日本経済が金利のある世界に移行するなか、教育費を誰が負担すべきなのかという問題が改めて注目されています。
日本学生支援機構の有利子奨学金である第2種奨学金では、2026年夏に利率固定方式の利率が上限の3%に達しました。
大学卒業時に数百万円の奨学金を抱える学生にとって、卒業後の返還負担は決して小さくありません。
特に、若い世代の所得が十分に増えない場合、奨学金返還は結婚、住宅購入、子育て、資産形成などの人生設計に影響する可能性があります。
一方、日本では少子高齢化と人口減少が進み、将来の経済成長を支える人材の育成がこれまで以上に重要になっています。
大学や専門学校などで高度な知識や技能を身につけることは、個人の所得向上だけでなく、企業の競争力や社会全体の生産性向上にもつながります。
教育には個人が利益を受ける側面と、社会全体が利益を受ける側面があります。
そのため、教育費を学生本人や家庭だけで負担することが合理的なのか、それとも政府や企業を含めた社会全体で負担すべきなのかという問題が生じます。
今回は、人口減少時代における教育投資の重要性、奨学金制度の課題、教育費の負担分担、財政の持続可能性について考えます。
人口減少時代には一人ひとりの生産性が重要になる
日本では、少子高齢化によって生産年齢人口が減少しています。
生産年齢人口とは、一般に15歳から64歳までの人口を指します。
働く世代の人口が減少すれば、経済全体の労働投入量が減少する可能性があります。
そのため、日本経済が成長を続けるためには、労働者一人ひとりの生産性を高めることが重要になります。
例えば、労働者数が10%減少しても、一人当たりの生産性が15%上昇すれば、単純計算では経済全体の生産量を増やすことができます。
もちろん、実際の経済成長は設備投資、技術革新、労働時間、産業構造などによって左右されます。
しかし、人口減少社会では、人的資本の質を高めることが重要な政策課題になることは確かです。
人的資本とは、個人が持つ知識、技能、経験、健康など、経済活動に役立つ能力を指します。
大学教育や専門教育は、人的資本を形成する重要な手段です。
教育を受けた人が高度な専門知識を身につけ、企業の生産性向上や技術革新に貢献すれば、その利益は本人だけでなく社会全体に広がります。
人口減少時代の教育政策は、単なる学生支援ではなく、日本経済の将来を左右する成長戦略として考える必要があります。
教育は個人の投資であると同時に社会の投資でもある
大学教育には、個人が利益を受ける側面があります。
一般に、高等教育によって専門知識や技能を身につけることで、就職機会が広がり、将来の所得が増える可能性があります。
そのため、教育費の一定部分を学生本人や家庭が負担することには合理性があります。
一方、教育の利益は本人だけにとどまりません。
例えば、医師や看護師などの医療専門職が育成されれば、地域の医療体制を支えることにつながります。
技術者や研究者が増えれば、新技術の開発や企業の競争力向上が期待できます。
教員が育成されれば、次の世代の教育水準を高めることにつながります。
また、高等教育を受けた人の所得が増加すれば、所得税や住民税などの税収が増える可能性もあります。
このように、教育には社会全体に利益が広がる性質があります。
経済学では、こうした効果を外部効果と呼びます。
教育の社会的な利益を考慮すれば、政府が教育費の一部を負担することにも合理性があります。
重要なのは、教育による利益を個人と社会がどのように分け合うのかという視点です。
教育費を家庭だけに依存すると格差が広がる
教育費の負担を家庭に大きく依存する場合、親の所得や資産によって子どもの進学機会に差が生じる可能性があります。
例えば、金融資産2,000万円を保有する家庭と、金融資産100万円の家庭を考えます。
大学4年間の教育費が600万円必要な場合、前者の家庭では預貯金から教育費を負担できる可能性があります。
一方、後者の家庭では、奨学金や教育ローンなどを利用する必要性が高まります。
その結果、同じ大学を卒業しても、奨学金を借りた学生には返還義務が残り、親が教育費を負担した学生には借金が残らないという違いが生じます。
例えば、奨学金400万円を借り、利率3%、返還期間20年間の元利均等返済を仮定すると、毎月の返済額は約2万2,200円、返済総額は約532万円になります。
一方、親が教育費を全額負担した学生には、この返還負担がありません。
卒業後の所得が同じであっても、奨学金の有無によって貯蓄や資産形成に回せる資金が異なります。
この差が長期間続けば、若い世代の資産格差につながる可能性があります。
教育費の負担を家庭の経済力だけに委ねることは、教育機会の格差を固定化させるおそれがあります。
奨学金は教育格差を縮小する一方で新たな格差も生む
奨学金制度は、経済的な事情によって進学を諦める学生を支援する重要な仕組みです。
奨学金がなければ大学進学が難しい学生にとって、貸与型奨学金は教育機会を広げる役割を果たします。
しかし、貸与型奨学金には卒業後の返還義務があります。
そのため、進学時点の教育機会を平等に近づけても、卒業後の経済的な負担には差が残る場合があります。
例えば、親が教育費を全額負担した学生と、奨学金500万円を借りた学生が、同じ企業に就職した場合を考えます。
両者の給与が同じでも、奨学金を借りた学生は毎月の返還が必要です。
利率3%、返還期間20年間のモデル計算では、500万円の借入れに対する毎月の返済額は約2万7,700円になります。
年間では約33万円です。
この負担が20年間続く場合、住宅購入資金や老後資金の形成にも影響する可能性があります。
ただし、奨学金を借りた人が必ず経済的に不利になるとは限りません。
大学進学によって将来所得が増えれば、奨学金返還を上回る経済的利益を得られる場合もあります。
重要なのは、奨学金によって進学機会を確保するだけでなく、卒業後の返還負担にも配慮することです。
給付型奨学金の拡充は将来への投資になる
教育格差を縮小するためには、返還不要の給付型奨学金が重要です。
給付型奨学金は、一定の要件を満たす学生に対して、返還を必要としない資金を支給する制度です。
貸与型奨学金と異なり、卒業後に借金が残らないことが大きな特徴です。
例えば、大学4年間で300万円の給付型奨学金を受けた場合、原則として卒業後に300万円を返還する必要はありません。
一方、同額を有利子奨学金で借りた場合には、元金と利息を返還する必要があります。
給付型奨学金は、卒業後の家計負担を軽減する効果があります。
ただし、給付型奨学金の拡充には公的な財源が必要です。
例えば、10万人の学生に年間50万円を給付する場合、年間500億円の財源が必要になります。
対象者を20万人に拡大すれば、年間1,000億円です。
教育支援を充実させるためには、財政負担の規模を把握し、支援対象を適切に設定する必要があります。
特に、家庭の経済状況によって進学を諦める可能性が高い学生を優先することには合理性があります。
給付型奨学金は、単なる所得移転ではなく、将来の人的資本を形成するための投資として位置づけることが重要です。
大学教育の費用をすべて公費で負担すべきか
教育費の公的負担を考える際には、大学授業料を無償化すべきかという問題があります。
大学授業料を公費で負担すれば、学生や家庭の経済的負担を軽減できます。
また、経済的な事情によって進学を諦める学生を減らす効果が期待されます。
一方、大学授業料の全面的な無償化には、多額の財政支出が必要です。
さらに、大学に進学しない人との公平性も問題になります。
例えば、高校卒業後に就職する人や、職業訓練を受ける人も、社会に必要な人材です。
大学進学者だけに公的な支援を集中させれば、教育政策全体の公平性が問われます。
また、所得の高い家庭の学生まで一律に授業料を無償化することが、限られた財源の使い方として最適なのかという問題もあります。
一律の無償化には制度が分かりやすく、所得制限による不公平感が生じにくいという利点があります。
一方、所得に応じた支援には、経済的な必要性が高い学生に財源を集中できるという利点があります。
どちらが望ましいかは、教育機会の公平性と財政の持続可能性をどのように両立させるかによって異なります。
企業も教育費を負担する時代へ
教育費の負担を考える際には、政府と家庭だけでなく、企業の役割も重要です。
企業は、大学や専門学校で教育を受けた人材を採用し、その知識や技能を活用しています。
つまり、企業も高等教育による利益を受ける主体の一つです。
そのため、企業が教育費の一部を負担する仕組みには合理性があります。
代表的な例が、奨学金代理返還制度です。
日本学生支援機構では、企業が従業員の奨学金を直接返還する仕組みが設けられています。
例えば、企業が従業員1人につき毎月1万円を代理返還する場合、年間12万円の支援になります。
5年間では60万円です。
従業員にとっては、奨学金返還の負担が軽減されます。
企業にとっても、人材採用や定着を促進する効果が期待できます。
また、企業が大学と連携して奨学金を提供する方法や、特定の専門分野の人材育成を支援する方法も考えられます。
ただし、企業による支援だけに依存すると、勤務先によって教育費負担に差が生じる可能性があります。
大企業と中小企業では、福利厚生に充てられる資金にも違いがあります。
そのため、企業による支援は、公的な奨学金制度を補完する仕組みとして位置づけることが望まれます。
教育投資と将来の税収をどう考えるか
政府が教育費を負担する場合には、その支出が将来の経済成長や税収にどのような影響を与えるかを考える必要があります。
例えば、大学教育によって個人の生涯所得が増加した場合、その一部は所得税や住民税として政府に還元されます。
また、企業の生産性が向上すれば、法人税収などにも影響する可能性があります。
仮に、教育投資によってある人の生涯所得が2,000万円増加したとします。
その増加分に対する税金や社会保険料の負担割合を単純に30%と仮定すれば、600万円が税金や社会保険料として社会に還元される計算になります。
ただし、これは教育投資の経済効果を説明するための仮定です。
実際の税収増加額は、所得の発生時期、税率、社会保険制度、就業状況などによって異なります。
また、大学教育を受けたことによって生涯所得が必ず2,000万円増えるわけではありません。
教育投資の効果を評価する際には、個人の所得だけでなく、技術革新、健康、地域社会への貢献なども考慮する必要があります。
教育支出は短期的には財政負担になりますが、長期的には経済成長を支える投資になる可能性があります。
教育支援の拡充には財政の持続可能性が必要
教育支援を充実させることは重要ですが、財政の持続可能性も無視できません。
日本では、高齢化によって社会保障関係費が増加する傾向にあります。
また、金利上昇によって国債の利払い費が増える可能性もあります。
こうした状況では、教育予算を拡充するための財源確保が課題になります。
例えば、給付型奨学金の対象者を増やす場合には、その財源を税収で賄うのか、他の歳出を見直すのか、国債発行に依存するのかを検討する必要があります。
国債発行によって教育投資を行う場合には、将来世代に負担が移る可能性があります。
一方、教育投資を抑制しすぎれば、将来の人的資本形成が不十分になり、経済成長を妨げる可能性があります。
重要なのは、教育支出を単なる歳出削減の対象として考えるのではなく、費用対効果を検証しながら必要な投資を行うことです。
また、大学教育の質を高めることも欠かせません。
教育費への公的支援を増やしても、教育内容が社会の需要に対応していなければ、期待した効果が得られない可能性があります。
教育支援の拡充と大学改革は、一体として進める必要があります。
大学進学だけでなく多様な学びを支援する
人口減少時代の人材育成では、大学進学だけを重視することは適切ではありません。
専門学校、高等専門学校、職業訓練、社会人の学び直しなど、多様な教育機会を支援する必要があります。
例えば、製造業では高度な技能を持つ技術者が重要です。
介護や医療の分野では、専門資格を持つ人材が求められています。
情報通信分野では、デジタル技術や人工知能を活用できる人材の育成が重要になっています。
これらの人材を育成するためには、大学教育だけでなく、実践的な職業教育や継続的な学習機会が必要です。
また、社会人になってから新たな技能を身につけることも重要になります。
技術革新が進むなか、大学卒業時に身につけた知識だけで、40年間以上の職業人生に対応することは難しくなっています。
そのため、教育支援は18歳から22歳程度の学生だけを対象とするのではなく、社会人の学び直しも含めて考える必要があります。
人口減少社会では、限られた人材が長期間にわたって能力を発揮できる環境を整えることが重要です。
教育費の負担を世代間でどう分担するか
教育費の負担には、世代間の公平性という問題もあります。
現在の若い世代は、奨学金の返還に加えて、社会保険料や税金を負担しています。
一方、高齢世代には、年金、医療、介護などの社会保障給付が提供されています。
もちろん、高齢世代も現役時代に税金や社会保険料を負担してきました。
そのため、世代間の負担を単純に比較することは適切ではありません。
しかし、少子高齢化が進むなか、若い世代の経済的負担が過度に大きくなれば、結婚や出産、住宅購入などに影響する可能性があります。
教育費の負担軽減は、若い世代の可処分所得を増やす政策としても重要です。
例えば、奨学金返還額が毎月2万円減少すれば、年間24万円の家計負担が軽減されます。
この資金を消費や貯蓄、子育てなどに充てることができます。
ただし、奨学金の負担軽減によって出生率が必ず上昇するとは限りません。
結婚や出産には、所得、雇用、住宅、働き方、価値観など、さまざまな要因が影響します。
教育費の負担軽減は、若い世代の生活を支える政策の一つとして位置づけることが重要です。
人生100年時代の教育資金計画
教育費の問題は、学生本人だけでなく、親や祖父母の資金計画にも関係します。
親が教育費を全額負担すれば、子どもの奨学金返還を減らすことができます。
しかし、親自身の老後資金が不足する可能性があります。
また、祖父母が教育費を援助する場合には、贈与税や相続税の取扱いも重要です。
例えば、親が50代で子どもが大学に進学する場合、教育費の支出と退職準備が重なることがあります。
この場合、教育費のために金融資産を大きく取り崩すことは慎重に判断する必要があります。
一方、子どもに多額の奨学金を借りさせれば、卒業後の家計に負担が残ります。
そのため、親の老後資金と子どもの将来の返還能力を総合的に考える必要があります。
教育資金計画では、給付型奨学金、無利子奨学金、親の援助、祖父母からの支援などを適切に組み合わせることが重要です。
また、大学進学前から教育費の総額と資金調達方法を確認し、卒業後の返還額まで見通しておく必要があります。
人生100年時代には、教育費、住宅資金、老後資金を別々に考えるのではなく、家族全体の長期的な資金計画として管理することが求められます。
結論
教育費を誰が負担すべきなのかという問題には、単純な答えはありません。
大学教育には、個人の将来所得を高めるという私的な利益があります。
一方、教育を受けた人材が企業や社会で活躍することで、経済成長や税収増加につながるという社会的な利益もあります。
そのため、教育費を学生本人や家庭だけで負担することも、政府がすべて負担することも、それぞれ課題があります。
重要なのは、学生本人、家庭、政府、企業の間で、教育費を合理的に分担することです。
経済的に厳しい家庭の学生には、給付型奨学金を重点的に提供することが考えられます。
また、無利子奨学金の拡充や、有利子奨学金の利率上限の見直し、所得連動返還制度の充実も重要です。
企業による奨学金代理返還制度など、民間による支援を拡大することも有効な選択肢になります。
さらに、大学進学だけでなく、専門教育や社会人の学び直しなど、多様な教育機会を支援する必要があります。
人口減少が進む日本では、働く人の数を増やすことだけでなく、一人ひとりの能力を高めることが重要になります。
教育投資は、将来の日本経済を支える人的資本を形成するための重要な政策です。
しかし、その教育投資のために若い世代が過大な借金を抱え、結婚や住宅購入、子育てなどの選択肢を狭めてしまうことは望ましくありません。
教育を受ける機会を保障することと、卒業後の生活の安定を支えることは、切り離して考えるべきではありません。
金利のある世界を迎えた今、日本の奨学金制度には、貸与による進学支援から、卒業後の返還能力まで考慮した総合的な教育支援への転換が求められています。
教育費は、学生本人だけの負担でも、家庭だけの負担でもありません。
将来の社会を支える人材を育成するための費用として、社会全体でどのように分担するかを考える必要があります。
人口減少時代の日本経済にとって、教育費の負担軽減は単なる家計支援ではなく、将来の成長力を確保するための重要な投資なのではないでしょうか。
参考
日本経済新聞 2026年10月12日 朝刊 「日本の奨学金、『金利ある世界』どう生きるか 識者『利率上限下げも』」
日本学生支援機構 奨学金事業に関する公表資料
文部科学省 高等教育の修学支援新制度に関する公表資料
文部科学省 教育費負担軽減及び高等教育政策に関する公表資料
内閣府 少子化社会対策及び経済財政政策に関する公表資料
総務省統計局 人口推計及び労働力人口に関する公表資料
財務省 文教及び科学振興関係予算に関する公表資料