退職金はこれからなくなっていくのでしょうか。
人材流動化が進み、従来型の退職金を廃止して毎月の給与や企業型確定拠出年金へ振り替える企業が出てきています。
一方、人手不足への対応として退職金を増額する企業もあります。
この二つの動きは、一見すると正反対です。
しかし共通していることがあります。
企業が退職金を単なる老後資金ではなく、人材戦略の一部として見直し始めていることです。
これから起こるのは、すべての会社から退職金がなくなることではないでしょう。
終身雇用を前提として作られた従来型の報酬制度が、多様な働き方に合わせて再設計されていくと考える方が実態に近いのです。
従来型退職金は終身雇用と相性がよかった
日本企業の従来型退職金は、長期雇用と非常に相性のよい制度でした。
新卒で会社へ入る。
長期間勤務する。
年齢や勤続年数とともに給与が上がる。
定年まで勤務する。
最後にまとまった退職金を受け取る。
こうした働き方の中で退職金は重要な役割を果たしてきました。
長く働くほど退職金が増える制度にすれば、社員には会社に残るインセンティブが生まれます。
会社にとっても、採用して育てた社員を長期間確保できます。
終身雇用を前提とするなら合理的な仕組みだったのです。
退職金には後払い賃金という考え方がある
退職金には、長期間の勤務に対する功労報償という考え方があります。
同時に、現役時代の賃金の一部を退職時にまとめて支払う後払い賃金という側面も指摘されます。
若い時期やミドル期に受け取る給与を一定程度抑え、その分を長く勤務した社員へ最後に返すという見方です。
この仕組みでは、途中で会社を辞めると不利になりやすくなります。
長く働けば大きな退職金を受け取れる。
途中で辞めれば将来増えるはずだった退職金を受け取れない。
退職金は社員の老後を支えると同時に、人材を会社につなぎ留める機能を持っていました。
人材流動化で前提が変わる
ところが働き方が変わってきました。
新卒で入った会社に定年まで勤めるとは限りません。
30代で転職する。
40代で専門性を生かして別の会社へ移る。
50代で再び転職する。
こうしたキャリアも珍しくなくなっています。
会社側も新卒採用だけでは必要な人材を確保できません。
成長分野へ進出するため、外部から経験者や高度専門人材を採用する必要があります。
すると、
30年勤務すれば大きな退職金があります
という制度だけでは、中途採用者への魅力が弱くなる場合があります。
人材流動化が進むことで、従来型退職金の前提そのものが変わり始めています。
退職金を給与へ振り替える企業がある
そこで退職金原資の一部などを毎月の給与へ振り替える企業が出てきます。
社員から見ると、
将来受け取るお金
から、
現在受け取るお金
への変更です。
特に中途採用者には分かりやすい報酬になります。
40歳で入社した社員にとって、30年後の退職金より現在の給与が高い方が魅力的な場合があります。
若い社員にとっても、
住宅費
教育費
自己投資
資産形成
などに早くお金を使えるメリットがあります。
報酬を将来まで会社に預けるのではなく、現在の仕事に対して現在支払う方向への変化です。
給与への振り替えには税金の違いがある
ただし、退職金2000万円を給与2000万円へ振り替えれば経済的に同じというわけではありません。
給与と退職金では税制が違うからです。
一定の退職一時金には退職所得控除があります。
一般的な退職所得では、控除後の金額を原則として2分の1にして課税退職所得金額を計算します。
給与として受け取れば給与所得として課税されます。
給与額が増えることで社会保険料に影響する場合もあります。
そのため会社が退職金を給与へ振り替える場合、社員は額面だけでなく手取りへの影響を見る必要があります。
企業型DCへ移す企業もある
もう一つの方向が企業型確定拠出年金です。
企業型DCでは、会社が社員のために掛金を拠出します。
その資産を社員自身が運用します。
従来型退職金との大きな違いは、毎年拠出された資産が個人の老後資産として積み上がっていくことです。
転職するときにも、一定の要件のもとで転職先の企業型DCやiDeCoなどへ移換できます。
つまり、
会社に長く残るほど有利
という制度から、
会社が変わっても自分の老後資産をつないでいく
という制度へ変わります。
人材流動化との相性がよい理由です。
会社が運用する時代から社員が運用する時代へ
確定給付企業年金では、企業側が将来の給付を設計し、そのための資産運用を担います。
企業型DCでは考え方が違います。
会社が決めるのは基本的に掛金です。
その掛金をどのように運用するのかは社員自身が選択します。
預金型の商品を選ぶのか。
債券を組み入れた商品を選ぶのか。
株式を中心とした投資信託を選ぶのか。
その選択によって将来の資産額が変わります。
老後資金形成の責任の一部が、会社から個人へ移っていくことになります。
転職しても老後資産をつなぐ時代になる
一つの会社に40年間勤めるのであれば、その会社の退職金制度だけを理解していればよかったかもしれません。
しかし複数の会社で働く場合は違います。
A社で企業型DC。
B社でも企業型DC。
C社では企業年金がないためiDeCo。
という働き方も考えられます。
転職するたびに、
現在の年金資産はどこにあるのか
次の制度へ移換できるのか
必要な手続きは何か
を自分で確認する必要があります。
会社が変わっても、自分の老後資産形成は続いていきます。
退職金がなくなれば自分で老後資金を作る必要がある
従来型退職金には、社員が意識しなくても老後資金を形成できるという特徴がありました。
毎月自分で積み立てなくても、長期間会社に勤めれば退職時にまとまったお金を受け取れる制度です。
しかし退職金を給与へ振り替える会社では、その仕組みが弱くなります。
毎月の給与が5万円増えたとしても、その5万円を使ってしまえば老後資金には残りません。
年間60万円。
30年間なら1800万円です。
給与として受け取ったお金を消費するのか。
貯蓄するのか。
投資するのか。
本人の判断になります。
報酬の自由度が高まる一方、自分で老後資金を管理する責任も大きくなります。
NISAやiDeCoの意味も大きくなる
退職金を給与へ振り替える企業が増えれば、個人による資産形成の重要性が高まります。
そこで利用されるのがNISAやiDeCoなどです。
会社から受け取った給与の一部を自分で積み立てる。
企業型DCの資産を運用する。
転職後に必要ならiDeCoへ資産を移換する。
会社の退職金だけに依存するのではなく、複数の制度を組み合わせて老後資金を形成することになります。
会社員であっても、自分の資産を自分で管理する必要性が高まっていきます。
それでも退職金はなくならない
人材流動化が進むからといって、退職金がすべてなくなるとは考えにくいでしょう。
長期勤続に価値がある会社も存在するからです。
特に、
技能習得に長い時間が必要な仕事
企業固有のノウハウが重要な仕事
顧客との長期的な関係が重要な仕事
技能承継が必要な仕事
では、社員に長期間働いてもらう意味があります。
こうした会社では、退職金を手厚くして長期勤続を促すことが人材戦略として合理的な場合があります。
退職金を増やす企業もある
元の記事で紹介された仙台市の総合建設会社橋本店は、2026年1月に退職金の算定方法を見直しました。
大卒社員が60歳で退職する場合のモデル退職一時金を、従来の約1300万円から最大2000万円へ引き上げました。
約5割の増額です。
背景にあるのは建設業の人手不足です。
採用した社員に長期間働いてもらう。
熟練した人材を確保する。
技能を若手へ引き継ぐ。
そのために退職金を強化しています。
退職金を減らす企業だけでなく、逆に増やす企業もあることが重要です。
企業によって正解が違う
外部から高度専門人材を採用したい企業なら、
高い基本給
成果報酬
企業型DC
などが有効かもしれません。
一方、長期間かけて社員を育成する企業なら、
長期勤続者に手厚い退職金
が有効かもしれません。
つまり退職金制度には一つの正解がありません。
会社が、
どのような人材を採用したいのか
何年間働いてほしいのか
どのような能力を育てたいのか
によって最適な報酬制度は変わります。
退職金制度を見ると、その会社の人材戦略が見えてきます。
会社員も退職金を自分で確認する時代になる
会社員側にも変化が求められます。
以前なら、
定年になれば退職金が出るだろう
と考えているだけでもよかったかもしれません。
しかしこれからは、自分の会社について、
退職金制度はあるのか
現在いくら積み上がっているのか
何歳まで働けばいくらになるのか
企業型DCはいくらあるのか
会社はいくら掛金を出しているのか
転職したらどうなるのか
を確認する必要があります。
会社任せでは、自分の老後資産の全体像が分からなくなる可能性があります。
転職では年収だけを見ない
人材流動化が進むほど、転職時の待遇比較も難しくなります。
A社は年収800万円で退職金あり。
B社は年収900万円で退職金なし。
C社は年収850万円で企業型DCの会社掛金が手厚い。
という場合、年収だけではどこが有利なのか分かりません。
現在の給与。
賞与。
退職金。
企業年金。
企業型DC。
福利厚生。
税金。
社会保険料。
これらを含めた生涯報酬や生涯手取りで考える必要があります。
報酬制度が多様化するほど、社員自身にも制度を理解する力が必要になります。
老後資金は三つの柱で考える
これからの会社員の老後資金は、大きく三つに分けると理解しやすくなります。
一つ目は公的年金です。
国民年金や厚生年金が老後生活の基礎になります。
二つ目は会社を通じた老後資金です。
退職金、確定給付企業年金、企業型DCなどがあります。
三つ目は自分で作る資産です。
預貯金、NISA、iDeCoなどを利用した資産形成があります。
従来は二つ目の会社による退職金の存在感が非常に大きい働き方でした。
今後は三つの柱を自分で組み合わせて考える必要性が高まります。
退職金制度の変化は働き方の変化である
退職金制度だけを見ると、
退職金がなくなるのか
という問題に見えます。
しかし本質はもっと大きな変化です。
一つの会社で長期間働くことを前提とした雇用制度から、複数の会社を移りながら能力を生かす働き方への変化です。
それに合わせて報酬制度も、
将来まとめて支払う
という仕組みから、
現在の給与として支払う
個人の年金資産として積み立てる
という方向へ多様化しています。
退職金制度の変化は、日本企業の雇用そのものが変わっていることの表れなのです。
結論
退職金はこれから一律になくなっていくわけではありません。
変わっていくのは、退職金を含めた報酬制度の形です。
終身雇用を前提とした従来型退職金。
退職金原資を現在の給与へ振り替える制度。
企業型DCを通じて個人ごとに老後資産を積み立てる制度。
人材定着のため退職金をさらに増やす制度。
企業によって異なる方向へ進んでいくと考えられます。
背景にあるのは人材戦略の違いです。
外部から専門人材を採用したい企業では、現在の給与や持ち運びやすい企業型DCが重要になります。
長期間働くことで技能を身につける企業では、退職金が人材定着の有効な手段になります。
会社員側も、
会社が老後資金を準備してくれる
という考え方だけでは対応しにくくなります。
企業型DCの運用。
転職時の資産移換。
iDeCo。
NISA。
自分自身で老後資金を形成し、管理する力がこれまで以上に重要になります。
これから問うべきなのは、
退職金がある会社か、ない会社か
だけではありません。
給与として今受け取るのか。
退職金として将来受け取るのか。
企業年金として積み立てるのか。
そして会社が変わっても自分の老後資産をどのようにつないでいくのか。
退職金制度の変化は、会社が人生の最後まで報酬設計を担う時代から、会社と個人がそれぞれ老後資金形成を担う時代への変化でもあるのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月31日夕刊 退職金、なくなるの? 人材流動化で見直しも