若いころは収入が少なく、働き盛りになると収入が増え、退職すると給与収入がなくなる。
多くの人の所得は、一生を通じて一定ではありません。
それでは、収入が多い時期にはたくさん使い、退職して収入が減ったら生活水準を大幅に下げるのでしょうか。
実際には、現役時代に貯蓄をして、老後になったらその貯蓄を取り崩すことで生活水準を維持しようとする人が少なくありません。
このように、家計が現在の所得だけではなく人生全体を見ながら消費と貯蓄を決めるという考え方がライフサイクル仮説です。
ライフサイクル仮説とは何か
ライフサイクル仮説とは、人は一生涯に得られる所得や保有する資産を考えながら、人生全体で消費を調整するという考え方です。
重要なのは、今年の所得だけで今年の消費を決めるわけではないという点です。
例えば、今年の年収が800万円だったとしても、その800万円をすべて使ってしまえば老後の生活費を準備できません。
反対に、退職して給与収入がなくなったからといって、消費をゼロにすることもできません。
現役時代に所得の一部を貯蓄し、老後にはその資産を取り崩して使うことで、生涯を通じた消費を調整します。
つまり貯蓄は、現在使わなかったお金というだけではありません。
将来の自分が使うために所得を移していると考えることができます。
生涯所得とは何か
ライフサイクル仮説を理解するうえで重要なのが生涯所得という考え方です。
生涯所得とは、現在から将来まで含めて、その人が一生の間に得ると見込まれる所得です。
例えば、30歳の会社員が現在年収500万円だったとします。
この人は今年の500万円だけを見て消費を決めるわけではありません。
今後昇給する可能性もあります。転職によって収入が変わる可能性もあります。60歳や65歳以降には給与が減るかもしれません。
さらに退職後には公的年金を受け取ることも考えられます。
こうした将来の所得まで含めながら「人生全体でどのくらい使えるのか」を考えるのがライフサイクル仮説の基本的な発想です。
若年期は所得が少ない
一般的に若年期は、働き始めたばかりで所得がそれほど高くありません。
一方で、結婚、住宅取得、出産、子育てなど大きな支出が発生することがあります。
現在の所得だけを基準にすれば、十分なお金を使えないこともあります。
そこで預貯金を取り崩したり、住宅ローンなどを利用したりして、将来の所得を事実上前倒しして使うことがあります。
例えば住宅ローンは分かりやすい例です。
3000万円の住宅を購入するために3000万円貯まるまで待つのではなく、将来得る給与から返済することを前提として現在住宅を購入します。
将来所得を現在の消費に振り向けていると考えることができます。
現役期には貯蓄が増えやすい
40代や50代になると、若いころより所得が増える人も多くなります。
もちろん住宅費や教育費などの負担もありますが、老後に備えた貯蓄を意識する時期でもあります。
例えば手取り収入が年間600万円あり、年間の生活費が500万円なら、残った100万円を貯蓄できます。
この100万円は単に使わなかったお金ではありません。
将来、給与収入がなくなったときの生活費として使うためのお金でもあります。
現役時代の所得を老後へ移す役割を貯蓄が果たしているのです。
老後は貯蓄を取り崩す
退職すると給与収入は大きく減ります。
公的年金を受給していても、現役時代の給与と同じ金額を受け取れるとは限りません。
例えば、現役時代の年間生活費が300万円で、老後の年金収入が年間240万円だったとします。
年間60万円不足します。
この不足分を現役時代に蓄えた預貯金などから取り崩せば、生活水準を急激に下げずに済みます。
仮に2000万円の金融資産があれば、その資産を少しずつ使いながら生活できます。
ライフサイクル仮説では、このような資産の取り崩しも人生全体の消費計画の一部として考えます。
貯蓄は消費を将来へ移す仕組み
貯蓄というと、お金を使わないことだと考えがちです。
しかしライフサイクル仮説では、貯蓄は現在の消費を将来へ移す行動として捉えることができます。
現役時代に100万円貯蓄すれば、現在の消費は100万円減ります。
その代わり、その100万円を老後に使うことができます。
反対に借り入れは、将来の所得を現在へ移す仕組みと考えることができます。
住宅ローンを利用すれば、将来稼ぐお金で返済する代わりに、現在住宅を手に入れることができます。
家計は貯蓄や借り入れを使いながら、人生の異なる時期の所得と消費を調整しているのです。
年齢によって消費行動が変わる理由
ライフサイクル仮説を考えると、年齢によって家計行動が違う理由も見えてきます。
若年期には将来長期間働くことができるため、現在の資産が少なくても将来所得を期待できます。
中高年になると退職までの期間が短くなり、老後への備えが重要になります。
退職後には給与収入がなくなるため、それまでに形成した金融資産や年金を使って生活します。
つまり年齢が違えば、残された就労期間も将来所得も保有資産も違います。
そのため同じ年収500万円でも、30歳と60歳では消費や貯蓄に対する考え方が同じとは限りません。
老後への不安が現在の消費にも影響する
ライフサイクル仮説は、老後への不安と現在の消費との関係を考えるときにも重要です。
例えば、将来受け取れる年金が少なくなると予想した家計を考えてみます。
老後に使える所得が減ると考えれば、現役時代から貯蓄を増やす必要があります。
その結果、現在の消費を減らす可能性があります。
反対に、将来の年金や退職金が十分に受け取れると考えれば、必要以上に現在の消費を抑える必要はないと判断するかもしれません。
まだ受け取っていない将来の所得に対する期待が、現在の消費を左右するわけです。
資産価格の上昇も消費に影響する
生涯に使えるお金は給与だけで決まりません。
預貯金、株式、投資信託、不動産などの資産も関係します。
例えば保有している金融資産の価値が大きく上昇すれば、「老後資金に余裕ができた」と考える家計もあります。
すると現役時代に必要な貯蓄額を減らし、その分を現在の消費に回せる可能性があります。
反対に資産価格が大きく下落すれば、老後資金を補うため現在の消費を減らして貯蓄を増やすことも考えられます。
家計の消費を考えるときには、現在の給与だけでなく、生涯所得や資産まで見る必要があるのです。
結論
ライフサイクル仮説とは、家計が現在の所得だけではなく、一生涯に得られる所得や保有資産を考えながら消費と貯蓄を決めるという考え方です。
若年期には所得が少なくても将来所得を見込んで借り入れを利用することがあります。
現役期には所得の一部を貯蓄して老後に備えます。
そして退職後には年金を受け取りながら、それまで蓄積した資産を取り崩して生活することができます。
つまり貯蓄とは、単にお金を使わないことではありません。
現役時代のお金を将来の自分へ移す仕組みでもあります。
私たちの消費は、今日の給料だけで決まっているわけではありません。
若いころから老後までという長い時間軸の中で、現在と将来のお金をどのように配分するかを考えながら決まっているのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月31日 朝刊 家計の「期待」と経済(1) 将来の視点が左右する消費