企業が財務諸表を作成するときには、一定の会計基準に従う必要があります。
また、その財務諸表を監査する場合には、監査のための基準も必要です。
では、日本ではこうした会計基準や監査基準がどのように作られてきたのでしょうか。
今回の資料で重要な役割を果たしているのが「企業会計審議会」です。
資料では、企業会計審議会が継続的に会計基準や監査基準を審議し、特に1990年代半ばから一連の大規模な改革を進めていった経緯が紹介されています。
現在の日本の会計制度を理解するためには、個々の会計基準だけではなく、それを作ってきた仕組みについて知ることも重要です。
企業会計審議会は会計と監査の基準を審議してきた
資料では、企業会計審議会について、会計基準や監査基準について継続的に審議してきた組織として説明されています。
企業会計のルールは、単なる企業内部の経理方法ではありません。
上場会社などが公表する財務諸表を通じて、企業の財政状態や経営成績を外部へ伝えるための共通ルールになります。
一方、監査基準は、その財務諸表に対する監査を行ううえで重要な基準です。
企業会計審議会は、この会計と監査の両方に関わってきました。
1990年代半ばから大規模な改革が進んだ
前回取り上げた会計ビッグバンでも、企業会計審議会は重要な役割を果たしています。
資料では、企業会計審議会が1990年代半ばから一連の会計基準などの改革を開始したと説明されています。
新しい基準を作る。
従来の基準を改訂する。
こうした改革が相次いで進められました。
後に一連の改革が「会計ビッグバン」と呼ばれるようになります。
ただし資料では、会計ビッグバンという言葉は当初から一つの政策名として存在したのではなく、後から名付けられた用語であることも指摘されています。
会計基準の改革は金融ビッグバンから突然始まったわけではない
会計ビッグバンを理解するときに注意したいのが、金融ビッグバンとの関係です。
1996年11月に橋本総理が示した金融ビッグバンには「ディスクロージャーの充実・徹底」と「会計制度の国際標準化」が含まれていました。
そのため、金融ビッグバンをきっかけとして会計基準改革が始まったように見えるかもしれません。
しかし、資料では、そのような単純な経緯ではなかったと説明されています。
例えば、連結財務諸表制度の見直しは、それ以前から審議が進められていました。
金融ビッグバンが政府の方針となったことは企業会計審議会にとって追い風になったものの、それによって突然、新しい会計基準の審議が始まったわけではなかったというのが資料の説明です。
リース会計も企業会計審議会で審議された
企業会計審議会が取り組んだテーマの一つがリース会計です。
資料では、1992年5月に企業会計審議会がリース会計に関する基準の審議を開始したことが紹介されています。
リース取引をどのように財務諸表へ反映するのかという問題です。
特に重要になるのが、リース取引を貸借対照表に計上するオンバランス処理との関係です。
資料では、このリース会計の検討開始時期をめぐる議論についても詳しく振り返られています。
会計基準は単純な技術論だけで決められるものではなく、企業実務への影響を考えながら検討していく必要があることが分かります。
金融商品や年金や研究開発費も同時に検討された
会計基準改革の範囲は、リースだけではありません。
資料によると、連結ベースの開示への転換に続くテーマとして、1996年10月の企業会計審議会総会では、金融商品会計、年金会計、研究開発費を並行して取り上げることになりました。
これは非常に大きな改革です。
金融商品をどのように評価するのか。
企業年金に関する将来の負担をどのように財務諸表へ反映するのか。
研究開発費をどのように会計処理するのか。
企業会計の重要なテーマを同時並行で検討することになったからです。
資料では、当時の企業財務課の職員にも「これだけ多くの課題をどう進めるのか」という思いがあったことが紹介されています。
会計基準を作るには大きなリソースが必要になる
会計基準の設定は、文章を作れば終わる仕事ではありません。
企業が行っている取引を理解し、その経済的な実態をどのように財務諸表へ表すのかを検討する必要があります。
さらに、実際に企業が適用できるルールにしなければなりません。
資料では、企業会計審議会について、米国のFASBなどと比較するとリソースが不足しており、会計基準が過小供給だったという指摘にも触れています。
一方で、資料の筆者は、日本の会計基準が作られてきた実際の経緯や、企業会計審議会の運営について、外部からの見方とは異なる認識を示しています。
会計基準の歴史を見るときには、完成した基準だけでなく、どのような体制で審議されていたのかを見ることも重要です。
国際的な会計基準への対応も必要になった
企業活動や資本市場が国際化すると、日本国内だけを見て会計基準を作ることは難しくなります。
資料では、国際的な会計基準設定の動きと、日本の基準設定体制の変化についても取り上げられています。
国際会計基準を開発する新しい組織のあり方が検討されるなかで、日本でも常設的に対応できる会計基準設定主体について検討する必要が生じました。
企業会計審議会の体制では、常設的な国際対応などに限界があるという問題が出てきたためです。
民間の会計基準設定機関へつながっていく
資料によると、1999年12月には「企業会計基準設定主体の拡充・強化に向けて」の案が公表されました。
そして2000年4月には、大蔵省に「企業会計基準の設定のあり方に関する懇談会」が設置され、同年6月には民間の会計基準設定機関について提言が行われました。
国際的にもIASCの改組が進み、2001年にはIASBが本格的に活動を開始します。
日本でも2001年7月に財務会計基準機構と、その傘下のASBJが発足しました。
つまり、日本の会計基準を作る仕組みそのものも、会計制度の国際化などを背景として変化していったのです。
企業会計審議会の歴史から会計基準の作られ方が見える
現在使われている会計基準だけを勉強していると、会計基準は最初から完成したルールとして存在しているように感じます。
しかし、実際にはそうではありません。
企業活動が変わります。
新しい取引が登場します。
国際的な会計制度も変化します。
それに対応して新しい会計上の問題が生まれ、審議を重ねながら基準が作られていきます。
企業会計審議会の歩みを見ることで、会計基準が社会や企業活動の変化に対応しながら形成されてきたことが分かります。
結論
企業会計審議会は、日本の会計基準や監査基準について継続的に審議し、会計制度の発展を支えてきた重要な組織です。
特に1990年代半ばからは、後に会計ビッグバンと呼ばれる一連の会計基準改革が進められました。
リース会計だけでなく、連結財務諸表、金融商品会計、年金会計、研究開発費など、企業会計の重要なテーマが次々と検討されました。
一方、会計制度の国際化が進むにつれて、より常設的な会計基準設定体制も必要になります。
その流れの中で、2001年7月には財務会計基準機構とその傘下のASBJが発足しました。
会計基準は、いつの間にか存在するルールではありません。
企業活動や資本市場の変化に対応しながら、多くの関係者による審議を経て作られてきたものです。
企業会計審議会の歩みを知ることは、日本の会計基準がなぜ現在の姿になっているのかを理解することにもつながるのです。
参考
青山学院大学会計プロフェッション研究 2026年3月 プロジェクトX【会計基準等の改革】を振り返る