令和8年度税制改正では、物価上昇に応じて所得税の基礎控除と給与所得控除の最低保障額を見直す仕組みが導入されました。
物価が上がれば、同じ金額の所得でも実質的な購買力は低下します。それにもかかわらず控除額が固定されたままであれば、名目賃金の上昇によって税負担だけが重くなる可能性があります。
そこで所得税については、原則として2年ごとに物価の動きを反映して基礎控除などを引き上げる仕組みが設けられました。
ところが、個人住民税については事情が少し違います。
所得税の基礎控除が上がったからといって、住民税の基礎控除も自動的に上がるわけではありません。
総務省では、今後の個人住民税についてどのように対応するのか検討が始まっています。
所得税では物価に連動して控除額を見直す
令和8年度税制改正では、改正法の附則に、原則として2年ごとに物価上昇を踏まえて所得税の基礎控除と給与所得控除の最低保障額を引き上げる仕組みが盛り込まれました。
その前段階として、主として令和6年と令和7年の物価上昇率を踏まえ、令和8年分と令和9年分の所得について、基礎控除と給与所得控除の最低保障額がそれぞれ4万円引き上げられます。
背景にあるのがインフレです。
たとえば、給与が300万円から310万円に増えたとしても、物価が同程度上昇していれば、生活が実質的に豊かになったとは限りません。
ところが税制上の控除額が固定されていれば、名目所得の増加によって課税所得が増えます。
物価上昇だけで実質的な税負担が重くなることを抑えるため、控除額にも物価を反映させようという考え方です。
個人住民税にはそのまま反映されない部分がある
重要なのは、所得税と個人住民税では控除額の決まり方が同じではないことです。
令和8年度税制改正では、所得税の基礎控除と給与所得控除の最低保障額が引き上げられました。
このうち個人住民税に反映されるのは、給与所得控除の最低保障額の引上げです。
一方、基礎控除については所得税の引上げがそのまま個人住民税に反映されるわけではありません。
ここには制度上の大きな違いがあります。
給与所得控除については、個人住民税の所得割を計算する際の所得計算が所得税の計算の例によることとされているためです。
したがって、所得税で給与所得控除が見直されれば、基本的に個人住民税にも反映されます。
これに対して、個人住民税の基礎控除を変更するためには地方税法の改正が必要になります。
個人住民税には地域社会の会費という性格がある
では、所得税の基礎控除を物価に合わせて引き上げるのであれば、個人住民税も同じように引き上げればよいのでしょうか。
ここが現在の議論の重要なポイントです。
個人住民税には、所得税とは異なる性格があります。
しばしば指摘されるのが、個人住民税には地域社会の会費的な性格があるという考え方です。
住民は自治体から教育、福祉、消防、ごみ処理、道路などさまざまな行政サービスを受けています。
その費用を地域住民が広く分担するという考え方が個人住民税の背景にあります。
一方、所得税では所得に応じて国の財政を支えるという所得再分配の性格がより強くなります。
このため、総務省の個人住民税検討会では、所得税と個人住民税の性格の違いを踏まえ、必ずしも所得税と同じ考え方で住民税の控除額を動かす必要はないとの意見が出ています。
2年ごとの見直しは自治体や企業の負担になる
もう一つの問題が見直しの頻度です。
所得税では原則として2年ごとに物価を踏まえて控除額を見直す仕組みが設けられました。
個人住民税も同じ2年周期にするという考え方があります。
所得税と住民税の制度が連動していれば、納税者にとって分かりやすいというメリットがあります。
しかし、個人住民税は全国の自治体が課税実務を担っています。
控除額を変更すれば、自治体の税務システムを改修しなければならない可能性があります。
さらに企業にも影響します。
会社員の住民税は原則として給与から天引きする特別徴収によって納付されます。
制度変更が頻繁になれば、自治体だけではなく給与計算を行う企業側の事務負担にもつながります。
このため、所得税と同じ2年周期にするのではなく、地方税の実務を考慮した見直し周期にすべきだという意見もあります。
システム改修費を誰が負担するのか
税制改正というと、税率や控除額の議論に目が向きがちです。
しかし、現在の税務行政では制度変更とシステム改修は切り離せません。
全国の自治体は住民税を計算するためのシステムを運用しています。
控除額や非課税基準などが変更されれば、それに対応するシステム改修や確認作業が必要になります。
さらに、制度変更が短期間で繰り返されれば、そのたびに改修費用や人的負担が発生します。
総務省の検討会でも、こうした地方団体の負担について適切な国の財政措置が必要だとの意見が出ています。
物価連動税制は納税者から見ると合理的な仕組みに見えますが、実際に制度を運営する自治体側のコストまで考える必要があります。
住民税は社会保障制度にも影響する
個人住民税の議論をさらに複雑にしているのが社会保障制度との関係です。
住民税は単なる税金ではありません。
さまざまな社会保障制度や給付制度で、住民税の課税状況や所得額が判定基準として利用されています。
たとえば、住民税非課税世帯であるかどうかが、給付や負担軽減制度の対象判定に使われることがあります。
仮に基礎控除や非課税限度額を引き上げれば、これまで住民税が課税されていた人が非課税になる可能性があります。
すると税収が減るだけではありません。
住民税非課税を基準としている社会保障給付の対象者が増える可能性があります。
つまり、
税制上の控除を変更する
住民税非課税となる人が変わる
社会保障制度の対象者が変わる
行政の給付額や負担軽減額が変わる
という連鎖が起こり得ます。
個人住民税の基礎控除を動かす問題は、税制だけでは完結しないのです。
物価が下がったら控除額も下げるのか
さらに興味深い論点があります。
物価上昇に合わせて控除額を引き上げるのであれば、物価が下落したときには控除額を引き下げるのでしょうか。
地方団体からのヒアリングでも、この問題が指摘されています。
理屈だけで考えれば、物価連動という仕組みであれば、物価上昇時には控除を増やし、物価下落時には控除を減らすことになります。
しかし、控除額の引下げは実質的な増税につながります。
一度引き上げた基礎控除を引き下げることについて、納税者の理解を得られるのかという問題があります。
物価連動税制を導入するのであれば、上昇局面だけではなく下落局面についても制度設計をしておかなければなりません。
所得税と住民税の違いが今後さらに重要になる
今回の議論は、単に基礎控除を数万円引き上げるかどうかという話ではありません。
所得税と個人住民税をどこまで連動させるのかという、税制の基本構造に関わる問題です。
所得税では物価上昇による実質的な税負担増を抑えるため、控除額を物価に連動させる方向が明確になりました。
一方、個人住民税には地域社会の会費という性格があり、自治体財政を支える重要な税源でもあります。
さらに自治体のシステム改修、企業の給与計算、社会保障給付の判定など、多くの制度が個人住民税につながっています。
そのため、所得税と同じ仕組みをそのまま導入すればよいとは限りません。
今後は、物価上昇への対応と地方財政の安定をどのように両立させるかが大きな論点になるでしょう。
結論
令和8年度税制改正によって、所得税では物価上昇を踏まえて基礎控除と給与所得控除の最低保障額を見直す仕組みが導入されました。
しかし、個人住民税では給与所得控除の見直しは反映される一方、基礎控除を引き上げるには地方税法の改正が必要です。
総務省の個人住民税検討会では、個人住民税の地域社会の会費的性格、見直しの頻度、自治体のシステム改修や企業の事務負担、社会保障給付への影響などを含めて議論が進められています。
さらに、物価が下落した場合に控除額を引き下げるのかという難しい問題もあります。
物価連動型の税制が本格化すれば、これからは所得税だけを見て税負担を考えることはできません。
所得税と個人住民税がどこまで同じ方向に動き、どこから別の制度として設計されるのか。
今後の税制改正を見るうえで、個人住民税の基礎控除の扱いは重要なテーマになりそうです。
参考
税のしるべ 2026年8月10日 物価に連動した基礎控除等の引上げに関連して総務省の検討会が今後の個人住民税での対応を検討