れば、本来得られたはずの100億円の税収がなくなります。
こうした税制を通じた政策支援を、財政支出に似たものとして捉えるのが租税支出という考え方です。
補助金ならお金が出ていく
補助金と税制優遇を比較すると分かりやすくなります。
例えば政府が国民の資産形成を支援するため、一人1万円を現金で支給するとします。
100万人に支給すれば100億円です。
政府の支出は100億円増えます。
予算書にも歳出として表れます。
国民から見れば、
政府から1万円もらった
ということが非常に分かりやすいでしょう。
国会でも、
なぜ100億円使うのか
誰に支給するのか
どの程度の効果があるのか
といった議論が起きやすくなります。
税金を取らない方法でも支援できる
一方、同じ政策目的を税制によって実現することもできます。
例えば一定の投資利益について税金を軽減するとします。
本来1万円払うはずだった税金がゼロになれば、その人にとっては1万円の負担軽減です。
政府から1万円を受け取ったわけではありません。
しかし最終的に手元に残るお金は1万円増えます。
政府側から見れば、本来得られた1万円の税収を受け取らなかったことになります。
補助金なら、
100億円を支出する。
税制優遇なら、
100億円の税収を得ない。
財政への影響の現れ方は違いますが、どちらも政策のために政府の財源を使っていると考えることができます。
NISAにも同じ考え方ができる
NISAも、この視点から見ることができます。
通常、上場株式などの売却益や配当などには原則として20.315パーセントの税金がかかります。
ところがNISA口座で対象商品を保有し、制度の要件を満たしていれば、その売却益や配当などは非課税になります。
例えば課税口座なら10万円の税金を納めるケースで、NISAによって税金がゼロになったとします。
投資家は10万円得をします。
一方、国や自治体は本来得られた可能性のある税収を受け取りません。
NISAの非課税措置は利用者への現金給付ではありませんが、税制を通じた資産形成支援になっているわけです。
なぜ見えにくい財政支出なのか
租税支出が興味深いのは、通常の歳出より財政負担が見えにくい点です。
例えば、
NISA利用者に毎年一定額の補助金を支給する
という制度なら、必要な予算額が注目されるでしょう。
ところがNISAは、
一定の投資利益に税金をかけない
という仕組みです。
政府が投資家へ直接お金を振り込むわけではありません。
そのため利用者から見ても、
国から補助を受けている
という感覚はあまりないでしょう。
しかし非課税措置がなければ得られた税収があると考えれば、国の財政に影響していることは同じです。
これが租税支出を「見えにくい財政支出」と考える理由です。
非課税額は投資成果によって変わる
もっとも、NISAの非課税による税収への影響を単純に計算することはできません。
NISAで100万円投資したからといって、100万円が非課税になるわけではないからです。
非課税になるのは、対象となる売却益や配当、分配金などです。
さらに投資の結果は人によって違います。
利益が大きく出る人もいます。
ほとんど利益が出ない人もいます。
損失になる人もいます。
また、NISAがなければ同じ投資を課税口座で行っていたのか、それとも投資自体をしていなかったのかによっても、実際に失われる税収の考え方は変わります。
そのため租税支出の規模を考えるときには、単純にNISAの投資残高へ税率を掛ければよいわけではありません。
NISAが拡大すれば政策コストも大きくなり得る
NISAの利用者が増え、投資額が増えれば、非課税となる運用益の規模も将来的に大きくなる可能性があります。
これはNISAが政策として成功している証拠ともいえます。
一方、財政面では別の視点が必要です。
非課税となる利益が増えれば、本来課税されていた場合に得られる税収との差も大きくなる可能性があります。
したがってNISAを拡充するときには、
利用者が増えるか
投資額が増えるか
という点だけではなく、
税制優遇による政策コストがどの程度になるのか
という視点も必要になります。
対象商品を増やすことにもコストがある
この問題は、個人向け国債をNISAの対象に加える議論とも関係します。
現在、個人向け国債の利子には原則として税金がかかります。
仮にNISAの対象となり、その利子が非課税になれば、投資家の手取りは増えます。
しかし政府側から見れば、その分の税収を得られなくなる可能性があります。
つまり、
「NISAで国債を買えるようにする」
という制度変更は、単に金融商品の選択肢を一つ増やすだけではありません。
新たな税制優遇を与えるという側面があります。
その政策によって国債の購入がどれだけ増えるのか。
どの程度の税収減が生じるのか。
その税収減に見合う政策効果があるのか。
こうした検証も必要になります。
補助金だけを削れば財政改革になるわけではない
租税支出という考え方は、財政改革を見るうえでも重要です。
政府が歳出削減を進めるときには、補助金や公共事業などの削減が注目されやすくなります。
これらは予算上の金額が見えやすいからです。
しかし一方で、税制にはさまざまな控除、非課税、軽減措置などがあります。
それぞれに合理的な政策目的があるとしても、税制優遇が増えれば税収は減ります。
したがって財政全体を見るなら、
政府がいくら使ったか
だけでは十分ではありません。
政府が政策目的のためにいくら税金を取らなかったのか
という視点も必要です。
税制優遇は悪いものではない
ここで注意したいのは、租税支出だから問題だということではありません。
税制優遇には重要な政策的役割があります。
例えば家計の長期的な資産形成を後押しする。
企業の研究開発を促す。
設備投資を増やす。
住宅取得を支援する。
寄付を促進する。
こうした目的を実現するために、税制を利用することには合理性があります。
問題は、
税制優遇があること
ではなく、
その税制優遇によって得られる効果が、財政上のコストに見合っているのか
という点です。
誰が恩恵を受けるのかも重要になる
租税支出を考えるときには、もう一つ重要な視点があります。
誰が税制優遇の恩恵を受けるのかです。
NISAの場合、実際に投資できる資金がある人ほど非課税枠を利用しやすくなります。
さらに大きな運用益が生じれば、非課税によって軽減される税額も大きくなる可能性があります。
もちろんNISAには投資上限があり、無制限に非課税になるわけではありません。
それでも制度をさらに拡大するときには、
どの所得層が利用しているのか
どの資産層が大きな恩恵を受けているのか
新たな投資を本当に生み出しているのか
といった点を確認する必要があります。
税制優遇では政策効果だけでなく、公平性も問われるからです。
NISAを見る視点が変わる
NISAを投資家の立場だけから見ると、
運用益が非課税になる便利な制度
です。
しかし租税支出という視点を加えると、
国が税収の一部を使って国民の資産形成を支援する制度
という別の姿が見えてきます。
この違いは重要です。
国が税収を使っていると考えるなら、NISAの対象商品を増やすときにも政策効果の説明が必要になるからです。
株式を非課税にする理由。
投資信託を非課税にする理由。
国債を非課税にする理由。
それぞれが同じとは限りません。
「利用者にとって得だから」という理由だけでは、税制優遇の根拠として十分ではないのです。
結論
租税支出とは、政府が直接補助金を支給する代わりに、税金を軽減したり非課税にしたりすることで政策目的を実現する考え方です。
補助金なら政府からお金が出ていきます。
税制優遇なら、本来入ってくるはずだった税金が入ってきません。
形は違いますが、どちらも財政に影響します。
NISAの非課税も、この視点から考えることができます。
利用者にとっては税金を払わなくてよい制度ですが、政府から見れば、家計の資産形成を促すために税収の一部を手放している制度でもあります。
だからこそNISAを拡充するときには、
利用者にどれだけメリットがあるのか
だけではなく、
どれだけの税収を使って
どのような行動を促し
どのような政策効果を得るのか
まで考える必要があります。
NISAの非課税は無料で生まれるメリットではありません。
見えにくいからこそ、その政策効果と財政上のコストを検証することが重要なのです。
参考
日本経済新聞 2026年9月6日 朝刊 「なんでもNISA」の陥穽