経理担当者が自分の給与を毎月少しずつ水増ししていた場合、人間が何千件もの取引を一件ずつ確認して発見するのは簡単ではありません。
しかし、コンピューターに過去数年分の給与データを読み込ませ、
前月より大きく増えた社員を探す
前年同月と比べて異常な金額を探す
他の社員とかけ離れた給与を探す
といった分析をすれば、不自然な取引を絞り込むことができます。
生成AIも、こうした経理データの分析を補助する道具として利用できる可能性があります。
ただし、AIが異常を見つけたからといって、不正だと断定できるわけではありません。
反対に、AIが異常を指摘しなかったから不正がないとも言えません。
AIの役割は不正の判定者ではなく、人間が確認すべき取引を見つける補助者と考えることが重要です。
異常検知とは何か
異常検知とは、大量のデータの中から通常とは異なる動きを見つけることです。
例えばある社員の毎月の給与が、
30万円
30万円
31万円
30万円
32万円
と推移していたとします。
ところが突然、
95万円
になったとします。
人間がこの5カ月分だけを見れば、すぐに異常だと気づくでしょう。
しかし社員が数百人いて、給与データが何年分もあれば、すべてを人間が確認するのは大変です。
そこでデータを使って通常とは異なる数字を抽出します。
異常と不正は同じではない
ここで非常に重要なのは、異常値が見つかったからといって不正とは限らないことです。
給与が30万円から95万円になった社員には、
賞与が支給された
残業代が増えた
昇進した
過去の給与を追加支給した
退職金の一部が含まれていた
など正当な理由があるかもしれません。
AIができるのは、
この金額は普段と違います
と候補を示すことです。
なぜ違うのかを確認するのは人間です。
異常検知と不正認定を混同しないことが重要です。
給与の月次比較に利用できる
経理不正の確認で比較的分かりやすいのが給与の月次比較です。
例えば社員ごとに、
社員名
基本給
残業代
各種手当
総支給額
控除額
振込額
を毎月並べます。
そして前月と比較します。
例えば前月30万円だった社員への振込額が今月80万円になっていれば、大きな変化として抽出します。
変化した理由が賞与なら問題ありません。
理由を説明できなければ、詳しく調べます。
すべての給与を同じ深さで確認するのではなく、変化の大きいものから確認する方法です。
前年同月比較もできる
給与や経費には季節性があります。
例えば賞与を毎年6月と12月に支給している会社なら、前月比較だけでは6月に給与が急増します。
そこで前年同月とも比較します。
前年6月が60万円、今年6月も62万円なら大きな異常ではないかもしれません。
一方、
前年6月60万円
今年6月150万円
となっていれば、理由を確認する必要があります。
前月比較と前年同月比較を組み合わせることで、不自然な変化を見つけやすくなります。
他の社員との比較もできる
同じ役職や職種の社員同士を比較する方法もあります。
例えば同じ営業職の社員10人の給与が30万円から40万円程度なのに、一人だけ毎月100万円を超えていたとします。
もちろん高額な歩合給など正当な理由があるかもしれません。
しかし確認対象にはできます。
本人の過去データだけではなく、似た条件の社員との比較によって異常を探すわけです。
今回の事件では最大5.4倍になった
参考記事で紹介された大阪市の人材派遣会社では、唯一の経理担当者だった男性社員が2010年12月から2022年1月まで、自分の給与を水増ししていました。
水増し総額は5108万円でした。
多い月には水増し額が100万円を超え、本来の給与の5.4倍になったこともあったとされています。
このような大きな変化が給与データとして継続的に分析されていれば、確認対象として浮かび上がった可能性があります。
もちろん、AIを導入すれば必ず発見できたと断定することはできません。
重要なのは、人間が見落としやすい大量の数字から不自然な動きを探す仕組みを持つことです。
給与だけでなく経費にも利用できる
異常検知の考え方は給与以外にも応用できます。
例えば経費データから、
急に増えた取引先
毎月同額の不自然な支払い
休日に行われた支払い
通常より大きな金額
新しく登録された振込先
特定社員だけが利用する取引先
などを抽出します。
経費が月1000件あれば、すべての領収書を経営者が確認するのは現実的ではありません。
そこで異常な取引を絞り込み、人間が重点的に確認します。
生成AIはデータ整理にも使える
参考記事では、生成AIが領収書を読み取り、一覧表を作成するなど、経理業務の効率化に利用できることも紹介されています。
経理担当者が領収書を見ながら、
日付
取引先
金額
内容
などを一件ずつ入力していた仕事を補助できれば、入力作業を減らせる可能性があります。
データが整理されれば、その後の比較分析もしやすくなります。
AIの役割は、不正発見だけではありません。
経理データを分析できる状態へ整える部分でも利用できます。
入力ミスと不正を区別する必要がある
異常な数字が見つかったとしても、それが故意の不正とは限りません。
例えば3万円の経費を30万円と入力してしまっただけかもしれません。
取引先を間違えて登録した可能性もあります。
同じ請求書を二重に入力した可能性もあります。
AIが見つける異常には、
単純な入力ミス
会計処理の誤り
通常とは違う正当な取引
不正な取引
が混在します。
そのため異常値を見つけた後、人間が証拠資料を確認する工程が必要です。
AIは領収書の偽造を完全には見抜けない
AIに領収書を読み取らせれば、領収書に書かれた情報をデータ化することはできます。
しかし、その領収書自体が本物かどうかは別の問題です。
例えば架空の領収書が作られていた場合、AIがそこに書かれた日付や金額を正確に読み取ったとしても、それだけで偽造を見抜けるとは限りません。
参考記事でも、生成AIによって経理業務を効率化できる可能性がある一方、偽造そのものを確実に見抜けるわけではない点が指摘されています。
データを正確に読む能力と、その取引が本当に存在するかを判断する能力は同じではありません。
AIに会社のデータを渡すときにも注意が必要
経理データには重要な情報が含まれています。
社員の給与
取引先情報
銀行口座
売上
仕入価格
個人情報
などです。
生成AIを利用するときには、会社が利用しているサービスの契約内容やデータの取り扱いを確認する必要があります。
どの経理データでも、そのまま外部の生成AIサービスへ入力してよいわけではありません。
会社の情報管理ルールに沿って利用することが前提になります。
AIより先にデータを整える必要がある
AIを導入すれば、すぐ高度な不正検知ができるとは限りません。
例えば給与データが毎月別々の形式で保存されていたら、比較するだけでも大変です。
社員番号が統一されていない。
取引先名の表記が毎回違う。
過去データが紙でしか残っていない。
こうした状態では分析しにくくなります。
まず必要なのは、
データ形式をそろえる
過去データを保存する
社員番号や取引先コードを統一する
変更履歴を残す
といった基本的なデータ管理です。
AIは整ったデータがあってこそ力を発揮しやすくなります。
人間とAIの役割を分ける
経理不正対策では、人間とAIのどちらか一方を選ぶ必要はありません。
AIは大量の取引から、
いつもと違う
他と違う
急に増えた
という候補を探します。
人間はその候補について、
承認された取引なのか
契約書があるのか
実際に商品やサービスを受けたのか
本人に確認すべきなのか
を判断します。
大量データの探索はコンピューターに任せ、最終判断は人間が行うという役割分担です。
AIがあっても内部統制は必要
生成AIを導入しても、これまで説明してきた内部統制が不要になるわけではありません。
給与計算と給与振込を分ける。
振込の作成者と承認者を分ける。
給与マスターの変更履歴を残す。
銀行口座を経営者が確認する。
経理担当者に連続休暇を取ってもらう。
抜き打ち監査を行う。
業務をマニュアル化する。
こうした仕組みが基本です。
AIはその上に追加する補助的なチェック手段と考えた方がよいでしょう。
結論
生成AIは、経理不正を自動的に見抜いてくれる万能な監査人ではありません。
しかし、大量の給与や経費データから通常とは異なる取引を探し、人間が確認すべき対象を絞り込む仕事には活用できる可能性があります。
例えば、
前月から給与が大幅に増えた社員
前年同月とかけ離れた支払い
他の社員より極端に高い給与
突然増えた取引先への支払い
通常とは異なる高額経費
などを確認対象として抽出します。
参考記事の事件では、約11年間で5108万円もの給与水増しが行われ、多い月には水増し額が100万円を超え、本来の給与の5.4倍になったこともありました。
こうした異常を人間だけで探し続けるには限界があります。
だからこそ、AIやデータ分析を人間の目を補う道具として利用する意味があります。
ただし、異常値は不正の証拠ではありません。
AIが異常を見つけ、人間が理由を確認する。
そして職務分掌や承認、照合といった内部統制によって、不正そのものを起こしにくくする。
AIに経理を任せるのではなく、AIをもう一つのチェックの目として加えることが、これからの経理不正対策の一つになるのです。
参考
日本経済新聞 2026年9月3日朝刊 中小企業リーガル処方箋 給料水増し5000万円 「お一人様」経理、振込依頼操作