一人経理とは何か 給与を5000万円水増しされても11年間気づかなかった理由

経営

中小企業では、経理を一人の社員に任せているケースが珍しくありません。

社員数が少ない会社では、経理担当者を何人も配置する余裕がなく、給与計算から振込、経費精算、帳簿作成まで一人で担当していることがあります。

業務に詳しい担当者が一人で処理すれば効率的です。

しかし、一人の担当者に仕事が集中すると、不正が起きたときに発見する仕組みが働きにくくなります。

実際、給与を長期間にわたって水増しし、5000万円を超える金額を受け取っていた事件も起きています。

一人経理とは何か

一人経理とは、会社の経理業務を実質的に一人の担当者が処理している状態です。

例えば、給与計算、銀行振込、売掛金や買掛金の管理、経費精算、現預金管理、会計ソフトへの入力などを一人で担当します。

中小企業では珍しい体制ではありません。

日本商工会議所などの2025年の調査では、売上高1000万円以下の企業の79%で経理担当者が一人でした。

さらに、専任の経理担当者がいないとの回答も76%に達しています。

経理部門そのものを十分に設けられない会社が多いことが分かります。

なぜ一人経理では不正が起きやすいのか

問題は、一人で経理をすること自体ではありません。

重要なのは、取引を行う人と、それを確認する人が同じになりやすいことです。

例えば給与振込なら、本来は給与額を計算する人、振込データを作成する人、内容を確認する人、振込を承認する人を分けることが望ましいと考えられます。

ところが人員の少ない会社では、

給与計算をする

振込依頼書を作る

銀行へ振込を依頼する

帳簿に記録する

という一連の業務を一人で担当することがあります。

自分で数字を作り、自分で銀行に送り、自分で帳簿を処理できる状態です。

これでは、不正を行った本人がその不正を隠すことも容易になります。

給与を5000万円以上水増しした事件

参考記事では、大阪市の人材派遣会社で起きた事件が紹介されています。

男性社員は2006年に採用され、同僚の退職後、2010年5月から会社で唯一の経理担当者となりました。

不正は2010年12月から2022年1月まで続きました。

約11年間です。

給与の水増し総額は5108万円に上りました。

多い月には水増し額が100万円を超え、本来の給与の5.4倍になったこともあったとされています。

それでも長期間発覚しませんでした。

なぜ社長の決裁があっても防げなかったのか

この事件で特に重要なのは、社長の決裁そのものは存在していたことです。

男性は全従業員の給与合計額を記載した振込依頼書を作成し、社長の決裁を受けていました。

ところが、その後、自分の給与を水増しした振込依頼書を銀行へFAX送信していました。

つまり、

決裁された書類

銀行へ実際に送られた書類

この二つが一致しているかを確認する仕組みが十分ではなかったわけです。

決裁印を押すだけでは内部統制になりません。

承認した内容と実際に実行された取引が一致しているところまで確認する必要があります。

職務分掌とは何か

こうした不正を防ぐ基本的な考え方が職務分掌です。

職務分掌とは、一つの取引を最初から最後まで一人に任せず、複数の人に役割を分けることです。

例えば給与振込なら、給与計算は経理担当者が行い、振込データは別の人が確認し、最終的な銀行振込は社長が承認するという方法があります。

インターネットバンキングでも、担当者が振込データを作成し、経営者が別のIDで承認しなければ振込できない仕組みにすることができます。

これなら経理担当者が自分の給与を勝手に増やしても、承認段階で発見できる可能性が高くなります。

人が少ない会社ではどうすればよいのか

とはいえ、小さな会社で経理担当者を何人も雇うのは現実的ではありません。

そこで重要になるのが、経営者自身による確認です。

例えば給与支給前に、従業員別の給与一覧を確認します。

総額だけを見るのではありません。

前月と比べて給与が大きく増えている人はいないか、賞与や残業代に不自然な金額がないかを確認します。

さらに銀行口座から実際に振り込まれた金額についても確認します。

給与計算表と銀行の振込結果を突き合わせれば、途中で数字を書き換えることは難しくなります。

人数の少ない会社ほど、経営者による簡単なチェックが大きな意味を持ちます。

不正をすると会社にも税金がかかることがある

この事件にはもう一つ重要な点があります。

給与を水増しされた会社も税務上の問題を指摘されました。

会社は税務署に相談したところ、給与水増しによって法人所得が圧縮されていたとして申告漏れを指摘され、過少申告加算税などを含め1070万円の追徴税額が生じました。

会社から見れば被害者であっても、法人税の計算が間違っていれば税務上の修正が必要になる可能性があります。

従業員による横領だから会社には関係ないとは限りません。

不正会計は会社の決算や税務申告にも波及します。

給与計算ソフトだけでは十分ではない

給与計算ソフトやクラウド会計を導入すれば、手書き書類を書き換えるような不正は行いにくくなります。

ただし、システムを導入すれば不正がなくなるわけではありません。

一人の担当者に、

給与データの入力

マスターデータの変更

振込データの作成

銀行振込の承認

という権限をすべて与えてしまえば、デジタル化しても一人経理の問題は残ります。

重要なのはソフトそのものではなく、誰にどこまで権限を与えるかです。

生成AIも経理のチェックに利用できる

今後は生成AIを経理業務の補助に使う方法も考えられます。

例えば大量の領収書やレシートを整理したり、経費データを一覧化したり、前月と比較して異常に増えている項目を探したりする用途です。

給与についても、毎月の給与データを比較して、

特定社員だけ給与が急増している

残業代が突出している

手当が突然増えている

といった異常値を抽出する仕組みを作ることは可能です。

ただし、AIが不正そのものを確実に見抜いてくれるわけではありません。

AIはあくまでチェックを効率化する道具です。

最終的には、人間による承認や権限分離が必要です。

一人経理で最も怖いのは担当者を信用することではない

長年働いている社員なら、経営者から強く信頼されていることがあります。

そのため、

あの人に任せておけば大丈夫

という状態になりやすくなります。

しかし内部統制は、社員を疑うための仕組みではありません。

むしろ社員を守るための仕組みでもあります。

一人の担当者に現金、銀行口座、給与、会計処理をすべて任せれば、その人自身が不正を疑われるリスクも高くなります。

複数人による確認記録が残っていれば、担当者にとっても自分が正しく仕事をしていたことを証明しやすくなります。

結論

中小企業では、人員の制約から一人経理になること自体を避けられない場合があります。

問題は一人で経理をしていることではなく、一人で取引を完結できる状態です。

給与を計算する人と振込を承認する人を分ける。

給与一覧を前月と比較する。

銀行の振込結果と給与データを照合する。

経営者や外部専門家が定期的に確認する。

こうした簡単な仕組みだけでも、不正のハードルは大きく上がります。

5000万円を超える給与水増しが約11年間続いた事件が示しているのは、巧妙な不正だけが怖いわけではないということです。

単純な不正でも、チェックする人がいなければ長期間続いてしまいます。

中小企業の内部統制では、高価なシステムを導入することよりも先に、「一人で作って、一人で実行して、一人で記録できる仕事」をなくすことが重要なのです。

参考

日本経済新聞 2026年9月3日朝刊 中小企業リーガル処方箋 給料水増し5000万円 「お一人様」経理、振込依頼操作

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