「手当」と聞くと、通勤手当や住宅手当、家族手当などを思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、手当は単なる給与の上乗せではありません。その時代ごとの社会問題や人々の暮らしを反映しながら生まれ、役割を変えてきた制度です。
近年では、禁煙手当や花粉症手当、保護猫を引き取る社員への猫手当など、企業独自のユニークな制度も登場しています。手当は企業の価値観や人材戦略を映し出す鏡ともいえる存在になっています。
手当の語源は「不足を補う」こと
「手当」という言葉は、もともと「手を当てる」という行為に由来し、「不足しているものを補う」「あらかじめ準備しておく」という意味がありました。
江戸時代後期には、すでに「足りないものを補う目的の報酬」という意味で使われていたとされます。その後、労働への報酬という意味が定着していきました。
夏目漱石の小説『三四郎』には、高等学校の受験答案の採点を引き受けた恩師が「60円の手当」を受け取ったという記述があります。当時としては非常に高額な報酬であり、「手当」が臨時の報酬として広く認識されていたことが分かります。
社会の変化が新しい手当を生み出す
手当は、企業が自由に決めているように見えて、実際には社会情勢や政策の影響を強く受けています。
代表例が通勤手当です。
自動車の普及によってマイカー通勤が増えると、自動車通勤手当が広まりました。その後、住宅価格の上昇で郊外から長距離通勤する人が増えると、通勤手当の非課税限度額も引き上げられてきました。さらに、新幹線通勤や一定条件を満たす駐車場費用まで非課税対象に加えられるなど、制度は時代に合わせて拡充されています。
つまり、手当は社員の生活環境の変化に応じて進化してきた制度なのです。
家族手当も見直しの時代へ
長年、多くの企業で支給されてきた扶養手当(配偶者手当)も見直しが進んでいます。
従来は「結婚した男性が家族を扶養する」という社会モデルを前提として設計されていました。そのため、配偶者に一定以上の収入がある場合には支給しない制度が一般的でした。
しかし共働き世帯が主流となった現在、この仕組みは働き方をゆがめる要因にもなっています。
そのため厚生労働省は2023年、「配偶者手当」の見直しを促す資料を公表し、配偶者の働き方に中立的な制度への転換を企業へ求めています。
日本独特の賃金制度
海外では、賃金は仕事内容や成果によって決まることが一般的です。
一方、日本では住宅、家族、役職、資格など、職務とは直接関係しないさまざまな要素に対して手当を支給する企業が多く存在します。
これは日本独自の賃金制度の特徴とされますが、近年はジョブ型雇用や成果重視の人事制度が広がる中で、そのあり方が改めて問われています。
また、かつて物価高対策として導入された物価手当が、後に基本給へ組み込まれたように、役割を終えた手当は姿を変えていくことも珍しくありません。
手当は企業文化を表す制度にもなった
最近では、従来の生活補助だけでなく、企業理念を反映した手当も増えています。
禁煙を促す禁煙手当、花粉症対策を支援する花粉症手当、保護猫を迎えた社員を支援する猫手当などは、その企業が何を大切にしているかを示しています。
人材確保が難しい時代には、給与だけでは差別化できません。福利厚生や各種手当を通じて企業の魅力を高めることも、人事戦略の重要な要素となっています。
結論
手当は単なる給与の上乗せではなく、「社会の課題を補う仕組み」として発展してきました。
物価上昇、自動車社会、共働きの増加、多様な働き方など、その時代ごとの変化が新しい手当を生み出し、不要になった手当は基本給へ統合されるなど姿を変えてきました。
今後はジョブ型雇用や成果主義の広がりに伴い、従来型の生活補助手当は見直される一方で、企業文化や人的資本経営を象徴する新しい手当が増えていく可能性があります。手当の変遷をたどることは、日本の雇用制度や働き方の変化を理解することにもつながるのです。
参考
企業実務 2026年8月号
「手当」を手当てするとき