人工知能の進化によって、50代や60代の社員の働き方に新しい可能性が生まれています。
これまで企業のデジタル人材育成は、若手社員や情報システム部門の技術者を中心に進められることが一般的でした。
しかし、みずほフィナンシャルグループが打ち出したAI人材育成計画は、こうした従来の考え方を変える可能性があります。
みずほは、営業や事務を担当する社員をAI開発人材へ転換し、10年後には数千人規模に拡大する方針です。
対象は全世代に及び、管理職経験者を含むベテラン社員も配置転換の候補になります。
注目すべきなのは、長年の実務経験を持つ社員を、新しい技術を活用する人材として再評価しようとしている点です。
生成AIの普及によって、プログラミングなどの技術的な作業の一部をAIが支援できるようになりました。
その結果、専門技術の習得だけでなく、業務知識や経験をどのように活用するかが重要になりつつあります。
今回は、50代や60代の社員がAI時代にどのような役割を担えるのか、人生100年時代の働き方とともに考えます。
ベテラン社員の経験が新しい価値を持つ理由
企業で長年働いてきた社員には、日々の業務を通じて蓄積した知識や経験があります。
例えば、銀行の法人営業を30年間担当してきた社員は、多くの企業の成長や経営危機を経験している可能性があります。
決算書の数値だけでは分からない経営上の問題や、資金繰りが悪化する企業の特徴について、実務上の知見を持っていることもあるでしょう。
経理部門でも同様です。
長年にわたり決算業務を担当してきた社員は、どの勘定科目で誤りが発生しやすいのか、どのような取引に会計上の判断が必要なのかを理解しています。
税務部門の経験者であれば、税務調査で問題になりやすい取引や、税法の解釈に注意が必要な論点を把握している場合があります。
こうした知識は、マニュアルを読むだけでは十分に習得できません。
実際の業務を通じて、長い時間をかけて身につけるものだからです。
AIの普及によって、この経験を新しい形で活用できる可能性が広がっています。
例えば、ベテラン社員が持つ確認手順や判断上の着眼点を整理し、AIを利用した業務支援ツールの設計に反映することが考えられます。
これまで個人の経験に依存していた知識を、組織全体で活用できる仕組みに変えることができるのです。
AI時代には年齢よりも専門知識が重要になる
新しい技術の習得については、若手社員の方が有利だと考えられることがあります。
確かに、デジタル機器や新しいソフトウェアに慣れている社員は、操作方法を短期間で習得できる場合があります。
しかし、AIを業務で活用するには、操作方法を知っているだけでは不十分です。
重要なのは、何をAIに任せるべきか、どのような結果が正しいのかを判断する能力です。
例えば、AIが企業の財務分析を行い、自己資本比率や営業利益率を計算したとします。
計算結果が正確であっても、それだけで企業の財務状況を適切に評価できるとは限りません。
業種によって適切な財務指標は異なります。
また、一時的な特別利益によって当期純利益が増加している場合、収益力の評価には注意が必要です。
こうした判断には、会計や財務に関する専門知識が必要になります。
ベテラン社員が長年培ってきた経験は、AIの分析結果を検証するうえでも役立ちます。
一方で、過去の経験が常に正しいとは限りません。
経済環境や制度が変化すれば、従来の判断方法を見直す必要があります。
そのため、ベテラン社員にも新しい知識を学び続ける姿勢が求められます。
AI時代には、年齢そのものではなく、専門知識と新しい技術を組み合わせる能力が重要になると考えられます。
銀行のベテラン社員がAI開発で果たす役割
具体的な事例として、銀行の融資審査業務を考えてみます。
ある銀行が、中小企業向け融資の審査資料を作成するAIを開発するとします。
AIには、決算書から財務指標を抽出し、業績の推移を分析する機能を持たせます。
さらに、売掛金や棚卸資産の増加、借入金の返済負担、営業キャッシュフローの状況などを確認する仕組みも考えられます。
このとき、長年融資審査を担当してきた社員の経験が役立ちます。
例えば、売上高が増加しているにもかかわらず、営業キャッシュフローが継続的にマイナスとなっている企業について、追加確認すべき事項を整理できます。
また、設備投資によって一時的に利益が減少している企業について、将来の収益見通しを検討するための確認項目を設定できます。
こうした業務知識をAIの分析手順に反映することで、現場の実務に即したツールを開発しやすくなります。
ただし、AIが提示した分析結果だけで融資の可否を決定することは適切ではありません。
融資判断には、事業の将来性や経営者の資質、取引先との関係など、さまざまな要素が関係するからです。
AIは判断を支援する道具であり、最終的な意思決定と責任は人間が担う必要があります。
ベテラン社員は、こうした判断の重要性を理解したうえで、AI開発に参加する役割を果たせると考えられます。
経理財務税務のベテラン社員にも活躍の機会が広がる
銀行だけでなく、一般企業の経理、財務、税務部門でも同様の変化が考えられます。
例えば、経理部門で月次決算の効率化を進める場合です。
AIを活用して仕訳データを整理し、異常値や前月との差異を抽出することができます。
しかし、抽出された差異が誤りなのか、正常な事業活動によるものなのかを判断するには、企業の業務内容を理解する必要があります。
例えば、売上原価が前月より大幅に増加している場合、仕入価格の上昇や生産量の変化、棚卸資産の評価など、複数の原因が考えられます。
長年の経理経験を持つ社員であれば、確認すべき項目を整理しやすくなります。
財務部門では、資金繰り予測や借入金管理へのAI活用が考えられます。
資金繰り表の作成を自動化できても、金融機関との交渉や資金調達方針の決定には経験が重要です。
税務部門でも、AIを活用した税務相談の回答案作成や税制改正情報の整理が考えられます。
ただし、税務判断には法令、通達、裁判例、個別の取引実態などを確認する必要があります。
例えば、役員に対する支出が給与に該当するのか、福利厚生費として取り扱えるのかは、名称だけで判断できません。
支出の目的や対象者、金額、社内規程などを総合的に確認する必要があります。
こうした専門的な判断を理解している社員がAIの利用方法を設計することで、実務上のリスクを抑えやすくなります。
ベテラン社員の経験を組織の財産に変える
企業にとって、ベテラン社員の退職は重要な課題です。
長年の実務経験によって蓄積された知識が、十分に引き継がれないまま失われることがあるからです。
例えば、特定の社員しか理解していない決算処理や、長年の取引先との交渉経緯などが挙げられます。
こうした知識が個人に集中している状態は、業務の属人化と呼ばれます。
属人化が進むと、担当者の退職や異動によって業務が停滞する危険があります。
AIを活用すれば、ベテラン社員の経験を整理し、組織内で共有する仕組みを構築できる可能性があります。
例えば、過去の業務上の問題や対応方法を整理し、社内で検索できる仕組みを作ることが考えられます。
また、専門的な判断が必要な場合に、確認すべき事項を提示するAIを開発することも可能です。
ただし、経験を文章化しただけで、すべての知識を引き継げるわけではありません。
顧客との信頼関係や、複雑な状況での判断能力など、実際の経験を通じて習得する必要があるものも存在します。
そのため、AIによる知識共有と、社員同士の教育や実務経験を組み合わせることが重要です。
AIはベテラン社員の経験を完全に代替するものではなく、その価値を組織全体へ広げる手段として活用すべきです。
役職定年と再雇用制度にも変化が必要になる
日本企業では、一定の年齢に達した社員が管理職を退く役職定年制度や、定年後に再雇用する制度が設けられている場合があります。
こうした制度では、役職や職務内容の変更に伴って給与が減少することもあります。
しかし、AI時代には、年齢だけを基準として社員の役割を決めることが適切なのか、改めて考える必要があります。
例えば、60歳の社員が長年の経理経験を生かし、AIによる決算業務の改善を主導できるとします。
その社員が企業の生産性向上に大きく貢献しているのであれば、年齢だけを理由に職務や処遇を制限することは、人材活用の観点から合理的とは限りません。
一方で、経験年数が長いだけで高い評価を受ける仕組みも見直す必要があります。
重要なのは、実際にどのような役割を担い、どのような成果を生み出しているかです。
AI時代には、年齢や勤続年数だけではなく、専門能力や成果に応じた人事評価の重要性が高まると考えられます。
また、企業はベテラン社員に対しても、新しい技術を習得する機会を提供する必要があります。
学習機会を与えないまま、技術への適応力が不足していると評価することは適切ではありません。
全世代が学び続けられる環境を整えることが、企業の人材戦略に求められます。
60歳以降の働き方を考えるうえで重要な視点
人生100年時代には、60歳以降も働き続けることが一般的になりつつあります。
その際、これまでと同じ仕事を続けることだけが選択肢ではありません。
長年培ってきた専門知識を、新しい技術と組み合わせる働き方も考えられます。
例えば、経理部門で豊富な経験を持つ社員が、AIを活用した決算業務の改善や若手社員の教育を担当することができます。
金融機関の経験者であれば、融資審査や資産運用に関する知識を生かし、AIを利用した業務支援や相談業務に携わることも考えられます。
また、定年退職後に独立して専門的な相談業務を行う場合にも、AIは有力な支援手段になります。
例えば、相談内容の整理、関連制度の調査、回答書の原案作成などに活用できます。
ただし、AIが作成した内容については、専門家自身が確認する必要があります。
特に税務や法務などの分野では、資格や法令によって担当できる業務の範囲が定められています。
AIを利用しても、こうした規制がなくなるわけではありません。
重要なのは、自分の専門知識を基盤として、AIを業務の効率化や品質向上に活用することです。
60歳以降の働き方を考えるうえでも、AIの活用能力は重要な選択肢を広げる可能性があります。
ベテラン社員が今から取り組むべきこと
AI時代に備えるために、50代や60代の社員が最初から高度なプログラミング技術を習得する必要はありません。
まず重要なのは、自分の業務の中でAIを活用できる部分を見つけることです。
例えば、毎月繰り返している資料作成や、社内規程の確認、データの整理などが考えられます。
次に、AIが作成した結果を確認する習慣を身につけることです。
AIの回答には誤りが含まれる場合があります。
特に専門分野では、正確な根拠を確認する姿勢が欠かせません。
さらに、自分が長年培ってきた経験を整理することも重要です。
どのような業務に詳しいのか、どのような問題を解決してきたのか、どのような判断を得意としているのかを明確にします。
そのうえで、AIを利用して自分の専門能力をどのように高められるかを考えます。
例えば、税務の経験者であれば、税制改正情報を整理し、実務上の影響を分析する作業にAIを活用できます。
財務の経験者であれば、企業の資金繰りや財務指標を分析する際の補助として利用できます。
重要なのは、AIそのものを目的にしないことです。
自分の専門能力を高め、より質の高い仕事を行うための道具として活用することが大切です。
結論
みずほフィナンシャルグループが進めるAI開発人材への転換は、50代や60代のベテラン社員に新しい可能性を示しています。
これまで、デジタル技術の習得は若手社員が中心と考えられることがありました。
しかし、生成AIの進化によって、専門的な技術作業の一部をAIが支援できるようになり、実務経験者が開発に参加する可能性が広がっています。
その際に重要になるのが、長年の業務経験によって培われた専門知識や判断力です。
銀行の融資審査、企業の経理、財務、税務などの分野では、数値や情報を整理するだけでなく、その意味を理解する能力が求められます。
こうした能力は、実務経験を通じて蓄積されます。
一方で、経験が豊富であることだけでは、AI時代に十分対応できません。
新しい技術を学び、自分の知識や経験を更新し続ける姿勢が必要です。
企業側にも、年齢にかかわらず学習機会を提供し、社員の能力を適切に評価する仕組みが求められます。
人生100年時代には、50代や60代を職業人生の終盤と考えるのではなく、新しい能力を身につける時期として捉えることも重要になります。
AIは、ベテラン社員の仕事を奪う存在になる可能性がある一方で、その経験を新しい価値に変える道具にもなり得ます。
これからの働き方を左右するのは、年齢そのものではありません。
長年培ってきた専門知識を生かしながら、新しい技術を学び続けられるかどうかです。
みずほの取り組みは、日本企業がベテラン社員の価値を改めて考える契機になるでしょう。
参考
日本経済新聞 2026年10月15日 みずほが数千人をAI開発者に転換 事務や営業、日本企業の働き方転機