円建てステーブルコインJPYCには、発行や償還について1回100万円までという制約があります。
個人が飲食代を精算したり、家族へ生活費を送ったりするのであれば、100万円という上限が問題になるケースは多くないでしょう。
しかし、企業間取引では話が違います。
数百万円、数千万円、場合によっては数億円という支払いが日常的に発生します。
なぜ便利なデジタル通貨に100万円という制約があるのでしょうか。
その背景には、銀行と銀行以外の送金事業者をどのように区分し、利用者の資金をどう守るかという金融規制の考え方があります。
JPYCは資金移動業型
JPYCを理解するうえで重要なのが資金移動業という制度です。
資金を別の人へ移動させる為替取引は、もともと銀行が中心となって提供してきました。
しかし、キャッシュレス化や金融サービスの多様化が進み、銀行以外の事業者にも送金サービスへの参入が認められるようになりました。
そこで整備されたのが資金移動業の制度です。
JPYCは、この資金移動業の仕組みを利用したステーブルコインです。
したがって、ブロックチェーンという新しい技術を利用していても、資金決済に関する既存の規制と無関係ではありません。
100万円は利用者保護と関係している
金融規制では、事業者がどの程度の金額を扱うかによって求められる安全性や管理体制が変わります。
少額の送金と数億円の送金では、事業者に問題が起きた場合の影響も違います。
銀行には厳しい財務規制や監督が課されています。
一方、銀行以外の事業者にも同じ条件をすべて求めれば、新しい送金サービスへの参入が難しくなります。
そこで、扱える業務や金額、資金保全などについて制度上の枠組みを設けながら、銀行以外にも送金サービスを認めるという考え方が採られてきました。
100万円という金額を見るときには、単なる技術的な送金上限ではなく、利用者保護を含む金融規制の一部として理解する必要があります。
ブロックチェーンの性能上の限界ではない
誤解しやすいのが、100万円を超えるとブロックチェーンで送れないのではないかという点です。
そうではありません。
ブロックチェーンという技術そのものが100万円という上限を持っているわけではありません。
技術的には、それを超える価値を移転することも可能です。
問題は法律上どのような枠組みでサービスを提供しているかです。
つまり、100万円規制は技術の限界ではなく制度上の制約です。
この違いは非常に重要です。
個人利用なら100万円でも困らない場面が多い
日常生活で100万円を超える送金を頻繁に行う人は多くありません。
友人との飲食代の精算なら数千円程度でしょう。
家族への生活費でも数万円から数十万円程度が一般的です。
ネットショッピングなどの決済でも、100万円以下で収まるケースが大半でしょう。
そのため、個人間送金や日常決済を中心に考えるなら、100万円という上限がステーブルコイン普及の決定的な障害になるとは限りません。
むしろ低コスト、365日24時間利用可能といったメリットの方が目立つ可能性があります。
企業間取引では100万円では足りない
一方、企業の世界では100万円は決して大きな金額ではありません。
原材料を仕入れる。
設備を購入する。
広告費を支払う。
システム開発費を支払う。
こうした取引では100万円を超える支払いが普通に発生します。
大企業になれば、1回の支払いが数千万円や数億円になることもあります。
貿易決済ではさらに巨額の資金が動きます。
企業間決済をステーブルコインへ移行するには、100万円という上限が大きな制約になります。
信託型に100万円規制がない意味
ここで存在感を持つのが信託型ステーブルコインです。
元記事で紹介されているJPYSCは信託型で、資金移動業型にある100万円規制がありません。
そのため、個人利用だけではなく、企業間の大口送金や貿易決済への利用が想定されています。
同じ円建てステーブルコインでも、法的な仕組みが違えば利用できる金額や想定される用途も変わります。
ステーブルコインを比較するときには、コインの名称や利便性だけではなく、どの制度に基づいて発行されているのかを見る必要があります。
規制緩和で何が変わるのか
元記事では、政府の方針としてオンチェーン金融の推進が掲げられており、規制が緩和される方向とされています。
仮に資金移動業型ステーブルコインについて扱える金額が拡大すれば、利用範囲は大きく広がります。
個人間送金中心だったものが、企業間決済にも使いやすくなるからです。
例えば企業が数百万円の請求書を受け取り、その金額をステーブルコインで直接支払えるようになれば、銀行振込との競争が本格化します。
100万円という数字の変更は、単なる上限変更ではありません。
ステーブルコインが個人向けサービスから企業の決済インフラへ進めるかどうかを左右する可能性があります。
規制緩和にはリスク管理も必要
もちろん、上限を引き上げればよいという単純な問題ではありません。
扱う金額が大きくなるほど、事業者に問題が起きた場合の影響も大きくなります。
サイバー攻撃によって資産が不正に移転された場合の被害額も増える可能性があります。
マネーロンダリングに利用された場合の社会的影響も大きくなります。
企業が数億円をステーブルコインで動かすようになれば、内部統制や送金承認の仕組みも必要です。
規制緩和と利用者保護はセットで考える必要があります。
金融規制は技術の普及速度を左右する
新しい金融技術が普及するかどうかは、技術の性能だけでは決まりません。
法律や税制が大きく影響します。
どれほど高速で低コストの送金技術があっても、利用できる金額や用途が厳しく制限されれば普及範囲は限られます。
逆に、利用者保護を確保しながら規制を見直すことができれば、新しい金融サービスが一気に広がる可能性があります。
ステーブルコインを理解するには、ブロックチェーン技術だけでなく資金決済法などの制度を見る必要がある理由がここにあります。
100万円の壁はステーブルコイン版の成長の壁
現在の100万円という上限は、資金移動業型ステーブルコインにとって1つの境界線です。
この範囲であれば、個人間送金や小口決済を中心としたサービスとして発展できます。
しかし、企業間決済や大口取引まで広げるには制度上の課題が出てきます。
ステーブルコイン市場が成長すればするほど、この境界線の意味は大きくなるでしょう。
今後の制度改正は、ステーブルコイン市場の競争環境にも影響します。
資金移動業型と信託型、さらに銀行が関与するステーブルコインが、それぞれどの分野で利用されるのかにも関係してきます。
結論
ステーブルコインの100万円規制は、ブロックチェーン技術の限界ではありません。
銀行以外の事業者に送金サービスを認めながら、利用者保護や金融システムの安全性を確保するために設けられた制度上の枠組みと関係しています。
個人間送金や日常決済では、100万円という上限が大きな問題にならない場面も多いでしょう。
しかし、企業間決済や貿易決済では大きな壁になります。
そのため、今後の規制見直しはステーブルコインの用途を左右する重要なテーマです。
規制を緩和すれば利用範囲は広がりますが、その分だけ資金保全、マネーロンダリング対策、サイバーセキュリティーなども強化する必要があります。
金融の世界では、便利だから規制をなくすという考え方はできません。
利便性と安全性をどこで両立させるか。
100万円という数字を巡る議論は、日本でステーブルコインをどこまで社会インフラとして育てるのかという問題でもあるのです。
参考
日本経済新聞 2026年10月3日 朝刊 「個人間・国際送金を安く ステーブルコインを活用」
日本経済新聞 2026年10月3日 朝刊 「実証実験の最中」