監査法人はどこまで損害賠償責任を負うのか 巨額粉飾で1兆円請求も起こり得る理由編

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企業で巨額の粉飾決算が発覚すると、経営者だけでなく監査法人の責任が問われることがあります。

中国恒大集団をめぐる問題は、その規模が桁違いです。

恒大の清算人は、監査に関係したPwCのメンバー事務所などに対して損害賠償請求訴訟を起こしています。

3社に対する請求額は最大約580億元、日本円で約1兆3,000億円規模とされています。

監査法人は企業から監査報酬を受け取って監査を行います。

その監査報酬と比べれば、損害賠償請求額が極めて大きくなる場合があります。

なぜ監査法人にこれほど巨額の賠償請求が行われるのでしょうか。

そこには、監査が資本市場で果たしている特殊な役割があります。

監査法人は企業の決算書を作っているわけではない

まず確認しておきたいのは、財務諸表を作成する責任は経営者にあるということです。

監査法人が企業の売上や利益を決めているわけではありません。

企業が作成した財務諸表について監査を行い、その内容が重要な点において適正に表示されているかについて意見を表明します。

したがって、粉飾決算が発覚した場合、まず問題になるのは粉飾を行った企業側の責任です。

しかし、それだけで終わるとは限りません。

監査法人が必要な監査手続を行わず、重大な虚偽表示を見逃したのであれば、監査法人自身の責任が問題になる可能性があります。

粉飾を見逃せば必ず賠償責任を負うわけではない

重要なのは、粉飾決算が発覚したという結果だけで監査法人の賠償責任が決まるわけではないことです。

監査には固有の限界があります。

監査人が適切な監査を実施していても、巧妙に隠された不正を発見できない可能性があります。

そのため、

粉飾が存在した、

監査法人が発見できなかった、

だから監査法人に賠償責任がある、

という単純な関係ではありません。

監査法人が求められる注意を尽くしていたのかを検討する必要があります。

重要になるのが過失である

監査法人の責任を考えるうえで重要なのが、監査業務に問題がなかったかという点です。

例えば、重要な取引について十分な監査証拠を取得していなかったとします。

帳簿と現場の状況に重大な矛盾があることを把握しながら、追加の確認を行わなかったケースも考えられます。

経営者の説明に不自然な点があったのに、その説明を十分に検証しなかった場合もあります。

こうした事情があれば、監査人として必要な注意を尽くしていたのかが問題になります。

逆に、監査基準などに従って必要な手続を実施し、当時入手できた証拠から合理的な判断をしていたのであれば、後に不正が発覚したという事実だけで責任が決まるわけではありません。

損害が発生しただけでも足りない

監査法人に問題があったとしても、それだけで請求された損害のすべてを賠償することになるとは限りません。

損害との関係も重要です。

例えば投資家が不適切な財務情報を信用して株式を購入し、その後に粉飾が発覚して株価が下落したとします。

投資家から見れば、監査が適切に行われていれば投資しなかったという主張が考えられます。

しかし株価は、粉飾だけで動くものではありません。

景気、金利、業界環境、企業の競争力など、さまざまな要因によって変動します。

そのため監査上の問題と投資家が被った損害との間に、どのような関係があるのかを検討する必要があります。

巨額の損害が発生したからといって、その全額がそのまま監査法人の責任になるわけではありません。

なぜ賠償請求額が巨額になるのか

それでも大企業の粉飾事件では、賠償請求額が非常に大きくなることがあります。

理由の1つは、財務諸表を利用する人が非常に多いからです。

株主だけではありません。

債権者、金融機関、社債投資家、取引先など、多くの関係者が企業の財務情報を利用しています。

企業規模が大きければ、株式や債券、融資などの金額も巨大になります。

その企業の財務情報に重大な問題があれば、影響を受ける金額も大きくなる可能性があります。

監査報酬が数億円だったとしても、監査対象企業に関係する資金は数兆円規模ということもあり得ます。

これが監査法人特有のリスクです。

監査報酬と賠償リスクは比例しない

一般的な事業であれば、受け取る対価と事業リスクにはある程度の関係があります。

しかし監査では、その関係が大きく離れる可能性があります。

監査法人が受け取るのは監査報酬です。

一方、監査報告書を利用する市場の規模は、それよりはるかに大きくなります。

例えば巨大企業の監査報告書は、多数の投資家や金融機関によって利用されます。

そのため監査上の問題が発生した場合、監査報酬とは比較にならないほど大きな損害賠償請求につながる可能性があります。

監査という仕事は、少ない報酬で大きな社会的信用を支えるという特殊な構造を持っています。

恒大の清算人が巨額請求する理由

恒大は2024年1月に香港高等法院から清算命令を受けました。

清算人の重要な仕事の1つは、恒大の資産を整理し、債権者への弁済原資を確保することです。

そこで、恒大に損害を与えた可能性のある関係者に対する責任追及も重要になります。

監査に問題があったとして損害賠償が認められれば、その資金を債権者への弁済に充てられる可能性があります。

このため監査を担当したPwCのメンバー事務所だけでなく、国際ネットワークを束ねる中核組織まで訴訟対象になっています。

ただし、最大約580億元という請求額が、そのまま賠償額として認められると決まったわけではありません。

責任の有無や範囲は今後の審理で判断されることになります。

監査法人だけに責任を集中させてよいのか

巨額粉飾事件では、もう1つ難しい問題があります。

本来、財務諸表を作成し、粉飾を行った主体は企業側です。

経営者、取締役、場合によっては従業員など複数の関係者が存在します。

そこに監査法人も関係します。

損害が発生した場合、それぞれの関係者がどの程度責任を負うのかを考えなければなりません。

監査法人に資力があるという理由だけで損害を集中させれば、監査制度そのものの維持に影響する可能性があります。

一方で、監査法人の責任を過度に限定すれば、監査品質を維持する規律が弱くなる可能性があります。

どこまで責任を負わせるべきなのかは、監査制度にとって非常に難しい問題です。

巨額賠償は監査市場そのものを変える可能性がある

もし大手監査法人が経営を揺るがすほどの巨額賠償を負えば、その影響は1つの監査法人だけでは終わらない可能性があります。

現在、世界の大企業の監査はビッグ4に大きく集中しています。

そのうち1つが大幅に事業を縮小したり、監査市場から退出したりすれば、企業が監査法人を選択できる余地がさらに小さくなる可能性があります。

実際、過去にはエンロン事件を契機としてアーサー・アンダーセンが事実上消滅し、ビッグ5から現在のビッグ4へと変わりました。

監査法人に適切な責任を負わせることは必要です。

同時に、巨額賠償が監査市場全体に与える影響も考える必要があります。

結論

監査法人が粉飾決算を見逃したからといって、自動的に巨額の損害賠償責任を負うわけではありません。

監査法人が必要な注意を尽くしていたのか。

監査上の問題があったのか。

その問題によってどのような損害が生じたのか。

監査上の問題と損害との間にどのような関係があるのか。

こうした点を具体的に検討する必要があります。

一方、大企業の監査では財務諸表を利用する投資家や債権者が多いため、問題が発生した場合の賠償請求額は監査報酬とは比較にならないほど巨大になる可能性があります。

中国恒大問題で最大約1兆3,000億円規模の請求が行われていることは、その象徴です。

監査法人は財務諸表を作成する主体ではありません。

しかし、その財務諸表への社会的信用を支える役割を担っています。

信用を提供する仕事だからこそ、監査に重大な問題があった場合の責任も非常に大きなものになり得るのです。

次回は、実際に監査法人が巨額の賠償責任を負った場合、監査法人の経営はどうなるのかを取り上げます。

参考

日本経済新聞 2026年9月29日朝刊 恒大不正、逃げられぬPwC

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