法人税の累進課税を議論すると、必ず出てくる反論があります。
法人税を高くすれば企業が海外へ逃げてしまうというものです。
確かに企業は国境を越えて活動できます。税負担が大きく違えば、工場や研究開発拠点などを税率の低い国へ移すことを検討する可能性があります。
しかし、企業が投資先を決める基準は法人税率だけではありません。
法人税を上げれば企業が直ちに海外へ移転するというほど単純な問題でもないのです。
企業は税引後利益を考える
企業が投資を判断するときに重要なのは、最終的にどれだけ利益が残るかです。
同じ100億円の利益を上げても、税負担が20億円の国と30億円の国では税引後利益が異なります。
ほかの条件がすべて同じなら、税負担の低い国の方が投資先として魅力的になります。
特に巨額の投資を行う多国籍企業では、数%の税率差でも金額にすれば大きな差になります。
法人税率が国際的な企業立地競争の重要な要素になる理由です。
法人税率だけで工場は移せない
もっとも、企業は税率だけを見て工場を建設するわけではありません。
市場の大きさがあります。
人材の質があります。
人件費があります。
電力などのエネルギーコストがあります。
物流網があります。
取引先との距離があります。
政治や社会の安定性も重要です。
さらに法律や行政制度が安定し、将来の事業計画を立てやすいことも企業には大きな価値があります。
法人税が多少低くても、事業環境が悪ければ投資先として選ばれない可能性があります。
国内市場の存在も企業を引き留める
企業が日本で事業を行う理由の1つは、日本という市場そのものです。
国内の顧客に商品やサービスを提供する企業は、税率が上がったからといって簡単に日本市場から撤退することはできません。
小売業やサービス業、不動産業などは特にその傾向があります。
顧客が日本にいる以上、事業そのものを完全に海外へ移すことは困難です。
一方、製造業の生産拠点や研究開発拠点などは比較的国境を越えて移動しやすい場合があります。
法人税率の影響は業種によって大きく異なるのです。
問題は会社より利益が移動すること
法人税を考えるときには、企業そのものの海外移転だけを見てはいけません。
むしろ重要なのが利益の移転です。
多国籍企業は複数の国にグループ会社を持っています。
グループ会社間では商品やサービス、知的財産の使用などさまざまな取引が行われます。
どの国の会社にどれだけ利益が帰属するのかによって、グループ全体の税負担は変わります。
法人税率の差が大きくなれば、低税率国に利益を移そうとする動機も強くなります。
工場や本社を丸ごと海外へ移転しなくても、課税される利益の所在が変わる可能性があるのです。
無形資産は特に国境を越えやすい
デジタル経済では、この問題がさらに重要になります。
工場や土地などの資産は簡単には移動できません。
一方、特許や商標、ソフトウエアなどの無形資産は物理的な設備より国境を越えやすい特徴があります。
企業価値の源泉が工場から知的財産やデータなどへ移るほど、法人税制の国際的な違いが企業行動に与える影響も変化します。
法人税を大幅に引き上げれば、こうした無形資産やそれに伴う利益をどこに置くかという企業の判断にも影響を与える可能性があります。
本社移転にも大きなコストがある
それでも、本社を海外へ移すことは簡単ではありません。
経営陣や従業員の移動が必要になります。
取引先との関係もあります。
企業文化や言語の問題もあります。
法務や会計、人事制度を新しい国の制度に合わせなければならない場合もあります。
長年構築してきた国内の人材や取引ネットワークには大きな価値があります。
税負担が少し増えたという理由だけで、こうした経営資源を捨てて海外へ移転するとは限りません。
企業が比較するのは法人税額だけではなく、移転によって発生するすべての費用と利益です。
高い税率には高い行政サービスという考え方もある
税金は企業にとって単なるコストではありません。
税収によって社会インフラが維持されます。
道路や港湾が整備されます。
教育制度によって人材が育成されます。
治安や司法制度が維持されます。
社会保障制度によって従業員の生活も支えられます。
企業はこうした社会基盤を利用して事業を行っています。
したがって、法人税率が多少高くても、事業環境全体の質が高ければ企業にとって魅力的な国であり続ける可能性があります。
重要なのは税率と事業環境の総合的なバランスです。
累進課税では境目の設計が重要になる
法人税を累進課税にする場合には、特に税率が切り替わる所得水準の設計が重要になります。
一定額を超えた瞬間に企業全体の税負担が急増するような制度では、企業行動をゆがめる可能性があります。
所得税と同じように、一定額を超えた部分だけに高い税率を適用する考え方が重要になります。
さらに単年度の利益だけを見るのか、複数年度の利益を考慮するのかという問題もあります。
一時的に大型資産を売却した企業に高い税率を適用することが妥当なのかも検討する必要があります。
累進課税を導入するのであれば、企業活動への急激な影響を避ける制度設計が不可欠です。
投資した企業の負担を軽くする方法もある
高利益企業に一定の税負担を求めながら、国内投資を維持する方法も考えられます。
例えば、設備投資を行った企業に税額控除を認める。
研究開発を行った企業の税負担を軽減する。
人材投資や賃上げを行った企業を優遇する。
こうした制度を組み合わせれば、利益をただ蓄積する場合と、国内で成長投資を行う場合の税負担に差を設けることができます。
単純に法人税率を引き上げるのではなく、国内で資金を使う企業には選択肢を用意するという考え方です。
税率引下げ競争にも限界がある
企業を海外へ逃がさないためには法人税率を低くすればよいという考え方にも限界があります。
各国が企業誘致のために法人税率を競って引き下げれば、最終的には法人から十分な税収を確保できなくなります。
その不足分を個人所得税や消費税などで補えば、企業から家計へ税負担が移る可能性もあります。
法人税率の国際競争が進んできたことを背景として、国際的には多国籍企業に一定水準以上の税負担を求める動きも進んでいます。
企業活動が国際化したからこそ、法人課税も1国だけでは完結しにくくなっているのです。
大切なのは企業が残りたい国をつくること
法人税率を考えるとき、企業を逃がさないことだけを目的にするべきではありません。
重要なのは、企業が日本で事業を拡大したいと思える環境をつくることです。
市場。
人材。
インフラ。
エネルギー。
研究開発環境。
規制。
行政手続き。
そして税制。
これらを総合して企業は投資先を決めます。
法人税率だけを低くしても、国内市場の成長が期待できず、人材も不足し、投資環境が悪ければ企業は投資しません。
逆に一定の税負担があっても、高い収益を期待できる国には資金が集まります。
結論
法人税を上げれば企業が海外へ逃げるという懸念には合理的な部分があります。
特に国際的に移動しやすい事業や無形資産では、税率差が企業の投資や利益配分に影響する可能性があります。
しかし、法人税率だけで企業の立地が決まるわけではありません。
市場、人材、インフラ、法制度、取引先など、多くの要素を企業は総合的に判断します。
したがって法人税の累進課税を検討する場合に必要なのは、単純な増税ではありません。
高利益企業には一定の負担を求めながら、国内で賃上げや設備投資、研究開発を行う企業には投資しやすい環境を用意することです。
目指すべきなのは、税金が安いから企業が残る国ではありません。
税金を負担しても、それ以上の成長機会があるから企業が投資したくなる国なのです。
参考
日本経済新聞 2026年10月5日朝刊 「法人の累進課税で好循環 葭田英人氏」