会議では誰も反対しなかったのに、決定した後になって「あの計画は無理だと思っていた」という声が出てくることがあります。
部下が上司の考えを予想し、それに沿った意見を言うこともあります。
さらに進むと、上司が明確に指示していないにもかかわらず、部下が「おそらくこうしてほしいのだろう」と考えて行動するようになります。
これが組織における忖度です。
忖度というと、個人の性格や勇気の問題のように思えるかもしれません。
しかし、同じような行動が組織の中で繰り返されているのであれば、個人ではなく組織の仕組みに原因がある可能性があります。
なぜ人は、自分が正しいと思うことではなく、上司が正しいと思っていそうなことを答えるようになるのでしょうか。
組織における忖度とは何か
忖度とは、相手の気持ちや意向を推し量ることです。
相手の立場を考えて行動すること自体は悪いことではありません。
会社では、上司や同僚、顧客が何を求めているのかを考える必要があります。
問題になるのは、それが意思決定をゆがめる場合です。
例えば、ある会社で新規事業を始めることになったとします。
社長はこの事業に強い思い入れを持っています。
担当者が市場調査をすると、期待していたほど需要がないことが分かりました。
本来であれば、その事実をそのまま経営陣に報告する必要があります。
ところが担当者が、
社長はこの事業を成功させたいと思っている
否定的な報告をすると評価が下がるかもしれない
もう少し良い数字を中心に説明しよう
と考えたらどうでしょうか。
数字そのものを改ざんしなくても、都合の良い情報ばかりが上へ伝わる可能性があります。
これが積み重なると、経営トップが見ている会社の姿と、現場の実態が違ってきます。
上司への同調は合理的な行動でもある
では、なぜ部下は上司に同調するのでしょうか。
単に部下に勇気がないからとは限りません。
組織の評価制度を考えると、同調することが本人にとって合理的な場合があります。
例えば、直属の上司が部下の人事評価を決める会社を考えてみます。
昇進。
昇給。
賞与。
希望する部署への異動。
重要な仕事を任せてもらえるかどうか。
こうしたものに上司の評価が大きく影響するのであれば、部下は当然、上司からどう見られるかを意識します。
上司に反対して失うものが多く、賛成して失うものが少ないのであれば、同調する行動が増えるのは不思議ではありません。
つまり、忖度は個人の問題であると同時に、組織が作り出すインセンティブの問題でもあります。
上司が正解を持っている組織になる
もう一つ重要なのが、正解に対する考え方です。
学校では多くの場合、問題を出す先生が正解を知っています。
生徒は先生が持っている正解を答えることで評価されます。
会社に入っても同じ感覚を持ち続けると、
上司は自分より経験がある
上司の方が会社を理解している
上司が正解を知っている
と考えやすくなります。
すると仕事は、自分で最善の答えを考えることではなく、上司が考えている正解を当てる作業に変わってしまいます。
「あなたはどう考えるのか」と聞かれているのに、「部長はどう考えているのだろう」と考えるようになるのです。
これでは、自分の頭で考える習慣が育ちにくくなります。
異論を言った人が損をすると誰も言わなくなる
組織文化は、一度の出来事でも変わります。
例えば会議で若手社員が、
この計画には問題があると思います
と発言したとします。
そのとき上司が不機嫌になり、
まだ会社のことが分かっていない
そんなことを言う前に結果を出せ
などと返したらどうでしょうか。
発言した本人だけでなく、その場にいた人たちも学習します。
この会社では反対意見を言わない方がいい。
そう考えるようになります。
逆に、上司の意見に賛成した人が高く評価されれば、
上司に合わせた方が得だ
という学習が進みます。
こうして、明文化された規則がなくても忖度する文化が形成されていきます。
会議から異論が消えていく
忖度が広がると、会議の姿も変わります。
本来、会議は異なる情報や意見を持つ人が集まり、より良い判断をするための場です。
営業部門は顧客の情報を持っています。
製造部門は生産現場の情報を持っています。
経理部門は採算や資金の情報を持っています。
それぞれが異なる視点を持っているからこそ、複数の人が集まる意味があります。
ところが全員が上司の考えを予想して発言すると、せっかくの違いが消えてしまいます。
10人で会議をしていても、実質的には上司1人で考えているのと変わらなくなる可能性があります。
悪い情報ほど上に届かなくなる
忖度する組織で特に危険なのが、悪い情報が経営陣まで届かなくなることです。
売り上げが計画を下回っている。
新商品に重大な欠陥がある。
顧客から苦情が増えている。
工場で事故につながりかねない問題が起きている。
こうした情報ほど、経営者は早く知る必要があります。
しかし、上司を喜ばせる情報が評価される組織では、階層を上がるたびに悪い情報が弱められることがあります。
現場では「非常に深刻な問題」だったものが、
やや問題があります
改善を進めています
対応可能です
と表現を変えながら上へ伝わることがあります。
最終的に経営トップへ届いたときには、「大きな問題はない」という話になっているかもしれません。
経営者が正しい判断をしたくても、材料となる情報が間違っていれば正しい判断はできません。
過去に成功した上司ほど危険になることがある
優秀な上司であれば忖度は起こらないのでしょうか。
必ずしもそうではありません。
むしろ過去に大きな成功を収めた経営者ほど注意が必要な場合があります。
成功体験が多いほど、
自分の判断は正しい
この方法で会社を成長させてきた
という自信を持つからです。
周囲も、
社長が言うなら間違いない
以前も社長の判断が正しかった
と考えるようになります。
しかし、経営環境は変化します。
過去の正解が将来も正解とは限りません。
そこで異論を言える人がいなければ、過去の成功体験そのものが企業の弱点になる可能性があります。
集団浅慮が起こる
こうした問題と関係する考え方に集団浅慮があります。
集団浅慮とは、集団の中で意見の一致を重視しすぎることで、十分な検討が行われなくなる現象です。
本来であれば、
この前提は正しいのか
他の方法はないのか
最悪の場合はどうなるのか
と検討しなければなりません。
ところが、
みんな賛成している
偉い人も賛成している
今さら反対しにくい
という空気になると、疑問があっても口に出さなくなります。
全員が賛成しているように見えても、本当に全員が賛成しているとは限らないのです。
忖度は意思決定のスピードを上げることもある
一方で、上意下達型の組織にはメリットもあります。
トップが方向を決め、全員がそれに従えば、意思決定は速くなります。
特に緊急時には有効なことがあります。
すべての問題について全員が自由に議論していたら、決断が遅れる場合もあります。
したがって、上司の意見に従うこと自体が問題なのではありません。
重要なのは、
議論する段階では自由に異論を出せる
決定した後は組織として行動する
という二つを分けることです。
議論する前から結論が決まっていて、誰も異論を言えない状態が問題なのです。
心理的安全性が重要になる
異論を出せる組織を考えるうえで重要なのが心理的安全性です。
心理的安全性とは、質問したり、間違いを認めたり、反対意見を言ったりしても、人間関係上の不利益を過度に恐れなくてよい状態を指します。
これは、誰に対しても優しくすることではありません。
意見には厳しくても、意見を言った人そのものを攻撃しないことが重要です。
「その意見には反対だ」と言える一方で、「そんな意見を言う人間は駄目だ」とはしない。
この違いが大切です。
AI時代には異論を出す人の価値が高まる
AIの普及によって、この問題はさらに重要になるでしょう。
AIは大量の情報を整理し、もっともらしい答えを短時間で提示できます。
しかし、人間がAIの答えをそのまま正解として扱えば、新しい形の忖度が生まれる可能性があります。
これから必要になるのは、
上司が言ったから正しい
多数派だから正しい
AIが答えたから正しい
ではなく、
その前提は本当に正しいのか
別の可能性はないのか
と考える力です。
上司に異論を言える人と同じように、AIにも異論を言える人が必要になります。
経営者自身が異論を歓迎する必要がある
忖度をなくそうとして、経営者が「自由に意見を言ってほしい」と宣言するだけでは十分ではありません。
社員は言葉ではなく、経営者の行動を見ています。
反対意見が出たときにどう反応するのか。
悪い報告をした人をどう扱うのか。
自分の判断が間違っていたときに認められるのか。
ここが重要です。
経営者が、
それは自分が気づかなかった視点だ
悪い情報ほど早く教えてほしい
自分の案にも遠慮なく反対してほしい
という態度を実際の行動で示せば、少しずつ組織の文化は変わります。
逆に、一度でも異論を言った社員を不当に扱えば、「自由に発言してよい」という言葉は意味を失います。
結論
忖度する組織は、単に気の弱い社員が集まってできるわけではありません。
上司が人事評価を握っている。
上司への反対意見が歓迎されない。
過去の成功体験が絶対視される。
正解は上の人が持っているという意識がある。
こうした要素が積み重なることで、社員は上司の正解を当てるようになります。
その結果、異論が消え、悪い情報が上へ届かなくなり、経営判断を誤る危険が高まります。
優秀な人を集めるだけでは、強い組織にはなりません。
10人の優秀な社員がいても、全員が社長と同じことしか言わなければ、10人分の知恵を使っていることにはならないからです。
正解のない時代に企業が必要としているのは、上司の答えを正確に当てる人ではなく、自分で考え、必要なら上司にも異論を言える人ではないでしょうか。
そして、そのような人材を生かせるかどうかは、社員個人の勇気以上に、異論を歓迎できる組織をつくれるかどうかにかかっているのだと思います。
参考
日本経済新聞 2026年9月7日朝刊 日本型人材育成の課題 忖度生む教育やめよ
日本経済新聞 2026年9月7日朝刊 民の力生かし改革を