株式会社では、株主と取締役に異なる役割があります。
株主は株主総会を通じて取締役の選任や定款変更などの重要事項を決めます。一方、実際の事業運営は取締役や取締役会が担います。
そのため、どの事業へ投資するのか、どの事業から撤退するのかといった日々の経営判断は、通常は株主総会が直接決めるものではありません。
ところが現在の会社法の仕組みでは、こうした業務執行に関係する事項についても、定款変更という形にすることで株主提案の対象になる場合があります。
ここに現在の会社法改正で議論されている問題があります。
経営事項を定款に書き込めば、株主が経営方針へ強く関与できる一方、取締役会が状況に応じて経営方針を変更しにくくなる可能性があるからです。
業務執行事項の株主提案を理解するには、提案の内容だけでなく、なぜ定款変更という方法が使われるのかを見ることが重要です。
業務執行事項とは何か
業務執行事項とは、会社の事業を実際に運営するための経営上の判断に関する事項です。
たとえば新しい事業へ参入するのか。
既存事業から撤退するのか。
大型設備投資を行うのか。
どの地域へ事業を展開するのか。
どの程度の資金を成長分野へ投じるのか。
こうした判断は企業の経営戦略そのものです。
取締役会設置会社では、重要な業務執行について基本的に取締役会が意思決定します。
株主が株主総会で一つずつ経営判断を行う仕組みにはなっていません。
株主総会には決められる範囲がある
株主総会は株式会社の非常に重要な機関ですが、何でも決められるわけではありません。
特に取締役会設置会社では、株主総会は会社法や定款で定められた事項について決議します。
取締役の選任があります。
定款変更があります。
一定の組織再編などもあります。
一方、通常の業務執行は取締役や取締役会が担います。
この役割分担によって、多数の株主を持つ会社でも迅速に経営判断できるようになっています。
ところが、この役割分担に定款が関係すると話が複雑になります。
定款とは会社の基本ルール
定款とは、会社の組織や運営に関する基本的なルールを定めたものです。
会社の目的や商号など、会社の基本事項が定められています。
株式会社にとって基本ルールに当たるものです。
そして定款変更は株主総会で決議できる事項です。
原則として通常の過半数だけで決める普通決議ではなく、より厳しい要件を求める特別決議が必要になります。
この定款変更が、業務執行事項の株主提案を考えるときの重要なポイントになります。
事業撤退をそのまま決議する場合
たとえば、ある会社がA事業とB事業を行っているとします。
株主の一部が、
赤字が続いているB事業から撤退するべきだ
と考えたとします。
そこで、
B事業から撤退すること
という議案を株主総会で決議するよう求めたとします。
しかし、事業から撤退するかどうかは通常、会社の業務執行に関する判断です。
取締役会設置会社であれば、株主総会が当然に直接決定できる事項とは限りません。
株主総会と取締役会には役割分担があるからです。
そこで別の方法が問題になります。
定款変更として提案すると何が変わるのか
先ほどのB事業からの撤退について、株主が別の形で提案したとします。
単純に、
B事業から撤退すること
を決議するのではありません。
会社の定款にB事業からの撤退などに関する規定を追加することを求めます。
すると形式上は業務執行事項そのものの決議ではなく、定款変更の議案になります。
定款変更は株主総会が決議できる事項です。
このため、実質的には経営判断に深く関係する内容であっても、定款変更という形で株主総会に提案できる場合があるのです。
これが業務執行事項を巡る株主提案の大きな特徴です。
なぜ定款変更が使われるのか
株主側から見れば、定款変更には強い効果があります。
単に、
B事業から撤退してほしい
と経営陣へ要望しただけでは、経営陣が受け入れない可能性があります。
株主との対話で意見を伝えても、会社側が現在の経営方針を維持することもあります。
ところが経営方針に関係する内容が定款に規定されれば、会社の基本ルールになります。
取締役は原則として定款に従って会社を経営しなければなりません。
つまり株主側から見ると、単なる要望より強い形で会社の経営方針に影響を与えられる可能性があります。
取締役会が自由に変更できなくなる
一方、会社側から見ると大きな問題があります。
通常の経営方針であれば、経営環境が変わったときに取締役会などが変更できます。
たとえば現在はB事業が赤字でも、1年後に市場環境が変わるかもしれません。
新しい技術が登場するかもしれません。
競争相手が撤退して、B事業の収益性が大きく改善する可能性もあります。
そのとき経営陣は、
やはりB事業を続けよう
と判断できます。
しかしB事業に関する具体的な方針が定款に書き込まれていれば、取締役会だけでは簡単に変更できません。
定款そのものを変更する必要が生じるからです。
定款変更には特別決議が必要になる
定款変更には原則として株主総会の特別決議が必要です。
普通決議より高いハードルが設定されています。
つまり業務執行に関する事項を定款へ書き込むと、本来なら取締役会が変更できた経営方針が、株主総会の特別決議を経なければ変更できない事項になる可能性があります。
これは会社の経営スピードに大きく影響します。
市場環境が急激に変化しているにもかかわらず、次の株主総会まで待たなければならないような状況になれば、経営判断が遅れる可能性があります。
そのため経済界からは、業務執行事項を定款変更という形で株主提案できることに対して慎重な意見があります。
経営の機動性とは何か
企業経営では、状況に応じて素早く判断を変えることが重要です。
為替相場が急変する。
原材料価格が上昇する。
新しい競争相手が現れる。
技術革新によって既存の商品が売れなくなる。
海外の規制が変わる。
こうした変化に企業は迅速に対応しなければなりません。
これが経営の機動性です。
取締役へ業務執行を任せている理由の一つも、経営環境の変化に素早く対応できるようにするためです。
具体的な経営事項を定款で細かく固定すると、この機動性が低下する可能性があります。
それでも株主が業務執行事項を提案する理由
では、なぜ株主は取締役へ任せるべき経営事項についてまで提案するのでしょうか。
理由の一つは、経営陣の判断が必ず正しいとは限らないからです。
たとえば何年も赤字を出している事業があるとします。
経営陣は、
将来成長する
と説明して事業を続けています。
しかし株主から見ると、赤字事業へ資金を投入し続けることで企業価値が低下しているように見える場合があります。
会社との対話を続けても経営陣が方針を変えないこともあります。
その場合、株主が株主総会を通じて経営方針そのものに問題を提起しようとすることがあります。
資本政策も業務執行との境界にある
業務執行事項の問題は事業撤退だけではありません。
資本政策も重要な論点になります。
会社が保有する現金を何に使うのか。
成長投資へ回すのか。
配当に回すのか。
自社株買いに使うのか。
企業買収に使うのか。
これらは経営判断です。
一方、株主から見れば自分たちが提供した資本を会社が効率的に使っているのかという重要な問題でもあります。
そのため業務執行と株主による監督の境界を簡単に決めることはできません。
気候変動に関する提案も線引きが難しい
今回の記事では、気候変動も業務執行事項との境界が難しい問題として挙げられています。
たとえば温室効果ガス排出量の削減方針を考えます。
どの設備を更新するのか。
どのエネルギーを利用するのか。
どの事業から撤退するのか。
これらは経営戦略に関係します。
その意味では業務執行事項です。
しかし気候変動が会社の長期的な事業リスクになるのであれば、株主にとっても重要な企業価値の問題です。
単純に、
業務執行だから株主は関与できない
と線を引くことが難しい理由です。
業務執行事項を制限すると何が変わるのか
仮に会社法改正によって業務執行事項に関する株主提案が制限されたとします。
会社側にはメリットがあります。
経営事項が定款へ細かく書き込まれるリスクが減り、取締役会が機動的に経営判断しやすくなります。
株主提案への対応負担が減る可能性もあります。
一方、株主側から見ると、重要な経営課題について株主総会で問題提起する方法が狭くなる可能性があります。
特に経営陣との対話だけでは改善されない場合、株主提案が重要な手段になることがあります。
どこまでを制限するのかが難しいのです。
一律に区別するのが難しい理由
業務執行事項を制限するとしても、
何が業務執行事項なのか
を決めなければなりません。
事業撤退のように経営判断であることが比較的分かりやすいものもあります。
しかし資本政策や気候変動、企業統治などになると境界が曖昧になります。
一つの提案の中に、経営判断と株主による監督の両方の要素が含まれることもあります。
そのため会社法のルールとして一律に線を引けば、本来認めるべき株主提案まで制限する可能性があります。
今回の検討で難しいのは、まさにこの点です。
株主総会と取締役会の役割分担が問われている
業務執行事項の株主提案を巡る問題は、単なる株主提案権の技術的な問題ではありません。
株式会社を誰が経営するのかという根本的な問題です。
株主は会社の所有者です。
しかし日々の経営は取締役へ任せています。
取締役が自由に経営できなければ、迅速な意思決定が難しくなります。
一方、取締役へすべてを任せて株主が重要な経営問題に意見を示せなければ、経営陣への監督が弱くなる可能性があります。
業務執行事項の株主提案は、この二つの考え方がぶつかるところにあります。
結論
業務執行事項の株主提案とは、本来は取締役や取締役会が判断する事業運営に関する事項について、株主が株主総会を通じて会社へ変更を求めるものです。
取締役会設置会社では、事業計画や事業撤退などの業務執行を株主総会が何でも直接決められるわけではありません。
しかし、業務執行に関係する内容を定款に規定するという形にすれば、定款変更として株主提案の対象になる場合があります。
株主側から見れば、経営陣が対応しない重要な経営課題について正式に問題提起できる手段になります。
一方、会社側から見れば、本来は取締役会が機動的に変更できる経営方針が定款によって固定される可能性があります。
定款を変更するには原則として株主総会の特別決議が必要だからです。
そのため現在の会社法改正では、業務執行事項に関する株主提案をどこまで認めるのかが議論されています。
問題の本質は、事業撤退を株主が決めてよいかという個別論点だけではありません。
会社の所有者である株主がどこまで経営方針に関与し、実際の経営を担う取締役へどこまで判断を任せるのかという、株式会社の基本的な権限分配が問われているのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月31日 朝刊 株主提案、要件見直しで火花
日本経済新聞 2026年8月31日 朝刊 業務執行の提案巡り議論