中小企業では、経理について「あの人に聞かないと分からない」という状態が珍しくありません。
長年勤務している経理担当者が、請求書の処理から給与計算、銀行振込、税理士とのやり取りまで一人で担当しているケースです。
仕事に詳しい社員がいること自体は会社にとって大きな強みです。
しかし、その人しか仕事のやり方を知らない状態になると、話は変わります。
担当者が突然休んだだけで給与を振り込めない。
退職すると決算資料がどこにあるのか分からない。
さらに、本人しか処理内容を知らないため、不正が起きても周囲が気づけない。
これが経理の属人化の怖さです。
属人化とは何か
属人化とは、特定の仕事について、その担当者しか手順や判断方法を分からない状態になることです。
例えば経理担当者だけが、
銀行振込の方法を知っている
会計ソフトの操作方法を知っている
請求書の保管場所を知っている
毎月の決算手順を知っている
取引先ごとの特殊な処理を知っている
という状態です。
仕事が担当者個人の知識や経験に依存しています。
その人がいる間は問題なく業務が回っているため、会社は危険性に気づきにくい特徴があります。
一人経理と属人化は同じではない
一人経理と属人化は似ていますが、必ずしも同じではありません。
経理担当者が一人でも、
業務マニュアルがある
経営者が銀行口座を確認できる
給与計算の手順が共有されている
会計データを外部専門家も確認できる
緊急時には別の社員が代行できる
という状態なら、属人化の程度を小さくできます。
逆に経理部門に複数の社員がいても、特定の仕事について一人しか分からなければ、その部分は属人化しています。
問題なのは人数そのものではなく、仕事や情報が一人に閉じていることです。
なぜ属人化が起きるのか
属人化は、必ずしも意図的に作られるわけではありません。
むしろ日常業務を効率化する過程で自然に進むことがあります。
例えば社員Aさんが給与計算に詳しいとします。
毎月Aさんが担当した方が早いため、何年もAさんに任せます。
Aさんは経験を積み、さらに詳しくなります。
周囲は、
給与のことはAさんに聞けばよい
と考えるようになります。
すると他の社員が給与業務を覚える機会がなくなります。
効率を優先した結果として、いつの間にかAさんしか分からない仕事になってしまうわけです。
ベテランほど属人化しやすいこともある
長年同じ業務を担当している社員は、多くの知識を持っています。
取引先の特徴や過去の経緯など、マニュアルには書きにくい情報も知っています。
会社にとって貴重な存在です。
しかし、
仕事ができるから任せる
任せるからさらに詳しくなる
詳しくなるからもっと任せる
という循環が続くと、その社員への依存度が高くなります。
本人が優秀であることと、会社として健全な業務体制になっていることは別です。
退職すると何が起きるのか
属人化の問題が表面化しやすいのが担当者の退職です。
例えば長年の経理担当者が1カ月後に退職するとします。
会社は初めて、
毎月何日に何をしているのか
どの銀行を使っているのか
税理士にどの資料を渡しているのか
給与計算でどのデータを使っているのか
取引先ごとの支払条件はどうなっているのか
を確認します。
ところが業務手順が文書化されていなければ、短期間ですべてを引き継ぐのは困難です。
担当者の頭の中に会社の業務手順が保存されていたような状態だからです。
病気や事故でも同じ問題が起きる
退職なら引き継ぎ期間を設けられることがあります。
もっと困るのは、突然担当者が出勤できなくなるケースです。
病気や事故などで長期間休むことになれば、十分な引き継ぎができません。
給与振込の期限は待ってくれません。
取引先への支払日も来ます。
税金や社会保険料の期限もあります。
そのとき、
パスワードが分からない
ファイルの保存場所が分からない
処理方法が分からない
という状態になれば、会社の業務そのものが止まる可能性があります。
属人化は不正だけではなく、事業継続の問題でもあります。
属人化すると不正も見つかりにくくなる
経理の属人化には、もう一つ大きな問題があります。
不正の発見が難しくなることです。
例えば経理担当者が、
給与計算
給与データの作成
銀行振込
会計処理
銀行残高の確認
まで一人で行っているとします。
周囲の社員は仕事内容を理解していません。
すると不自然な処理があっても、
経理のことは分からないから担当者に任せよう
となりやすくなります。
不正を行う人と、その処理を確認する人が同じになってしまいます。
今回の事件では唯一の経理担当者だった
参考記事で紹介された大阪市の人材派遣会社では、男性社員が2006年に入社しました。
2010年5月に同僚が退職すると、男性が唯一の経理担当者になりました。
その後2010年12月から2022年1月まで、自分の給与を水増しする不正が続きました。
水増し総額は5108万円でした。
約11年間にわたって不正が続いた背景を考えるうえで、一人の担当者に経理業務が集中していたことは重要なポイントです。
不正発覚も担当者交代ではなかった
今回の事件では、定期的な担当交代によって不正が発見されたわけではありません。
2022年2月、別の不備について銀行から会社へ連絡が入りました。
その対応をした別の社員が給与の増額に気づき、不正が発覚しました。
つまり、経理担当者以外の人の目が入ったことが発見につながりました。
もし銀行から連絡がなければ、不正がさらに続いていた可能性も考えられます。
属人化した仕事へ別の人の目を入れることがなぜ重要なのかを示す事例です。
マニュアル化とは何か
属人化を減らす代表的な方法がマニュアル化です。
例えば給与業務なら、
勤怠データをいつ確定するか
給与ソフトへ何を入力するか
誰が給与を確認するか
銀行振込データを誰が作るか
誰が承認するか
どこに資料を保存するか
といった手順を文書にします。
重要なのは、担当者本人が読めるマニュアルではありません。
担当者以外の人が読んでも、ある程度仕事の流れを理解できる状態にすることです。
パスワードを共有すればよいわけではない
属人化対策として、
全員で同じIDとパスワードを共有すればよい
と考えるのは危険です。
誰でも同じIDを使えるようにすると、誰が操作したのか分からなくなるからです。
重要なのは、必要な人が必要な権限を持ち、操作履歴を追跡できる状態にすることです。
例えば銀行振込なら、
担当者は振込データを作成できる
経営者は承認できる
というように権限を分けます。
情報共有と権限共有は同じではありません。
定期的に別の人が仕事をする
マニュアルを作るだけでは、本当に他の人が仕事をできるか分かりません。
そこで有効なのが、定期的に別の人が実際の業務を行うことです。
例えば経理担当者に連続休暇を取ってもらい、その期間だけ別の社員が業務を担当します。
すると、
マニュアルに書かれていない手順がある
保存場所が分からない
特定の処理だけ本人しかできない
といった問題が見つかります。
実際に担当者がいない状態を経験することで、属人化の程度を確認できます。
小さな会社では完全な分業は難しい
社員数の少ない会社では、経理部門に何人も配置することは現実的ではありません。
その場合でも、
経営者が銀行口座を見る
給与振込だけ別の人が承認する
会計データを税理士など外部専門家と共有する
業務手順を文書化する
定期的に別の人が処理を確認する
といった方法があります。
一人経理を完全になくせなくても、一人だけで業務が閉じる状態は減らせます。
属人化解消は担当者を疑うことではない
長年会社を支えてきた経理担当者に対して、
これから銀行口座を社長も確認する
業務マニュアルを作ってほしい
別の社員にも仕事を覚えてもらう
と伝えると、本人は信用されていないと感じるかもしれません。
しかし属人化対策は、その担当者を疑うためだけに行うものではありません。
本人が安心して休めるようにする。
退職時の引き継ぎを容易にする。
会社の事業を止めないようにする。
そして不正が起こりにくい環境を作る。
会社と担当者の双方を守る仕組みです。
結論
経理の属人化とは、特定の担当者しか業務の手順や判断方法を分からない状態になることです。
一人経理だから必ず属人化するわけではありません。
反対に複数の経理担当者がいても、特定の業務を一人しか理解していなければ属人化しています。
属人化が進むと、
担当者の退職で業務が止まる
病気や事故に対応できない
引き継ぎが難しくなる
不正を周囲が発見しにくくなる
といった問題が生じます。
参考記事の事件では、男性社員が唯一の経理担当者となった後、約11年間にわたって自分の給与を水増しし、総額5108万円を不正に受け取っていました。
不正発覚のきっかけになったのは、銀行からの連絡を受けて別の社員が給与の増額に気づいたことでした。
「あの人しか分からない」は、頼れる社員がいることを表しているようで、会社にとって大きなリスクでもあります。
重要なのは、その人の知識を奪うことではありません。
マニュアル化し、権限を分け、別の人でも確認できるようにすることで、個人の知識を会社の仕組みに変えていくことです。
優秀な担当者に依存する会社から、優秀な担当者が休んでも回る会社へ変える。
それが経理の属人化を解消する本当の目的なのです。
参考
日本経済新聞 2026年9月3日朝刊 中小企業リーガル処方箋 給料水増し5000万円 「お一人様」経理、振込依頼操作