戦略的人事とは何か 人事部が制度をつくるだけでは企業が変わらない理由編

経営

ジョブ型雇用、人的資本経営、リスキリング、生成AI、CHROなど、人事を巡る新しい言葉が次々と登場しています。

企業によっては、職務記述書を整備したり、人材ポートフォリオを作ったり、従業員のスキルをデータベース化したりする動きも広がっています。

しかし、新しい人事制度を導入すれば、それだけで経営戦略が実現できるのでしょうか。

戦略的人事を考えるうえで重要なのは、人事制度そのものではありません。

経営戦略、組織、そこで働く人のキャリアを相互に動かしながら、企業そのものを進化させていくことです。

戦略的人事とは何か

戦略的人事とは、経営戦略と人材マネジメントを結びつける考え方です。

従来の人事部門では、採用、配置、異動、評価、給与、教育、労務管理などを適切に運営することが重要な仕事でした。

もちろん、これらの仕事は今後も必要です。

しかし、企業を取り巻く環境が急速に変化する時代には、決められた人事制度を正確に運用するだけでは十分ではありません。

どのような事業を成長させるのか。

そのためにどのような組織が必要なのか。

そこでどのような人材が、どのような役割を担うのか。

さらに、その人材にどのような成長機会やキャリアを提供するのか。

これらを一体として考える必要があります。

戦略的人事とは、経営戦略を人事制度に翻訳するだけの仕事ではないのです。

経営戦略は最初から完成しているわけではない

ここで重要になるのが、経営戦略そのものの捉え方です。

経営戦略というと、経営陣が中期経営計画などを策定し、それを現場が実行するというイメージがあります。

しかし現実には、経営戦略はそれほど一方向には進みません。

新商品を開発してみたら、想定していなかった顧客層から支持された。

小さく始めた新規事業が急成長した。

現場で生まれた改善策が、会社全体のビジネスモデルを変えた。

こうしたことは珍しくありません。

つまり、

経営陣が戦略をつくる

現場が実践する

実践から新しい知識が生まれる

その知識によって戦略が修正される

という循環があります。

戦略とは、経営者がつくった計画を社員が忠実に実行するだけのものではありません。

社員の日々の行動そのものが、次の経営戦略をつくっていくのです。

これから社員には企業家的な行動が求められる

そこで重要になるのが、社内企業家という考え方です。

英語ではイントレプレナーと呼ばれます。

社内企業家は、自分で会社を設立する起業家とは異なり、企業の中にいながら新しい事業や仕組みを生み出します。

例えば、

新しいアイデアを探す

小規模な実験をする

必要な人材や予算を集める

他部署を巻き込む

失敗から学習する

既存のルールそのものを見直す

といった行動です。

かつては、このような行動は新規事業部門や経営幹部など、一部の人だけに期待されていました。

しかし、生成AIなどによって定型的な仕事が急速に自動化されれば、人間に残る仕事の性格も変わります。

決められた作業を正確に行う能力だけではなく、自分で問題を発見し、試行錯誤し、新しい価値をつくる能力の重要性が高まります。

社員を単なる労働者として管理するのではなく、企業家的に行動できる存在として考える必要が出てくるのです。

細かすぎる管理が戦略実践を妨げることもある

ここには、人事制度の難しい問題があります。

企業は通常、仕事を管理しやすくするために職務を細かく定義します。

さらに、

KPIを設定する

目標達成率を評価する

短期業績に報酬を連動させる

業務プロセスを標準化する

といった管理を行います。

大量生産や定型的な業務では非常に合理的な仕組みです。

ところが、新しい事業をつくったり、未知の問題を解決したりする仕事では、逆効果になることがあります。

新しいことに挑戦すれば、当然失敗する可能性があります。

短期的なKPIだけで評価されれば、社員は失敗する可能性のある仕事を避けるようになります。

結果として、

会社はイノベーションを求めているのに、社員は失敗しない仕事を選ぶ

という矛盾が生じます。

人事制度そのものが、企業の戦略実践を妨げてしまう可能性があるわけです。

ジョブ型雇用にも設計の仕方がある

ジョブ型雇用についても同じ問題があります。

ジョブ型というと、仕事内容を細かく定めたジョブディスクリプションを作成することだと思われがちです。

しかし、仕事内容を細分化しすぎると、

これは自分の仕事ではありません

という行動を生みやすくなる可能性があります。

不確実性の高い事業環境では、仕事そのものを固定するよりも、

この事業でどのような役割を担うのか

どのような価値を生み出すのか

という役割や貢献を明確にする考え方も重要になります。

仕事の手順を固定するのではなく、目的と責任を明確にし、その実現方法には一定の裁量を与えるわけです。

これなら、組織としての責任を明確にしながら、社員の創意工夫も生かしやすくなります。

経営戦略と組織とキャリアは共進化する

戦略的人事を理解する重要なキーワードが共進化です。

企業には、

経営戦略

組織

社員のキャリア

があります。

これらは別々に存在しているわけではありません。

例えば、新しい事業戦略を始めれば、新しい組織が必要になります。

新しい組織ができれば、社員に新しい役割が生まれます。

社員がその仕事を経験すれば、新しい能力を身につけます。

その能力によって、会社はさらに別の事業に挑戦できるようになります。

つまり、

戦略が人を育て、人が戦略を育てる

という関係があります。

これが共進化です。

人事の役割は、この循環を機能させることにあります。

キャリアは会社だけのものではない

従来の日本企業では、社員のキャリアを会社が設計する傾向がありました。

会社が異動を決め、社員はさまざまな部署を経験しながら昇進していきます。

しかし、働く期間が長くなり、転職や副業など働き方が多様化すると、会社だけがキャリアを決めることは難しくなります。

社員自身も、

何を学びたいのか

どのような能力を身につけたいのか

どのような仕事をしたいのか

を考える必要があります。

企業側も、自社で働くことでどのような経験や能力を得られるのかを示す必要があります。

これは新しい意味での雇用保障にもつながります。

一つの会社に長期間在籍できることだけが雇用保障ではありません。

その会社で働くことによって能力や経験を蓄積し、将来の選択肢を増やせることも、重要な雇用保障と考えられます。

CHROは何をする人なのか

こうした戦略的人事を推進する存在として注目されているのがCHROです。

CHROは最高人事責任者を意味します。

従来の人事部長との大きな違いは、人事制度の管理だけではなく、経営戦略そのものに関与することです。

CEOが、

どの事業に投資するか

を考えるのであれば、CHROは、

その戦略を実現する人材と組織をどうつくるか

を考えます。

ただし、CHROがCEOから示された戦略を人事施策に変換するだけでは十分ではありません。

現在の社員の能力、組織文化、採用市場、キャリア観などを踏まえて、

その戦略は本当に実行できるのか

という視点から経営戦略そのものに働きかける役割もあります。

人事が経営戦略に従うだけではなく、人事から経営戦略を変えることもあるのです。

人事部が人事を独占しない

もう一つ重要なのは、人事部だけで人事を考えないことです。

実際に社員を育成するのは現場の上司です。

仕事の問題を最も理解しているのも現場です。

自分のキャリアを最も真剣に考えるべきなのは社員本人です。

そのため、

経営者

人事部門

現場のリーダー

社員

が一緒に人事を考える必要があります。

人事部門が現場の問題をすべて代わりに解決するのではありません。

現場自身が問題を解決できるよう、人事部門が専門知識を使って支援するという関係です。

人事部門は制度の管理者から、組織変革の支援者へと役割を変えていくことになります。

生成AI時代ほど人事の専門性が問われる

生成AIによって、人事業務そのものも大きく変わります。

求人票の作成、研修教材の作成、人事データの分析、問い合わせ対応、評価コメントの整理など、多くの業務をAIが支援できるようになります。

だからこそ、人事部門には単なる制度運用とは違う能力が求められます。

人間の行動や能力開発について理解するだけでは足りません。

事業モデル、現場の業務、テクノロジー、財務などについても理解する必要があります。

人事担当者が事業を知らなければ、どのような人材が必要なのか判断できないからです。

生成AI時代に価値が高まる人事とは、人について詳しい人ではなく、

人と事業の両方を理解できる人

なのかもしれません。

結論

戦略的人事とは、経営戦略に合わせて人事制度をつくることだけではありません。

経営戦略、組織、社員のキャリアを相互に変化させながら、企業全体を進化させていく仕組みです。

そのためには、社員を細かく管理するだけではなく、一定の裁量を与え、試行錯誤や学習を促す必要があります。

人事部門の役割も変わります。

制度をつくり、社員に守らせる人事から、経営者や現場、社員とともに組織の現実解を探す人事への転換です。

生成AIによって定型的な人事業務が自動化されるほど、この役割は重要になるでしょう。

これから問われる人事の価値は、人を管理する能力ではありません。

人が成長することで事業が変わり、事業が変わることでさらに人が成長する。

その循環をつくれるかどうかにあります。

参考

日本経済新聞 2026年8月14日朝刊 新しい企業戦略を考える(下) 人事の真の価値を問い直せ

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