景気が悪いときには家計の税負担を軽くしたい。一方で、国の財政を維持するためには安定した税収も必要です。
この二つを両立させようとして1990年代に採られた考え方が増減税の一体処理です。
所得税や住民税の減税を先に実施して景気を支え、その後に消費税率を引き上げて財源を確保するというものでした。
しかし、減税と増税の実施時期が異なれば、その間には財源の空白が生まれます。さらに数年後の経済が想定通りになっている保証もありません。
1990年代の経験は、現在予定されている2年間限定の食料品消費税減税を考えるうえでも重要な示唆を与えています。
増減税の一体処理とは何か
増減税の一体処理とは、減税と増税を別々の政策としてではなく、一つの税制改革として組み合わせる考え方です。
1990年代の税制改革では、
所得税や住民税を減税する
消費税率を引き上げる
という二つの政策が組み合わされました。
所得課税の負担を軽減する一方で、消費課税から安定した財源を確保するという税体系の見直しでもありました。
単純に国民全体の税負担を増やす、あるいは減らすというだけではなく、税負担の構造そのものを変える政策だったわけです。
なぜ所得税を減税したのか
背景にあったのがバブル崩壊後の景気低迷です。
バブル経済が崩壊すると、株価や地価が大きく下落しました。
企業は過剰債務や不良資産への対応を迫られ、設備投資にも慎重になります。
家計も将来への不安から消費を抑えるようになります。
そこで景気を下支えするため、所得税や住民税を減らす政策が採られました。
所得税などの負担が軽くなれば可処分所得が増えます。
その一部が消費に回れば、
家計消費が増える
企業の売上が増える
生産や投資が増える
雇用や所得が改善する
という景気刺激効果が期待できます。
なぜ消費税を増税する必要があったのか
しかし所得税を減税すれば、国や地方自治体の税収は減少します。
しかも日本では高齢化が進み、社会保障費の増加が見込まれていました。
そこで注目されたのが消費税です。
所得税は所得や景気の影響を受けます。
法人税も企業業績によって税収が大きく変動します。
これに対して消費税は幅広い消費に課税されるため、比較的安定した税収を確保しやすいという特徴があります。
所得課税を軽くしながら、消費課税を強化する。
これによって税収構造を変えていく考え方が背景にありました。
細川政権では国民福祉税構想が挫折した
こうした税制改革の流れの中で登場したのが、1994年の細川護熙政権による国民福祉税構想です。
当時3%だった消費税を廃止し、税率7%の国民福祉税を導入する一方、所得税や住民税を中心とした大規模な減税を行う構想でした。
しかし、与党内の十分な合意形成がないまま突然発表されたことなどから強い反発を受け、国民福祉税構想は短期間で撤回されました。
一方、所得税や住民税の特別減税は残りました。
つまり財源となる消費課税の改革が実現しないまま、減税が先行することになったのです。
村山政権で改めて税制改革が進められた
1994年6月に発足した村山富市政権では、改めて税制改革が進められました。
所得税や住民税の減税を実施する一方で、1997年4月から消費税率を3%から5%へ引き上げる方針です。
これが増減税の一体処理です。
重要なのは、減税と増税を同時に実施したわけではないことです。
減税を先に実施し、消費税増税は数年後でした。
ここに財政上の大きな問題が生まれます。
減税と増税の間に財源の空白ができる
例えば1994年に所得税を減税し、その財源となる消費税増税が1997年だとします。
1994年から1996年までの間は、所得税収が減っている一方、消費税増税による税収増はまだありません。
つまり財源の時間差が生じます。
歳出を同じだけ削減できなければ、その穴を別の方法で埋めなければなりません。
そこで利用されたのが減税特例公債でした。
1994年度から1996年度にかけて、減税特例公債が合計約8兆円発行されました。
将来の税収増を見込んで、それまでの財源不足を国債でつないだわけです。
将来の増税を先取りする仕組みでもあった
増減税の一体処理を時間軸で見ると分かりやすくなります。
まず減税する。
減税による税収不足を国債で補う。
数年後に消費税を増税する。
増えた税収によって財政を安定させる。
この流れです。
言い換えれば、将来増える予定の税収を前提として、現在の家計負担を軽くしたとも考えられます。
しかし、この仕組みが成立するためには重要な条件があります。
予定通り増税できることです。
さらに増税後も経済や税収が想定通り推移する必要があります。
1997年には経済環境が大きく変化した
消費税率は予定通り1997年4月に3%から5%へ引き上げられました。
しかし、その後の日本経済は厳しい状況に直面します。
アジア通貨危機が発生し、国内では北海道拓殖銀行や山一証券などの経営破綻が相次ぎました。
金融システムへの不安が高まり、景気も悪化しました。
政府は再び景気対策を迫られます。
橋本龍太郎政権は1997年12月に所得税と住民税で総額2兆円規模の特別減税を表明しました。
翌1998年には追加の減税も打ち出されます。
つまり財政健全化へ向かうはずだった時期に、経済環境の悪化によって再び減税が必要になったのです。
将来の経済状況は決められない
この歴史が示しているのは、数年先の財源を前提として現在の政策を設計する難しさです。
税率は法律によって決められます。
しかし、
景気
株価
金融危機
物価
企業業績
国際情勢
自然災害
まで政府が決めることはできません。
現在の経済状況を前提に3年後の財政計画を作っても、そのときの経済環境が大きく変わっている可能性があります。
増減税の一体処理には、この時間差のリスクが存在します。
増税だけが悪かったと単純化できない
1997年の消費税率引き上げについては、その後の景気悪化との関係が長く議論されてきました。
ただし、景気悪化の原因を消費税増税だけに求めるのは単純化しすぎです。
当時はアジア通貨危機や国内金融機関の経営問題など、複数の大きなショックが重なっていました。
財政政策を評価するときには、
増税
金融危機
海外経済
金融政策
企業や家計の行動
などを総合的に見る必要があります。
それでも、景気が弱い局面で家計負担を増やすことの難しさを示した時期であることは確かです。
今回は増税ではなく減税終了が予定されている
現在の食料品消費税減税は、1990年代の増減税の一体処理とは仕組みが異なります。
政府は2027年4月から2年間、食料品の消費税率を1%へ引き下げる方針です。
そして2029年度には所得に連動した新しい給付制度を本格導入し、消費税率を元に戻す考えです。
つまり、
消費税を減税する
2年間家計を支援する
新しい給付制度を導入する
消費税率を元に戻す
という政策の流れになります。
新たな増税を行うのではなく、期限付き減税を終了するという点では1990年代と異なります。
しかし時間差を伴う政策という点では共通する問題があります。
1%から8%へ本当に戻せるのか
今回の政策では、酒類と外食を除く食料品の消費税率を現在の8%から1%へ引き下げる方針です。
予定通りなら2年後には8%へ戻ります。
制度上は増税ではなく減税措置の終了です。
しかし消費者から見れば、税率が1%から8%になるため負担は増えます。
2年後に、
食品価格が高止まりしている
景気が悪化している
家計所得が伸びていない
国政選挙が近い
といった状況になれば、減税延長を求める声が強まる可能性があります。
ここでも将来の政治経済状況を現在の段階で確定することはできません。
財源の時間軸を見ることが重要
今回の消費税減税では年間5兆円規模の財源が必要になるとされています。
2年間なら単純計算で約10兆円です。
政府は赤字国債には頼らず、
租税特別措置の見直し
補助金の見直し
外為特会の剰余金
税外収入
歳出改革
などによって財源を確保する方針です。
ここで確認したいのは、財源の時間軸です。
2年間だけ利用できる財源なのか。
毎年利用できる財源なのか。
すでに別の政策に使う予定の財源ではないのか。
減税が延長された場合にも使えるのか。
政策の期間と財源の期間を一致させる必要があります。
新しい給付制度の財源も別に考える必要がある
さらに2029年度以降には新しい給付制度が予定されています。
消費税減税を2年間で終了できたとしても、給付制度を継続するなら、そのための財源が必要になります。
つまり今回の政策には、
2027年度からの減税財源
2028年度の減税財源
2029年度以降の給付制度財源
という複数の時間軸があります。
減税期間だけ財源を確保すれば終わりではありません。
その後の制度まで含めて財政設計を見る必要があります。
過去の教訓は財源を後回しにしないこと
1990年代の増減税の一体処理から得られる重要な教訓は、将来の財源を前提として現在の負担軽減を決めることにはリスクがあるということです。
減税は予定通り実施できても、将来の増税や財源確保が予定通り進むとは限りません。
そして経済環境が悪化すれば、さらなる減税や財政支出が必要になる場合もあります。
だからこそ、
減税額
財源
政策期間
終了方法
次の制度
まで同時に決めることが重要になります。
結論
増減税の一体処理とは、所得税などの減税と消費税増税を一つの税制改革として組み合わせる考え方です。
1990年代には景気を支えるため所得税や住民税の減税を先行させ、1997年に消費税率を3%から5%へ引き上げることで財源を確保する政策が採られました。
しかし減税と増税の間には時間差があり、その財源不足を補うため減税特例公債が発行されました。
さらに消費税増税後にはアジア通貨危機や国内金融危機などが重なり、政府は再び減税を迫られました。
この歴史が示しているのは、将来の財源を前提として現在の減税を実施する難しさです。
今回の食料品消費税減税では、赤字国債に頼らず2年間の財源を確保し、その後は新しい給付制度へ移行する方針が示されています。
しかし本当に重要なのは、政策が予定通り進まなかった場合への備えです。
2年後に消費税率を1%から8%へ戻せるのか。
減税が延長された場合の財源をどうするのか。
新しい給付制度を何で支えるのか。
1990年代の経験から学ぶべきなのは、減税と財源を別々の時期に考えないことです。
負担を軽くする政策と、それを支える財源、そして政策を終了する出口まで一体として設計することが、持続可能な財政運営には必要なのではないでしょうか。
参考
日本経済新聞 2026年8月9日朝刊
減税先行 揺れた政権基盤 歴代内閣、財源確保に難航 赤字国債増の事例も